藤井省三『魯迅と紹興酒 お酒で読み解く現代中国文化史』
評者:板谷敏彦(作家)
軽妙な筆致で描かれる
中国のお酒の蘊蓄と文化史
1980年代の中国では私的な宴席は自宅で行われた。だが経済成長によって居住環境が良くなると、皮肉にも次第にレストランが使われるようになり、21世紀に入ると自宅での酒宴はほぼ皆無になった。
改革開放政策によって市場経済が浸透し住宅が売買されるようになると、都市制度としての「単位」共同体が崩壊したのだそうだ。そういえば日本の我が家でも昔は社宅に住み、父が会社の仲間を家に招いては自宅でよく飲んでいた。思えばこれもひとつの共同体だったのかもしれない。
この本は魯迅や莫言などの翻訳で知られる著者が「NHKラジオ中国語講座」のテキスト(2003〜04年度)に連載したエッセー「中国酒で味わう現代文化」にその後の時代の分を加筆修正したものである。
ワイン、シャンパン、モルト・ウィスキーに日本酒と、お酒の蘊蓄本は巷に溢れている。だが我々は思いのほか隣国中国の飲酒にも文化史にも疎いものだ。
評者は「魯迅」という名前に惹かれて五四運動以降の中国文化史の一端を学ぶべく本書を開いたが、そのカバーする時代範囲も読書としての面白さも期待を大きく上回るものだった。帯に「学術エンターテインメント」とあるのも納得である。
柄杓ですくって飯茶碗で飲むビールから現代のよく冷えたビールへと進化、それでもあえて常温のビールを好む人も多いのだそうだ。
蒸留酒の白酒は代表的な中国酒だが、アルコール濃度の高さゆえに最近は敬遠されがちだ。著者は日本の焼酎のお湯割りや水割り、酎ハイ、ハイボールの飲み方を提唱するも、悪酔いするからと普及にはハードルが高いという。その他にも日本酒に相当する醸造酒の黄酒や肝心の紹興酒、戦前の台湾で飲まれた清酒「白鹿」の逸話など興味はつきない。
かつては豪華だった公的な宴席も、習近平による厳格な反腐敗運動によって酒の提供が終わり一時は伝統的な乾杯の風景が消えた。しかし上に政策あれば下に対策あり、料理は公費で酒は自費、最近では店への酒の持ち込みによって文化としての乾杯の伝統が復活したのだそうだ。
軽妙な筆致で描かれる中国のお酒の蘊蓄と、それにまつわる中国文学と映画への誘い。読みたい小説と観たい映画がすっかり増えてしまった。著者の永年の同僚や学生達との交流の中から描き出される等身大の身近な中国は、最近の強面の共産党や軍のイメージとは全く異質なものだ。
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