国際人のための日本古代史 (119)

古代「蹴る人びと」が恐れた「蘇我入鹿」の「祟り」

執筆者:関裕二 2020年1月7日
タグ: 日本
エリア: アジア
発掘調査で当初は法興寺(飛鳥寺)西門あたりにあったとされるが、現在はその西方やや離れた位置にある五輪塔の首塚(筆者撮影、以下同)
 

 新国立競技場には旧国立競技場からカトリック美術家・長谷川路可が製作した野見宿禰(のみのすくね)像とギリシャの女神像(フレスコモザイク壁画)が、壊されずそのまま移されている。野見宿禰は出雲国造家と同族で彼の末裔が菅原道真なのだが、ヤマトの当麻蹶速(たぎまのけはや)と相撲をとった人物として知られる。国技の元祖だから、国立競技場の壁画に採用されたのだろう。ただし、現代のような相撲ではなく、野見宿禰は当麻蹶速を蹴り殺している。そこで今回は、古代の「蹴る人びと」の話だ。

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カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
関裕二(せきゆうじ) 1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。著書に『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』、『「死の国」熊野と巡礼の道 古代史謎解き紀行』『「始まりの国」淡路と「陰の王国」大阪 古代史謎解き紀行』『「大乱の都」京都争奪 古代史謎解き紀行』『神武天皇 vs. 卑弥呼 ヤマト建国を推理する』など多数。最新刊は『古代史の正体 縄文から平安まで』。
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