国際人のための日本古代史 (72)

「天武天皇」ゆかりの「吉野」になぜ桜が多いのか

執筆者:関裕二 2016年3月8日
タグ: 日本
エリア: アジア

 桜の季節の日本列島は、1年でもっとも美しい。絢爛に咲き誇り、はかなく散っていく桜……。日本人の美意識、死生観にこれほど合う花は、ほかにない。
 花は散り、そして1年の流転ののち、ふたたびこの世にもどってくる。おそらく、旧石器時代や縄文時代から継承されたアニミズム、多神教的宗教観と桜は、うまく合致したのだろう。
 西行の有名な、
 「ねがはくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの もち月のころ」(『山家集』)
 も、桜に対する、日本人固有の意識が表されている。近代に至っても、梶井基次郎は、
 「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」(新潮文庫『檸檬』に収録の『桜の樹の下には』より)
 と、研ぎ澄まされた感性で桜の神秘性を表現している。日本人にとって、桜は特別な存在なのだ。

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カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
関裕二(せきゆうじ) 1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。著書に『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』、『「死の国」熊野と巡礼の道 古代史謎解き紀行』『「始まりの国」淡路と「陰の王国」大阪 古代史謎解き紀行』『「大乱の都」京都争奪 古代史謎解き紀行』『神武天皇 vs. 卑弥呼 ヤマト建国を推理する』など多数。最新刊は『古代史の正体 縄文から平安まで』。
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