「キング・オブ・ポップ」の死

執筆者:名越健郎 2009年9月号
タグ: アメリカ

 1984年、バンコクのカフェで、マイケル・ジャクソンのミュージックビデオ「スリラー」が上映された時、タイの若者が戦慄し、総立ちになったのを覚えている。狼男に変身したり、ゾンビと踊る奇抜さ、歌や踊りの卓越した娯楽性に、世界的エンターテイナーの登場を実感した。 当時はレーガン大統領がベトナム戦争後遺症を克服し、「強いアメリカ」を志向していた時期。マイケル・ジャクソンは米国の復活を後押しした。同年にはホワイトハウスを訪れ、レーガンと会見。レーガンは日記に「シャイな青年」と書いた。 だが、少年への性的虐待疑惑、度重なる整形疑惑、多くのゴシップや多額の借金など、「キング・オブ・ポップ」はスキャンダルでもスーパースターだった。6月25日の衝撃的な死のあと、様々な“マイケル伝説”がネットを賑わせた。

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
名越健郎(なごしけんろう) 1953年岡山県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社、外信部、バンコク支局、モスクワ支局、ワシントン支局、外信部長、編集局次長、仙台支社長を歴任。2011年、同社退社。拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学特任教授を経て、2022年から拓殖大学特任教授。著書に、『秘密資金の戦後政党史』(新潮選書)、『ジョークで読む世界ウラ事情』(日経プレミアシリーズ)、『独裁者プーチン』(文春新書)など。
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