女王を支えた70年:エディンバラ公爵の逝去に思う

執筆者:君塚直隆 2021年5月2日
タグ: イギリス
エリア: ヨーロッパ
フィリップとエリザベス2世。2003年、スコットランドにて (C)AFP=時事
1947年の結婚以来、夫として最も近くでエリザベス2世を支え続けたエディンバラ公。その生涯を振り返る時、現代において立憲君主制が持つ意味と、その維持に伴う困難さについて考えさせられる。

「100歳までなんて生きたくない!これ以上老いさらばえるなんて想像できるか!」

 これは2000年8月にイギリスのエリザベス2世女王の母君、エリザベス皇太后が100歳の誕生日を迎え、国民から歓呼をもって祝福を受けていたさなかに、女王の夫君エディンバラ公爵フィリップ殿下が思わず側近に漏らした言葉である。当時公爵は79歳だったが、それから21年後の2021年4月9日に老公は旅立っていった。この言葉が神に通じたのか、あと2カ月で満100歳の誕生日を迎えるところであった。

  時として「失言」「暴言」ともとらえられる、ブラック・ユーモアにあふれる言動でも知られたエディンバラ老公は明るく陽気な性格だった。しかしその一世紀に及ぶ人生は、まさに波瀾万丈の物語でもあった。

  ギリシャ王族の一員としてコルフ島(ギリシャ西北部のケルキラ島)で生まれたフィリップ王子は、生後わずか1年半にしてクーデタで国を追われ、一家はパリへ、そして彼は母方の実家のあるイギリスへと移り住んだ。そんな彼に運命の女神が微笑んだのが第二次世界大戦が勃発する直前の1939年7月のことだった。彼が学んでいた海軍兵学校を国王ジョージ6世一家が訪問したのである。このとき13歳だったエリザベス王女は、長身でハンサムな18歳のフィリップに「ひと目惚れ」したとされている。

 2人はこれ以後たびたび文通を続けたが、やがてフィリップは大戦に従軍した。その彼も1945年9月2日には東京湾に停泊していた駆逐艦ウェルプから、アメリカの戦艦ミズーリで日本政府代表が降伏文書に調印する歴史的な場面に遭遇することになる。

  戦争終結から2年後の1947年11月20日に、フィリップはエリザベス王女と華燭の典を挙げた。戦後の混乱からまだ抜け出ていない当時のイギリスでは、2人の慶賀はまるで我が家の祝い事であるかのごとく、国民全体から熱い祝福を受けた。2人は翌年に生まれたチャールズをはじめ、3男1女の子宝にも恵まれていく。

 海軍でのさらなる栄達を望んだフィリップの希望が打ち砕かれたのは、結婚からわずか4年ほど後の1952年2月のことだった。ジョージ6世が急逝し、妻がエリザベス2世として女王に即位したのである。それからの70年近くにわたり、フィリップはつねに女王より数歩下がって彼女を支え続けていった。

世界で一番除幕式に立ちあった男

  エリザベス2世は、現代世界でも最も忙しい人物のひとりである。70年にわたる治世のあいだに、実に110回も海外を公式訪問し、訪れた国や地域はのべで350を超えている。旅をした総距離は地球を42周した計算になる。そのほとんどすべてに同行したのが夫君フィリップであった。1975(昭和50)年には女王とともにこの日本も訪れている。イギリスの君主が訪日したのはこれが初めてのことであった。

 「君臨すれども、統治せず」の言葉にあるとおり、立憲君主であるエリザベス2世は、日常の行政や立法、司法や外交、軍事はすべて政府や議会、裁判所、そして職業外交官や職業軍人に任せている。とはいえ、彼女は国家元首にして国民統合の象徴でもある。さらに現代イギリスの君主に特有な役割が、カナダやオーストラリアといった自治領諸国にとっても「女王」として君臨しなければならないことである。エリザベス2世は、イギリス以外の世界に拡がる15カ国の君主も兼ねている。もちろん日常の統治は各国に駐在する総督に任せているが、可能な限りは各地を巡回し続けてきた。

  そしてエリザベス2世が70年に及ぶ治世のなかで特に重視してきた役割が、コモンウェルス(旧英連邦諸国)の首長としてのものであろう。かつては植民地として、帝国主義時代に搾取の対象とされてきた国々ではあるが、その多くが独立後もイギリスや自治領とのつながりを大切にし、2021年現在では54カ国が加盟している。それらの国の総面積は地球の5分の1、総人口は3分の1(約24億人)にも及んでいる。

  この類い稀なる共同体は、軍事同盟や経済協定といった短期的な問題ではなく、人権や地球環境問題といった、人類全体がより長期的・包括的に取り組まなければならない問題を協議するために、2年に1度ずつ加盟国が輪番制でホスト国になり、首脳会議を開いている。こうした場で、時として歴史に刻まれるような出来事も生まれてきた。コモンウェルスから離脱した南アフリカ共和国における「人種隔離政策(アパルトヘイト)」の廃絶にひと役買ったのもこの会議であり、さらには各国首脳らを動かした女王陛下だった。

  このような歴史的な場面において、フィリップはつねに女王の傍らに控え、彼女を支え続けていたのである。

  そのフィリップがすべての公職からの「引退」を表明したのが2017年5月のことだった。この翌月で彼は満96歳の誕生日を迎えようとしていた。妻エリザベスが女王に即位してからの65年のあいだに、フィリップが担った単独公務の数は2万2219件にも及び、単独で海外を訪れたのは637回、レセプションなどでおこなったスピーチは5496回にものぼった。「私は世界で一番除幕式に立ちあった男だろうな」との言葉も残している。

  何よりも大変だったのはフィリップが「パトロン(総裁・会長)」として関わっていた各種団体の仕事であったろう。イギリス王室は、19世紀のヴィクトリア女王(在位1837~1901年)の時代から、様々な慈善団体を立ち上げたり、支援してきていた。21世紀の現在、20人ほどの王族だけで実に3000にも及ぶ各種団体のパトロンを務めている。引退を表明したフィリップの場合には2017年時点でなんと785もの各種団体を束ねていた。それは王族のなかでも最大の数に達していた。

  しかもひとくちに「団体の長」といってもそれは単なるお飾りではない。ここで一例を挙げてみよう。2013年4月にフィリップが連隊長を務めるカナダの近衛連隊が連隊旗を新調することになった。ついては連隊長自らがそれを連隊に渡すことになった。その2カ月後に92歳を迎えようとしていたエディンバラ老公である。カナダに常駐している副連隊長に託してもよかったはずだ。しかしこの老公は5000キロ以上もかなたのトロントまで軍用機で飛び、一連の行事を終えるやすぐさまイギリスにとんぼ返りを果たし、帰国した翌々日には女王とともに、国賓として訪英していたアラブ首長国連邦のハリファ大統領(アブダビ首長)をウィンザー城で何事もなかったかのように接遇したのである。

ただただ体制を維持しようとする連中

  このように1日に何件もの公務を「はしご」するのが常態だった老公も、ついに引退を申し出た。とはいえ90歳をはるかに超えた老人の日常の生活として、それはあまりにも「超人的」なものであったといえよう。老公の最後の公務は、引退表明から3カ月後の2017年8月2日に自らが元帥を務める王立海兵隊の閲兵式であった。小雨が降りしきるなか、バッキンガム宮殿の前庭で行進する海兵隊の姿を、老公は最後までじっと見つめていた。これがフィリップにとっての「最後のお務め」であることを知り、宮殿の周りを取り囲んでいた人々からは、行進する海兵隊員に対してだけではなく、それを見守る元帥たる老公にも盛大な拍手が送られていた。

  ヴィクトリア女王の夫君であったアルバートとは異なり、フィリップには「王配殿下(Prince Consort)」の称号が授けられることはなかった。アルバート(ドイツ貴族の出身)も当初は「外国人の旦那」としてイギリスで人気のない存在であったが、その誠実な人柄と明晰な頭脳により最後には人々から慕われていた。

 「女王の夫君」とは大変な役割である。宮廷での格式にしても、国王の配偶者は王妃で「陛下」と呼ばれるのに、女王の夫は「殿下」と一段下がる尊称になってしまう。

  オランダでは20世紀に3代にわたって女王の御代が続き、そのたびごとに王配たちが妻との不和や収賄、うつ病など様々な問題に見舞われてきた。デンマークのマルグレーテ女王の王配ヘンリク殿下は、晩年には認知症を患ったこととも関係し、自分を「国王陛下」にしろとメディアに向かって訴えたこともあった。

  しかしイギリスではそのようなことは生じなかった。エリザベス自身も回想しているが、女王とは孤独なものである。重大な決定をくだすのは彼女だけである。そのなかでも最も重要な助言者として女王を支え続けていったのがフィリップにほかならなかった。その彼を失い、女王が今後も頼りとするのが、チャールズをはじめとする子どもたちや、ウィリアムを筆頭とする孫たちになろう。そのような矢先にヘンリ(ハリー)王子夫妻が王室を離脱したのは大きな痛手となっている。エディンバラ老公が最後の公務を飾った海兵隊の後任の元帥に就いたのは、ほかならぬハリーだったのである。それも剥奪されてしまった。

 「ヨーロッパの君主制の多くが、その最も中核に位置する、熱心な支持者たちによってまさに滅ぼされたのである。彼らは最も反動的な人々であり、何の改革や変革も行わずに、ただただ体制を維持しようとする連中だった」。

  21世紀のこんにち、人々の思考や物事が日々移り変わる激動の現代社会のなかで王室の意義を見いだそうとするとき、自らの体験に根ざしたこのエディンバラ老公の言葉は、私たちに多くのことを教えてくれているように思えてならない。

カテゴリ: 社会
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執筆者プロフィール
君塚直隆 関東学院大学国際文化学部教授。1967年東京都生まれ。立教大学文学部史学科卒業。英国オックスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジ留学。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了。博士(史学)。東京大学客員助教授、神奈川県立外語短期大学教授などを経て、関東学院大学国際文化学部教授。専攻はイギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治史。著書に『立憲君主制の現在』(新潮選書/2018年サントリー学芸賞受賞)、『ヴィクトリア女王』(中公新書)、『エリザベス女王』(中公新書)、『物語 イギリスの歴史』(中公新書)、『ヨーロッパ近代史』(ちくま新書)、『悪党たちの大英帝国』(新潮選書)、『王室外交物語』(光文社新書)他多数。
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