トランプ主義は「米国的信条」を葬るか――サミュエル・ハンチントンの予言

執筆者:冨田浩司 2025年5月12日
エリア: 北米
「米国的信条」が変化すれば、外交のあり方にも本質的な変化が生じ得る[政権発足100日を祝うトランプ大統領の支持者たち=2025年4月29日、アメリカ・ミシガン州ウォーレン](C)AFP=時事
著名政治学者のサミュエル・ハンチントンは、アメリカには国家の理想像と現実の齟齬を解消しようとする独特な「米国的信条」が存在し、その周期的な高揚が次に訪れるのは2020年代から30年代だと“予言”した。「ディープ・ステートがアメリカを破壊するか、我々がディープ・ステートを破壊するかだ」と言うトランプ氏の振る舞いには、確かにその影が見てとれる。一方、「米国的信条」は本来、反権威主義的なものでもある。この大きな矛盾は信条そのものを変貌させてしまうのか。刊行から40年以上を経て再び脚光を浴びるハンチントンの『米国政治:約束された不調和』を再読しつつ考察する。

 トランプ主義に関して書かれた本はあまたあるが、40年以上前に書かれた本が今日の米国政治を予言していたと言えば驚きであろう。

 1981年に出版された本の題名は、『米国政治:約束された不調和(American Politics: the Promise of Disharmony)』、著者は『文明の衝突』で有名な政治学者、故サミュエル・ハンチントンだ1。彼によると、米国政治においては、建国以来60年から70年の間隔で、「信条的情熱(Creedal Passion)」と呼ばれる激動が周期的に発生しており、この傾向がそのまま続けば、次の激動期は2020年代から30年代、すなわち今、生じることが予見されている。このことがトランプ主義をめぐる政治的変化を予言するものとも解釈できるのだ。

 ハンチントンがなぜこうした推論を立てたのか、そしてトランプ主義の台頭はその正しさを証明するのか。これらの疑問を吟味することは、いま米国政治で起こっていることを理解し、将来を占ううえで重要な手掛かりとなる。本稿では、彼の論考を紹介するとともに、筆者の考察をまとめてみた。

信条国家、アメリカ

 ハンチントンの議論の出発点は、米国の国民的アイデンティティの特殊性だ。一般に一国のアイデンティティは、国民が歴史的経験、文化、言語などを共有することを通じ、有機的に醸成される。しかし、米国の場合、この過程は政治的であり、その結果形成されるアイデンティティの中核には、彼の言うところの「米国的信条(American Creed)」がある。

「米国的信条」は、自由民主主義、個人主義、平等主義といった原則に根差すものの、明確に定義されるものではなく、むしろ米国民が幅広く共有する価値観や理想の一体系と言える。例えば、18世紀末、イギリスの歴史学者ジェームス・ブライスが米国民の政治観について行った以下のような観察は、その特徴をよく捉えている。

「個人は神聖な権利を有する」

「政治権力の源泉は人民である」

「政府は法と人民の掣肘を受ける」

「中央政府より、地方政府が好ましい」

「多数は少数より賢明である」

「統治は限定的であれば、あるほど良い」

 以上の観察からも明らかなとおり、「米国的信条」の大きな特色はその反権威主義的性格だ。権力を手にする者は邪悪な行為をなしがちであり、人々の権利と自由を脅かすので、政府は弱体であることが望ましい。そうした考え方は、建国の指導者の間でも広く共有されており、米国の政治体制がチェック・アンド・バランスの仕組みによって、いずれの統治機関も権力を濫用できないよう設計されているのもそのためだ。

 さらに重要なことは、「米国的信条」が一つの理想であり、国民がかくあるべしと考える政治の在り方と現実の政治制度との間には常に落差が存在する点だ。ハンチントンは、この落差を理想(Ideals)と制度(Institutions)の間の齟齬という意味で、「Ⅰ対Ⅰギャップ」と呼んでいる。米国政治の特殊性は、こうした恒常的に満たされない思いが、「米国的信条」の反権威主義的性格と結びつくことによって、変化の原動力となってきたことだ。この点は、イデオロギーや階級的対立を変化の原動力としてきた欧州の経験とは大きく異なる。

 ハンチントンによれば、米国の歴史を建国の理想が段階的に実現する過程と考える見方は一面的であり、理想の実現に失敗した経験も同様に歴史の本質的な部分である。彼の言を借りれば、米国政治の歴史は、「新たな出発と瑕疵のある結末、希望と失望、改革と反動」の繰り返しである2。彼が本著の副題に「約束された不調和」という言葉を選んだのもこのためだ。

米国政治を変えた「信条的情熱」

 それでは米国民はこれまで理想と現実の間の落差にどのように対応してきたであろうか。

 この点について、ハンチントンは、①落差の解消を強く求める、「道徳的な憤り」(moralism)、②落差の存在を無視し、現状を是とする「自己満足」(complacency)、③落差を認識しつつも、現状を是とする「偽善」(hypocrisy)、④落差に失望しながらも、現状は変わらないとあきらめる「シニシズム(cynicism)」、という四つの反応の類型を挙げている。そして、「道徳的な憤り」が亢進し、多くの大衆を巻き込んだ政治的なうねりが生じていく事態が「信条的情熱」だ。

 ハンチントンによれば、米国の歴史において、「信条的情熱」が大きな政治的変動を促す事態が、以下のように60年から70年の周期で発生している。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
冨田浩司(とみたこうじ) 元駐米大使 1957年、兵庫県生まれ。東京大学法学部卒。1981年に外務省に入省し、北米局長、在イスラエル日本大使、在韓国日本大使、在米国日本大使などを歴任。2023年12月、外務省を退官。著書に『危機の指導者 チャーチル』『マーガレット・サッチャー 政治を変えた「鉄の女」』(ともに新潮選書)がある。
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