金正日の急死という北朝鮮情勢の激変も、どうやら北京にとっては織り込み済みだったようだ。というのも、最悪の場合は半島有事にエスカレートしかねない突発事態の発生にもかかわらず、習近平は当初から予定されていた通り、ヴェトナムとタイ両国を訪問しているからだ。北京を発ったのは金正日の死亡が発表された翌日の12月20日。22日までヴェトナムに滞在し、タイは22日から24日まで。この間、彼は胡錦濤国家主席を差し置いて既に「新世代の国家領袖として堂々の振舞い」(あるタイの華人企業家)を見せていた。その姿は、金正日弔問に北朝鮮の在北京大使館に現れた胡主席の一種窶(やつ)れの目立つ姿とは、余りにも対照的であった。
「四好」と「十六字方針」

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