“短篇の名手”が贈る人生の
秋を迎えた同輩への応援歌
白秋の時を描いた作品集である。
青春、朱夏、白秋、玄冬と4つの季節を巡って1人の生涯は終わる。藤田宜永『わかって下さい』の主人公たちは、その3番目の季節にさしかかった男たちだ。
「六十五歳の声を聞いた頃から、漠然とだが将来のことをよく考えるようになった」、〈私〉こと津田久男は、実力を知られた画家である。しかし最近では制作に意欲を燃やせずにいる。若き日の熱情を取り戻すためスケッチブックを携えて街に出た津田は、家庭菜園として開放されているビルの屋上で、ある人物と出会った。老いたロックンローラーのように見えるその男も、土いじりを趣味にしているらしい。手にしたネギと恰好との取り合せに興味を惹かれ、津田はスケッチブックに鉛筆を走らせた。
収録作の「エアギターを抱いた男」は、そんな出会いから始まる1篇だ。ネギを持った男は大原史郎というジャズギタリストだった。その別荘を訪れた津田は、大原の妻・照代から意外な話を聞かされる。偶然の出会いが物語の扉を開き、通り過ぎて来た歳月への想いを蘇らせていくのだ。こうした邂逅を入口にした作品は他にもあり、「恋ものがたり」は路地で老婦人に出会った男が、彼女につきあってその恋愛譚の関係者を訪ね歩くという内容である。
追憶は小説の重要な部品ではあるが、そればかりではない。白秋の時を過ごす主人公たちは、それぞれに自分の想いを燃やせる対象を見出していくのである。各作品に共通する要素は恋なのだ。「土産話」の主人公には、幼いころからほのかな恋情を抱いていながら、すれ違いによって結ばれることがなかった女性がいる。旅先で彼女の前夫に出会ったことがきっかけとなり、2人の関係に決定的な変化が訪れるのである。熾火(おきび)となった炭は、輝きが鈍くなっても熱が失われたわけではない。それが再び燃え上がる瞬間が描かれるのだ。
明記されていない作品もあるが、各話の主人公は「エアギターを抱いた男」の津田同様、65歳前後に年齢設定されている。1950年生まれの藤田宜永とはほぼ同年代だ。本書は、人生の秋を迎えた同輩への応援歌という一面もあるのだろう。どんと背中を叩かれて、しっかりやれよ、と言われた気持ちになる。
藤田宜永は、現時点では五指に入るほどの短篇の名手であり、小説誌の目次でその名を見ただけで読者を期待させる存在である。今こそ読むべき作家の旬の一作、ぜひ味わっていただきたい。
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