「2Q14」以降のロシアとは何か 

小泉悠(東京大学特任教授)×真野森作(毎日新聞元モスクワ特派員)

執筆者:フォーサイト編集部 2019年11月8日
エリア: ヨーロッパ ロシア
トークイベントは終了予定時刻を大幅に超えて白熱した

 

 ウクライナ危機の勃発から5年、政府と親露派の対立が続く東部ドネツク、ルガンスク両州で、再び「停戦」に向けた動きが見えてきた。

 10月1日、双方の代表者が、停戦とともに親露派の地域に「特別な地位」を付与することで基本合意。29日に兵力の引き離しが始まった。もっとも、たとえ停戦合意が結ばれたとしても、前回と同様、有名無実化する可能性もゼロとは言えない。

 2013年11月、当時のヴィクトル・ヤヌコヴィッチ政権が欧州連合(EU)との連合協定を見送ったことに端を発したウクライナ危機は、政権崩壊、クリミア編入、東部2州の「独立宣言」、マレーシア航空機撃墜事件を経て泥沼化。東部2州では2015年2月に停戦合意が結ばれたものの、すぐに戦闘が再燃し、今に至っている。

 今年5月、「和平」を公約に掲げるウォロディミル・ゼレンスキー氏がペトロ・ポロシェンコ氏から大統領の任を引き継いだが、その道のりは険しい。

 一体、ウクライナ危機とは何だったのか。この問題を2つの方向から解き明かしてくれるのが、ロシア軍事の専門家・小泉悠氏の近著『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版)と毎日新聞元モスクワ特派員・真野森作氏の『ルポ プーチンの戦争』(筑摩書房)だ。

 ロシアにとってのウクライナという存在を「勢力圏」や「大国志向」という概念から分析する理論的アプローチを取るのが前者なら(2019年7月29日『プーチン「大国志向」には「主権問題」で挑め』)、実際にクリミアや東部2州の現場で「生のウクライナ」を捉えたのが後者。

 そこで、株式会社ゲンロン(東京・五反田)主催のもと9月18日に行われた、小泉悠氏と真野森作氏によるトークイベント「ロシアにとって国境とはなにか:ウクライナから北方領土まで」から一部を再録してお届けする。

 

覆面の民兵が銃口を……

真野 私はウクライナにおける2014年を、村上春樹さんの『1Q84』に擬えて「2Q14」と表現しています。

『1Q84』は1984年から月が2つある世界に行ってしまうお話ですが、ウクライナとロシアも2014年で世界がガラッと変わってしまった。普通の2014年ではなくなってしまい、クリミアで終わらずウクライナ東部紛争、さらにマレーシア機撃墜事件と続き、大きな転機、それも不可逆的な転機となった。

 ちょうど2013年秋から2017年春までモスクワ支局に赴任していたので、17回ウクライナに入りました。

 よく「現場に行くとどんな怖いことがあるのですか?」と聞かれるのですが、特殊部隊などの統制の取れた兵士は怖くありません。

 

小泉 クリミアには、アメリカの「ネイビーシールズ」のようなロシア軍の最精鋭中の最精鋭が送り込まれました。「クリミア・ナウ」みたいな自撮りをネットに上げるなど、日本の特殊作戦部隊なら絶対にやらない自由な振る舞いをしちゃうところがロシア人っぽい。

 

覆面の民兵(真野氏提供)

真野 でも、記者がロシア語で話しかけても一切無視するくらいの統制は取れていた。じゃあ何が怖かったかと言うと、民兵です。

 ウクライナ大統領選が行われた2014年5月25日、親露派に反対の立場を取るドネツクの大富豪の豪邸の周りに、親露派の人々が集まって抗議をしていました。その時、望遠レンズで写真を撮っていたら、覆面をした民兵と目が合ってしまい、銃口を向けられた。謝ったら許してくれましたが、非常に怖かったです。

 

小泉 覆面の向こうで凄い目をしている(笑)。

 

真野 大統領選の翌日、ウクライナ側がドネツク国際空港を初めて空爆して戦闘が本格化していきました。私はその時、市の中心部にいたのですが、空爆が始まったと聞いて地元記者と空港に向かった。すると、後ろから親露派武装勢力の乗ったトラックがやって来て、私たちのすぐ目の前で銃撃戦が始まった。急いで逃げました。

 

小泉 真野さんの本を読んで、そのシーンが凄く印象的だった。内乱みたいなものが本当の戦争に変わった瞬間ですよね。

 2014年7月くらいの段階で、ウクライナが躍進するんですよね。航空戦力、火力を持った統制の取れたウクライナ正規軍が寄せ集めの親露派武装勢力を蹴散らした。

 でも、8月にロシア軍が入ってきたら、あっという間に逆転されて、ウクライナは勝てなくなってしまった。

 

見事だった「クリミア制圧」

真野 クリミアの時は、ウクライナ軍も政変直後なので統制が取れておらず、動かないし動けないという状況の中で、何もできなかった。何もしなかったから血も流れなかった。

 

小泉 ロシア軍の動きが素早くて、ウクライナとしてはどうしようもありませんでした。

 実はクリミア制圧については、どの部隊が何日にどこに上がったか、というレベルで研究が存在していて、相当詳細に当時のロシア軍の動きが分かっていますが、まあ見事ですね。

 

真野 先ずあっという間にクリミアの自治共和国議会を制圧し、シンフェロポリ国際空港を制圧し、各ウクライナ軍基地を取り囲んで動けなくしたうえで、海は海で艦隊が出られないようにした。相当練り上げられていたのでしょうか。

 

小泉 おそらく2013年11月にキエフで騒乱が起こった段階でプランとしてはあったと思います。ロシアの参謀本部がつくったはずです。

 ただ、それを実行に移すかどうかは政治の判断。ロシア軍も本当にやることになってびっくりしたのではないかと思いますよ。

 やれと言われればやるわけですが、ロシア軍は2008年頃から大規模な改革を行い、贅肉を落としてかなり優れた軍隊に生まれ変わったので、2014年当時には相当、能力が上がっていました。その成果をまさに実証してみせた。

 ウクライナ軍の兵隊を見ると、着けている装備がいかにも古めかしい。革のベルトをしていますが、今ロシア軍はこんな格好していません。

 

SF作家を雇ったフランス軍

真野 最近、ウクライナ危機前に出版されたトム・クランシーの『米露開戦』(新潮文庫)を勧められたのですが、この小説の中でロシアがウクライナに侵攻する発端も、クリミアであり、ドンバス(ドネツクやルガンスクなど東部3州とロシアにまたがる広大な炭田地帯)なんですよね。ここがウクライナの弱い場所であるというのが、アメリカから見てもあった。

 

小泉 ソ連崩壊直後からクリミアの帰属問題がありました。そもそもクリミアのセバストーポリにいたソ連の黒海艦隊は、ロシアのものなのか、ウクライナのものなのか、という議論もあった。トム・クランシーも、ここが戦争のきっかけになると思ったのでしょうね。

 小説家の一見、荒唐無稽な思い付きが、割と現実になっちゃったりする。

 最近、フランスの国防省がSF作家を4、5人雇ったというニュースがありましたね。将軍たちからは絶対に出てこないような作戦や脅威のシナリオを彼らにつくってもらうらしい。クリエイターの想像力が軍隊にとっても必要みたいですね。

 

真野 常識に囚われない。

 

小泉 我々がクリミア併合を予測できなかったように、プロの軍人さんがつくると「いやいや、それはさすがにないでしょ」みたいな専門家であるが故のバイアスがかかる。それを外したいのでしょう。

 

明らかにプロフェッショナルな人たち

真野 かたやドンバスでは、ドネツク市の警察庁舎が占拠される場面に出くわしたのですが、親露派が集まっている中に、明らかにプロフェッショナルな人たちがいた。地元の記者によれば、言葉のアクセントが違っていたり、街のことを知らなかったりした。

 ですから、地元の人たちが危機感を持って立ち上がった面もゼロではありませんが、ロシア側が焚きつけてうまくやっていた面もあった。

 たとえば、イーゴリ・ストレルコフという親露派のリーダー格の1人(独立宣言とともに国防相兼安全保障会議書記に就任)は、かつてチェチェンで活動していました。そういう実戦経験を積んでいる人たちが投入されたのだろうと思っています。

 警察もあれだけの民間人がいると何もできない。あっという間にウクライナ保安庁(SBU)の庁舎も占拠されてしまった。

 

小泉 SBUは要するに元KGB(ソ連国家保安委員会)。それが武装解除するというのは、もの凄い話ですよ。

 

真野 なので地元の人も、SBUを簡単に武装解除させるなんておかしいでしょ、親露派と通じていたんだよね、と言う。

 小泉さんの『「帝国」ロシアの地政学』に「ロシアの浸透膜」というお話が出てきます。ロシアと他の旧ソ連諸国との間に国境はあるんだけど、それは浸透膜のようなもので、じわーっとロシアの汁みたいなものが滲み出ている。

 

小泉 「プーチンの出汁」みたいな(笑)。ウクライナの方だと薄味。

 

真野 お出汁が好きな人もいれば嫌いな人もいるのですが、膜のこっちと向こうを行き来している。

 その観点から言うと、プーチンの出汁がじわじわと時間をかけて浸透していた面があります。

 

小泉 SBUも立ち回りがうまい人たちなので、徹底抗戦はしないで適当なところで手を打ったという感じはしますよね。

 

荒廃していったドネツク

真野 その後、5月の空爆以降、ウクライナの航空戦力が出てきたのですが、ウクライナ軍機がだんだん落とされるようになったのが2014年7月頃。その中で起きたのがマレーシア機撃墜事件でした。

 最初は親露派も「ウクライナ軍機落としたぜ」などとSNSで書いていましたが、さすがにこれだけの事件になると、すぐに消した。

 

小泉 この事件の翌日だったか、プーチンが1日中教会にいましたよね。

 彼がいい人か悪い人か分かりませんが、一応、倫理観はあるのだろうと思うので、プーチンなりに責任を感じていたのではないかと思います。

 

真野 だんだんドネツクの方は荒廃していきました。子供たちが流れ弾に当たったり、クラスター爆弾をつい手に取っちゃって爆発し、何人か亡くなったりもした。

 

小泉 スクールバスに弾が直撃してしまった事件もありましたよね。

 

真野 難しいのは、前線になると、親露派とウクライナ政府側のどちらがやったのか分からないこと。どちらも相手がやったと言いますし、親露派の子供たちはウクライナ政府がやったに違いないと思っているので、「将来は僕も兵隊になって倒すんだ」と言う。

 街外れの炭鉱では、ソ連時代の地下核シェルターに住んでいる人もいました。

 

小泉 僕がモスクワ留学時代に住んでいた団地の地下にもありました。核シェルターというより防空壕。ちょっと地下に潜って入れる避難所があって、めちゃくちゃ臭い。旧ソ連の仲間の攻撃によってそこに潜らないといけないというのは、皮肉な話ですよね。

 

名前のない墓

真野 戦死したウクライナ兵のお母さんにもインタビューしたのですが、彼女の息子はドネツク空港からの撤退時に仲間を助けようとして捕虜になり、射殺されたそうです。

 

小泉 ロシア兵が東部戦線で戦死したウクライナ軍の兵士の携帯電話を取ってお母さんにかけ、「息子さんが戦死されました」と伝える動画がネットに出回っています。ロシア軍兵士も母親を傷つけないように言葉を選んで、感情を抑制しながら話している。

 携帯電話で言葉が通じる関係なのに、ここまでしなきゃダメなの?と思いますよね。

 

真野 ドネツク市郊外の墓地に行くと名前のない墓があります。おそらくロシア軍人またはロシア人義勇兵のものです。悲惨なのは、このウクライナ紛争に送られて亡くなったロシア軍兵士は、「戦死」という扱いにならないこと。そもそも何人亡くなっているかも分かりません。

 

小泉 第2次世界大戦でソ連兵はめちゃくちゃ悲惨な戦いを繰り広げたわけですが、あの時はパルチザンでさえ全員恩給の対象になりました。名誉が与えられ、社会的な尊敬を集めている。

 でもウクライナ紛争で亡くなった彼らは、ロシアが後ろ暗い戦争をしたせいで、命を投げ出して国家に奉仕したのに、栄光もなければ手当てもない。そこはプーチンさん、それでいいんですか?という気がします。

 

真野 あくまでも「戦争」ではないし、一切、侵略もしていなければロシア軍兵士も出していないよ、ということになっている。

 

まだ終わっていないソ連崩壊

真野 私の1つの結論は、ソ連の崩壊が終わっていないのではないかということです。

 ロシアはソ連みたいなものと思っている人たちが旧ソ連圏各国にたくさんいる。ロシアはソ連崩壊で15カ国のうちの1つになった。広いけれども、ウクライナなど大事なところがなくなってしまった。

 小泉さんは本の中で「巨人の見る夢」に見立てていましたが、私のイメージでは幻肢痛。切られてしまったのに、まだ「ある」と感じる足みたいなものなのではないかと思います。それが続いている限りソ連崩壊はまだ終わっていないのかなという気もします。

 すぐに何かあるとは思わないですが、カザフスタンも北部にはロシア系の人たちが結構住んでいる。

 

小泉 カザフスタンのヌルスルタン・ナザルバエフ氏が大統領の勇退という珍しい決断をした。ウズベキスタンのイスラム・カリモフ元大統領を見る限り、死ぬまで権力を握ったら残された娘たちが悲惨なので、私は生きているうちに引退すると言って辞めたわけです。おそらく娘に継がせる気があるのでしょう。

 あからさまな世襲をする気で、一旦はカシムジョマルト・トカエフ氏に大統領を任せたけども、いずれナザルバエフ氏の娘に権力を移すとなった時に、果たしてうまくできるのか。そうならずに、カザフスタン北部にまた「礼儀正しい人たち」が「夏休み」でやってくる可能性もある。あるいはロシアの冬は寒いので避寒でやってくるかもしれませんが。

 バルト三国も、ラトビアとエストニアは国民の4分の1がロシア系住民です。彼らは結構、厳しい扱いを受けているので、ロシアがうまいこと焚きつけて……ということはなくはない。ただ、バルト三国はNATO(北大西洋条約機構)に入っているので、さすがにないとは思います。

 

神輿からおりつつ後継者を見つける

真野 内政についても触れておいた方がいいのかなと思うのですが、プーチン大統領の支持率の推移を見ると、2005年に一気に下がる。原因は政府の年金改革でした。そこから盛り返して、2011年12月には下院選で不正があったということでモスクワとサンクトペテルブルクを中心に反政府デモが起き、また下がりました。

 その後、大統領に再選し、ずっと60%台できていたのが、クリミア編入で9割近くに一気に上がった。しかし、やはり年金改革を行うとなって2019年に60%台に下がった。

 社会保障のインパクトが強い。「冷蔵庫」(経済)と「テレビ」(愛国プロパガンダ)の戦い。どうも冷蔵庫の方が強いのかなという感覚です。

 そのあたり小泉さんの義理のお母さん(ロシア人)の感覚はいかがですか。

 

小泉 めちゃくちゃ怒っていますよ、年金の話。

 

真野 また9月の統一地方選はつくり上げた勝利でした。モスクワ市議選では有力な無所属候補は出させないようにし、与党の「統一ロシア」の候補は無所属として出した。

 特にモスクワ、ペテルブルクでは不満がじわじわ溜まっています。

 

小泉 これまでプーチン政権下では「冷蔵庫」が充実してきたけれども、こうなるとみんなついてこない。昔からプーチンは「原油バブルは続かないから産業構造を変えないとダメだ」と言ってきましたが、周りの権力者との折り合いがつかない。そこが神輿の辛いところです。

 プーチンは今、軍、情報機関、ガス産業、ロシア正教会といった各利益団体が担ぐ神輿に乗っています。本人も振り落とされないように必死。振り落とされないようにしながら、うまいこと神輿からおりつつ、後継者を見つけるという非常に難しい作業に取り組んでいる最中です。

 それが果たしてうまくいくのか。そういう転機に来ているのかなと思います。

 

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池内恵の中東通信

池内恵(いけうちさとし 東京大学教授)が、中東情勢とイスラーム教やその思想について日々少しずつ解説します。

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