【特別対談】元担当記者が語りつくす「北朝鮮」の真実に迫る術(上)

執筆者:城内康伸
執筆者:塚本壮一
2021年3月17日
エリア: アジア
中国と北朝鮮の間に架かる「中朝友誼橋」(中国遼寧省丹東市)。「取材協力者」はここを渡って中国に入国していたのだろうか (C)AFP=時事

 

内情をなかなか窺い知ることのできない国家――北朝鮮。その実態にいかにして迫るかが、ソウルや北京に駐在する担当記者の腕の見せ所となる。そこにはどんな苦労があり、その先に何をつかむことができるのか。独自入手した内部資料を駆使した労作『金正恩の機密ファイル』(小学館新書)を上梓した東京新聞(中日新聞)外報部編集委員の城内康伸さんと、元NHK解説委員の塚本壮一さん(桜美林大学教授)という2人の「元北朝鮮担当記者」の対談を、3回にわたってお届けする。

塚本壮一:城内さん、よろしくお願いします。

城内康伸:こちらこそ、ご無沙汰しています。

塚本:本(城内康伸『金正恩の機密ファイル』小学館新書)にも書いておられましたが、サイバー攻撃をされたそうですね。

城内:そうなんです。僕のパソコンに入っていたいろんなデータが、複数の知人に渡っちゃいました。

北朝鮮から受けたサイバー攻撃

 

城内:まずこの本の原稿、ワードファイルで何百枚もあったのが、丸ごとある大学の先生に送り付けられた。「中身をチェックしてください」というメッセージもメールに書いてあったそうです。「こんな原稿を丸々送ってきていいの」とその先生から連絡があって、「いや、送っていませんよ」となった。

 他にも、パソコンの中に入っている、北朝鮮の人間からもらった資料、取材メモなどが片っ端から盗まれていて、それらがいろんな人に「以下の資料について御考察をお願いします」という僕名義のメールに添付されて送られたんです。

塚本:侵入されていたことに気づかず?

城内:気づかずですよ。「こんなメールを送ったか」という問い合わせが相次いで寄せられた後、関係当局から「サイバー攻撃されていませんか」と言われて、気がついたという感じですよね。僕からメールを受け取った知人の1人が当局に知らせたんですね。

塚本:怪しげなメールは僕のところには届かなかったので、北から「塚本は大したことはない」と認定されたのかと、ちょっとがっかりました(笑)。

城内:塚本さんとは最近メールのやりとりしていなかったからじゃないですかね。

 おかしなことはあったんですよ。今回の攻撃の前に、韓国のシンクタンク、国家安保戦略研究院の研究者の名前で、セミナーを開くので参加をお願いします、ついては添付ファイルの用紙に名前その他を記載して送り直してください、とメールが来て、それに返信したことがある。その後、セミナーの案内が来ないことから考えると、どうもそれだったんじゃないかという気がするんです。

 最近になって判明したんですが、北朝鮮の国家保衛省、つまり秘密警察の所属で「キムスキー」というサイバー集団があるんだそうです。別名で「ベルベット・チョリマ(紫の千里馬)」ともいうらしい。

 民間セキュリティ会社などのレポートを見ると、「キムスキー」のサイバー攻撃の対象としては、まず韓国やアメリカの情報機関があり、次に北朝鮮や朝鮮半島に関わる専門家やジャーナリストなんだそうです。

塚本:そうなんですね。

城内:だから、狙っていただいたというのはある意味光栄だったのかな、という気はしますけどね。

 そして、去年の夏には、また別の組織から攻撃を受けたんです。「APT37」というところで、やはり北朝鮮のハッカー集団です。だけど、具体的な所属は分からず、保衛省だとも偵察総局だとも言われているようです。とにかくえらい目に遭いました。

塚本:夏というと、この本を出版した後ですよね。となると、出版したことへの意趣返し、仕返しということだったんでしょうかね。

城内:意趣返しの可能性もあるでしょうね。それに加えて、僕の本は入手した資料を中心に書いているから、「あいつは一体どこを情報源にしているのか」と探ろうという意図もあったんだと思います。

塚本:あぶり出しですね。

城内:恐らくそうだと思います。

 一昨年10月まで北京に4年間いたときもそうだったんですが、取材メモを記録として残す際、取材対象については「キツネ」とか「タヌキ」とかあだ名をつけて実名による記録をしなかったのは正解でした。そうしておかないと、何かのときに情報提供者に迷惑がかかってしまいますから。

地道に「内部協力者」づくり

塚本:本の前書きに、北の取材協力者が摘発されて立ちくらみを覚えたと書いてありました。この協力者、その後、ひどい目に遭わずにすんだのですか。

城内:聞いていないですね。摘発された協力者も僕との関係が原因だったのではなく、別の理由によるものだったようですが、その後まもなく解放されたと聞き安心しました。

塚本:それはよかったです。

城内:ただ、去年の4月頃ですか、世界的に新型コロナウイルスが大騒動になってから、協力者との連絡はほとんどできなくなりました。

 僕は中朝の国境にエージェントを置いていて、協力者が北から中国に出てくると連絡してくることになっていたのですが、北朝鮮が昨年1月に中朝国境を全面封鎖してから、協力者そのものが中国に出てきていないのだろうと思う。

塚本:城内さんと北京駐在時期がかなり重なっていたのですが、城内さんがどこに食い込み、どういう取材をしているかなんてもちろん分からないから、城内さんのすごさを本当はよく分かってないところが僕にはあるんです。

城内:いや、すごくなんてないです。単に人と酒を飲むのが好きなだけなんです。北の人と飲んでいると、ぽこぽことあぶくのように話が出てくる。

塚本:でも、こうやって北のナマの情報を取るという、すごいことをされているわけです。本で紹介された北朝鮮の内部資料など大量ですよね。

城内:そうですね、ある部署のものががばっとまとめてあったり、バラバラのものも含めてざっと1400件。ただ、半分以上はまだ読めていません。

塚本:価値のある資料をもらえるようになるにはやっぱりかなり時間がかかったんですか。

城内:僕は1回目の北京赴任のときは2006年から2008年までいて、その当時に協力者を育てていました。ところが2013年の暮れに張成沢(チャン・ソンテク=当時国防委員会副委員長、党行政部長。金正恩=キム・ジョンウン=総書記の義叔父)が粛清された。これでいったんは協力者との関係が切れてしまったんです。

 実は同年11月下旬、張派の副部長が処刑されたという連絡は来ていました。でも僕は忙しさにかまけて、全然気に留めていなかった。ところが、それからあれよあれよと張成沢にまで手が伸びたんです。

塚本:そうだったんですね。

城内康伸さん

城内:それで、2009年から2年間ソウルに赴任したときに、1カ月に1回のペース、2年で24回中国に入って、あらためて協力者づくりに力を入れました。そのときから育てたのが2人ほどいて、あと2、3人は、2015年に再び北京に赴任してから新たに関係を築いた人たちです。その中でズブズブの協力者は2人ぐらいでしたね。彼らが、平壌から中国に出てくるときに内部資料を持ってきてくれる、という感じです。

 こんな裏話を明らかにしすぎると、中国の警戒が厳しくなるかもしれませんね。取材で付き合いがあった人の中からも「危ないから来ないほうがいいですよ」と言われちゃいました。

厳しくなった中国での活動

塚本:この本を読んでいると、城内さんの後ろ2メートルをピタリとひっついて歩くという……。

城内:強行監視ですね。組織によって強制尾行と言ったりもするらしいですね。

塚本:僕は残念ながら、強行監視まではされたことないですね。

城内:でも、尾行したり嫌がらせされたりは当然あったでしょう。

塚本:ありましたね。なので、僕も中朝国境に行くときは、普段使いの携帯は北京に置いていっていました。当時は、無記名で携帯電話の番号を買えたじゃないですか。

城内:50元ぐらいでね。

塚本:中朝国境ではそれを使っていました。

城内:僕も当時は3つか4つ携帯を持っていて、ディープ・スロートとの間の連絡には毎月番号を変えていましたね。ところが今回中国に行ったら完全に実名制に変わっていて、身分証明書を出さないと売ってくれなくなっていたんです。しかも、今では列車に乗るのだって、パスポートを出さないと切符が買えないでしょう。だからもう逃げようがない。

塚本:完全にそうなんですね。

城内:あとはGPSを使って追いかけているでしょうし、我々が一緒にいた十数年前に比べればあちこちに監視カメラがありますし。

塚本:いよいよ厳しいですよね。

城内:1回限りでしたが、強行監視は本当に気持ち悪かったですね。ぴったり2メートル間隔を空けてくっついてきて、こちらがコーヒーショップなんかで腰を落ち着けると、真横に座ってビデオカメラを回し始める。要するに何もするなという話でしょう。そのまま帰りなさいよ、と。

会えなかった「ブラック・ヴィーナス」のカウンターパート

塚本:北京では、映画ばりの秘密接触をされていたとも聞きましたが。

城内:日本でも、2018年製作の韓国映画『工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男』は公開されましたっけ?

塚本:2019年にされました。

城内:この映画は要するに、「ブラック・ヴィーナス」というコードネームの韓国のスパイが、北朝鮮の核開発計画について調べるために北に侵入するという密命を帯びて、中国で北の人間と接触し、最後は金正日(キム・ジョンイル)に北で会うという実話に基づいたストーリーで、僕も北京駐在時代にネットで観ました。

 その後たまたま関係者と話していたら、ブラック・ヴィーナスのカウンターパートがまだいる、と言うんです。

「中国でまだ泳いでいるぜ」

 と言うから、これは面白いと、

「じゃあぜひとも会えないか」

 と、紹介してくれるようお願いをした。

 本名はリ・ホナムといって、かつては韓国の財閥トップや実力者と頻繁に会っていたそうです。日本語もできるという。工作機関の所属経験もあるということでした。紹介してくれた人は、

「あいつ、今、往事の勢いを失ってしまって金がない。会えば“チャビチュセヨ(車代をくれ)”って無心するだろう」

 と言いつつ、

「彼はとにかく自慢話をする。“誰を知っている、南朝鮮のこいつに会った、あいつに会った”と。それをふんふんと聞いてあげていれば、きっと何か面白いことを教えてくれるよ」

 と話してくれた。そこで僕は何度も電話したんですが、結局出てくれなかった。これは残念でした。

塚本:そうだったんですね。高麗航空の職員など、北朝鮮の人たちは目に見える形で北京にいっぱいいますが、それ以外にも工作担当者などが多くいるわけですね。やはり映画ばりですね。

減っていく「北担当記者」

城内:塚本さんと同じく北京に駐在していた2006年から2008年の時期は、核をめぐる6カ国協議が行われていましたよね。この取材に時間をとられたわけですけど。

 ところが2015年に北京に行ったら、米朝交渉は中断したままで、そんな協議も開かれていないし、北朝鮮担当としてさて何をしようかなと思ったときに、やはり北朝鮮の中を見る、という作業をやってみようと、ちょっと視点を変えたんです。

 それをやるには、北の人間と接触を密にしなきゃいけない。そこで協力者づくりという作業もした。それがなんだか『007』ぽいな、と。工作員とか情報機関のまねごとをやっているようでなかなかおもろいなと、思っていましたね。

塚本:確かに2006年から2008年の北京には、我々以外にも北朝鮮担当記者は割といましたね。その後、6カ国協議はなくなるわ、日朝協議もなくなるわというので各社とも減らしていきました。『NHK』はまだ残していますが。

城内:僕が日本に帰ってくる直前は、北朝鮮担当記者を置いている日本メディアは『東京新聞』と『NHK』、それに『共同通信』の3社だけになっていました。

塚本:城内さんが帰国してから、『東京新聞』も担当を置かなくなったんですか。

城内:僕で終わりでしたね。

塚本壮一さん

塚本:僕が北京にいたとき、各国の外交官や情報関係者が城内さんにすごく会いたがって、

「城内さんの連絡先を教えてください」

 とか、よく僕に言ってきましたよ。また、

「城内さんが会っている北朝鮮の人間はこれですか」

 と僕にコンファームしにきたりとかもありましたね(苦笑)。

「政権交代はない」と語った北朝鮮大使館員

城内:もう何年も、日韓間で従軍慰安婦への賠償金が問題になっていますね。最近はそれに加えて徴用工の問題もクローズアップされています。

 僕は北京駐在の北朝鮮大使館員とも付き合わせてもらい、一緒に酒をずいぶん飲みました。そういうときは先方はだいたい2人で来るのですが、1人はたいてい日本語のできない若手だったりします。で、あるとき、年長の大使館員が若手にとうとうとこう語るんです。

「日本はな、これまで慰安婦の問題でさんざん南朝鮮と合意をしているんだ。それなりの措置もとっているんだ」

 僕は驚いちゃって、思わず「ありがとうございます」と頭を下げちゃいましたよ。すると年長の大使館員は、

「城内先生、我が共和国は南朝鮮のようなことは決してありません」

 と言うわけです。合意を反故にしたりはしない、と。それはどうしてなのか、と聞くと、

「共和国では政権が交代することは決してありません」

 と。面白かったですね。

 もちろん、日本人である僕に対しての気遣いもあるんだろうけど、日本は相応の措置は取ってきたんだと自分の同僚にしゃべっているのは、新鮮な感じでしたね。

 全然学術的でもジャーナリスティックでもないけれども、こんなエピソードがいっぱいあふれていた。ただし、大方のエピソードは書くと、誰のことかが分かる可能性があるから、危なくて書けないんです。(つづく)

 

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執筆者プロフィール
城内康伸(しろうちやすのぶ) 1962年、京都市生まれ。早稲田大学法学部卒。1987年、中日新聞入社。東京新聞(中日新聞東京本社)社会部で警視庁捜査二課を担当、サブキャップなどを務める。1993~1996年、2000~2003年、ソウル特派員、同支局長。その後、社会部デスク、北京特派員、外報部デスクを経て、再びソウル支局長、北京特派員に。現在、東京新聞(中日新聞)外報部編集委員。著書に『昭和二十五年 最後の戦死者』(第20回小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞)、『シルミド―「実尾島事件」の真実―』『猛牛(ファンソ)と呼ばれた男―「東声会」町井久之の戦後史―』、『金正恩の機密ファイル』など。
執筆者プロフィール
塚本壮一(つかもとそういち) 桜美林大学教授。1965年京都府生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科を卒業後、NHKに入局。報道局国際部の記者・副部長として朝鮮半島の取材・デスク業務に携わり、2002年の小泉首相訪朝など北朝鮮・平壌取材にもあたった。2004年から2008年まで北京に駐在し、北朝鮮の核問題をめぐる六者会合や日朝協議で北朝鮮代表団の取材を担当。2012年から2015年まではソウル支局長として、李明博・朴槿恵両政権下で悪化した日韓関係や、旅客船セウォル号事故などを取材した。ニュース「おはよう日本」の編集責任者、解説委員を務め、2019年に退局後、現職。
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