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大竹文雄、平井 啓・編著『医療現場の行動経済学 すれ違う医者と患者』

評者:板谷敏彦(作家)

末期のがん患者が、
必ずしも合理的な医療を望まない理由

おおたけ・ふみお 1961年京都府生まれ。大阪大学大学院教授。著書に『競争社会の歩き方』など。
ひらい・けい 1972年山口県生まれ。大阪大学大学院准教授。

 経済学における人間とは、高い計算能力を持ち、取得したすべての情報を駆使して常に合理的に意思決定をする「ホモエコノミカス」として想定されてきた。人は常にお得な方を選ぶというのである。
 しかし現実の人間の行動を調べると、必ずしも合理的ではない選択もすることがわかってきた。こうした、なぜ人間は時に客観的に損が自明な選択をするのかを解明しようとするのが行動経済学である。
 最近では、相場の高値で買い安値で売ってしまうことが多い株の売り買いなど、意思決定を伴う投資の世界で新聞・雑誌などを通じて一般でもよく目にするようになった。
 これは医療現場における意思決定にも応用が可能である。医者が末期のがん患者やその親族に「もう治療法は無いので、薬の副作用で苦しむより、好きなことをして有意義に余生を送って下さい」と提案する。
 ところが、医者のこの合理的な処方に万人が納得するわけではない。行動経済学でいう「損失回避」では、人は損失を確定することを嫌がる。死は受け入れがたい損失である。少しでも生存の可能性があるのならば最後まで頑張りたい、あるいは親や子など自分自身の事では無い場合、もう少し頑張って欲しいと考える人も当然いるのだ。
 治療方法の意思決定の当事者は常に患者本人であるとは限らない。医師自身もそうであるし、子どもの医療では親が意思決定しなければならない。また末期がんの患者に正常な意思決定能力が残されていない場合もあるだろう。
 私は以下の3つの理由からこの本を一般の読者に強くおすすめしたい。
 1つは、本書の狙いどおり、行動経済学の医療現場への応用例が学べること。
 2つめは、本書の構成は大竹文雄氏による行動経済学の概要に続いて、各医師が医療のテーマ別に報告を寄せた形式になっている。そのため行動経済学の専門用語がいくつかのテーマにおいて何度も重複して使用されて記憶しやすいのだ。行動経済学の入門にもってこいなのである。
 3つめは、やがて自分自身や周囲の人間にも訪れるだろう医療におけるさまざまな意思決定局面の認識である。がん治療における選択、年を重ね認知症になった時に正しい意思決定はできるのだろうか。さらに生命維持治療継続の有無、その時の自分に判断能力はないのだ。
 医療現場における行動経済学の必要性は切実である。

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