大正15(1926)年4月。
あきの別れの手紙を読み、ロンドン、パリ、ベルリンと横断している義江から返事があった。それぞれの場所で書いたのか、立て続けに4通あった。
日付順に読んでいくと、最初の手紙はあきの別れ話に対して怒り心頭の長文の手紙だった。次は、義江自身の愚かさを悔いる謝罪の文章だ。3通目はもう一度思い直して、なんとか日本を出て自分のそばに来て欲しいという嘆願。最後の手紙は、
この続きは会員登録をすると読むことができます。
「フォーサイト」は、月額800円のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。
フォーサイト会員の方はここからログイン