宰相・石破茂とその時代――社会を覆う「無意識の閉塞感」

執筆者:先崎彰容 2024年11月27日
タグ: 石破茂 日本
2024年11月11日、衆議院本会議の首相指名選挙で投開票を終えた石破茂首相(C)EPA=時事
総選挙の結果、自民・公明は少数与党に転落した。注目すべきは野党第一党・立憲民主党の躍進ではなく、「保守vs.革新」という二項対立がもはや全く時代遅れであることだ。新旧という遠近法で世界を見ている若者にとって、自民・立民はともに「古い」保守に他ならない。一方で若者にとっての新しさとは、社会は変革できないことを前提にして、既存の概念や制度を少しズラし、揶揄し、留飲を下げることにあるだろう。このゲームのルール自体は変える気がない「無意識の閉塞感」に背を押された、れいわ新選組や参政党、日本保守党など少数野党の伸長は、選挙が「合法的なテロリズム」の舞台と化したことを示唆している。だとすれば、実際の暴力を伴うテロリズムも、果たして現実味がないと言えるだろうか。

 私たちは日々、膨大な量の情報にさらされている。刺激に反応し一喜一憂することは避けがたい。その一喜一憂が新たな情報となって拡散していく。次々に事件事故は起きるから、私たちはおしゃべりをやめられない。

 宰相・石破茂の誕生も、そうした情報の一つに利用されている。自民党総裁選を面白おかしく報道した直後、戦後最短で衆院解散総選挙になだれ込むと、マスコミは一斉に各党勝敗予想に明け暮れたが、こうした報道姿勢に吐き気をもよおしたのは、筆者だけだろうか。「政治とカネ」のネガティブ・キャンペーンをこれだけ張れば、世論が政権選択をしているのではなく、マスコミが世論操作をしているに等しい。

 だが筆者はここで、単純なマスコミ批判をしたいのではない。こうした饒舌と喧騒にもかかわらず、現在の日本国はどこか暗く、閉塞していることを指摘したいのである。戦前の昭和8年(1933)、女学生二人が三原山噴火口に投身自殺して以降、自殺ブームが到来する。この年はドイツでヒトラー政権が誕生し、また日本が国際連盟を脱退した年でもあった。英米中心の国際秩序が限界に達しつつあるとき、同時に国内では不安の兆しが現れ、何かが瓦解しはじめたのである。だから私たちは一つひとつの事件に対し、饒舌にコメントしているだけでは済まされない。複数の事件の背後に共通する「時代感覚」に敏感になる必要がある。いったい、私たちは今、どんな時代を生きているのだろうか。
宰相・石破茂を論じるということは、畢竟、時代を論じることに、つながらなければならない。

都知事選の本当の勝者は誰だったのか

 ほんの少しだけ、時間を巻き戻してみよう。記憶に新しいのは7月7日投開票の東京都知事選挙である。小池都政糾弾の急先鋒は、当初、立憲民主党を離党して臨んだ蓮舫氏だと思われていた。しかし大方の予想を覆し、蓮舫氏は三位に甘んじ大敗を喫し、二位に食い込んだのは元安芸高田市長の石丸伸二氏であった。SNSを駆使した石丸氏の選挙戦術は、圧倒的に若者からの支持を集め、「石丸現象」と呼ばれた。ここで注目すべきは、自民党vs.立憲民主党、すなわち保守vs.革新という二項対立が、全く時代遅れになったということである。言いかえれば、自民党が保守政党であり、立憲民主党がリベラルな政策を掲げ、「対立」していると感じるのは、私のような中年世代の感覚だということだ。若者の世界観は、政策の左右という二項対立でできていない。若者は新旧という遠近法で世界を見ているからだ。2000年代生まれの彼らの世界観からすれば、自民党も立憲民主党も「古い」政党でありともに保守的(!)なのである。対する石丸氏は「新しい」人物であり、その斬新さが若者を惹きつけたのである。

 筆者の興味を引いたのは、石丸氏の新しさが、諧謔を弄し、人の話を否定・揶揄するその口調にあったことである。石丸氏のどこか人を喰ったような話しぶりに、もう一つの事件を思い出したのである。それは同じ都知事選で話題をさらったNHKから国民を守る党(NHK党)の選挙行動である。NHK党は都知事選に計24名の立候補者を擁立し、大量の同一ポスターを掲示したものの、総得票数は11万票あまりにとどまった。私たちの誰一人として、同党候補者の当選を予想したものはいなかっただろう。立花孝志党首はしかし、今回の都知事選は大成功だったとの認識を示した。いったいNHK党の一連の行動は、何を意味していたのだろうか。

 NHK党が試みたのは、民主主義に対する「合法的なテロリズム」なのである。民主主義ではまず、候補者が所属政党あるいは個人的な知見に基づき、あるべき社会像を政策として発表する。それに市民一人ひとりが耳を傾け、自分の価値観で判断し、あるべき社会像を託して投票行動をする。結果、多数の意見が全体の民意を代表し、社会実装されていくのである。この簡単な民主主義の定義だけでも、いかに「真面目」な制度かは理解できる。たとえ建前にすぎないとしても、私たちはこの前提を受け入れて投票行動をしてきたのだ。だがこの建前を揺さぶり、真面目に悪ふざけで対抗したのが、NHK党の乱なのである。ここで筆者がわざと「建前を揺さぶり」と書いたのには意図があって、彼らは建前を「破壊」しなかったことが重要だ。あくまでも彼らは、既成の概念を破壊しようとしたのではなく、揺さぶった、つまり揶揄に終始したのである。言いかえれば、NHK党が目指したのは最初から民主主義制度での勝利ではなく、民主主義それ自体に疑問を投げつけること、合法的な範囲内において、市民に対し、「選挙ってナンセンス!」というメッセージを投げつけることを意図して行動にでたのである。

 だとすれば、立花党首が自身の行動を大成功であると自負したのは、当然だと言わねばならない。人びとの心にさざ波が立ち、民主主義の選挙制度それ自体に懐疑のまなざしを持たせ、シラケたムードを与えた時点で、勝利者は小池百合子都知事ではなく、立花党首だったからだ。

 そして石丸現象もまた、この点でNHK党と同じ役割を果たしたことがわかるだろう。

カテゴリ: 政治 社会
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執筆者プロフィール
先崎彰容(せんざきあきなか) 1975年、東京都生まれ。東京大学文学部倫理学科卒。東北大学大学院文学研究科博士課程を修了、フランス社会科学高等研究院に留学。現在、日本大学危機管理学部教授。専門は倫理学、思想史。主な著書に『ナショナリズムの復権』『違和感の正体』『未完の西郷隆盛』『維新と敗戦』『バッシング論』『国家の尊厳』『本居宣長―「もののあはれ」と「日本」の発見―』など。
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