キューバの変革:二重通貨制度廃止のインフレ

執筆者:山岡加奈子 2021年6月1日
カテゴリ: 政治 経済・ビジネス
エリア: 中南米
店の前で行列を為すひとびと(C)EPA=時事
二重通貨制度の廃止に踏み切ったキューバを襲った急激なインフレ。自由市場からモノが消え、闇取引が行われている。

 

 コロナ・パンデミックに襲われたキューバの2020年GDP(国内総生産)成長率は、マイナス11%を記録した。これはソ連が崩壊した1991年とほぼ同じ水準である。

 キューバ政府は基本的に、経済危機が深刻になって国民の不満が高まり、追い詰められるまでは改革をしない。その意味では、今回のコロナによる経済危機はいい機会と言えるわけで、2021年1月から施行された改革はその表れであった。

 ただし、その3カ月後に開催された今年4月の第8回党大会を見ると、勇み足で始めた1月からの改革が足踏みした印象である。

懸案だった二重通貨制度

 キューバ政府が今年に入って実施した改革は2つある。

 1つは「金融の秩序化」(Ordenamiento Monetario)と呼ばれる二重通貨制度の廃止である。これは10年前の第6回党大会から取り組むと発表されていたもので、今年1月1日に実施された。

 キューバでは1994年から1ドル=1ペソの交換レートを持つ「兌換ペソ(CUC)」と、一般の労働者が受け取る賃金、公共料金や配給物資の支払いに使われる外貨交換できない「非兌換ペソ(CUP)」の2種類の通貨が流通し、1兌換ペソ=24非兌換ペソのレートで交換されていた。

 2004年には、ブッシュ(子)米政権(当時)による対キューバ経済制裁強化に反発したフィデル・カストロが米ドルの流通を停止。国内の外貨店での支払いは兌換ペソのみとなるなど、兌換ペソは広く使われてきた。

 この二重通貨制度は、赤字国営企業の保護に使われた面が強い。財務体質が悪化した国営企業に対して、1兌換ペソ=24非兌換ペソの一般レートではなく、1兌換ペソ=1非兌換ペソ、あるいは1兌換ペソ=5非兌換ペソなど、非兌換ペソを過大評価したレートを適用することができたからだ。

 一方で輸入企業を優遇し、輸出企業の競争力をそぐ側面もあり、早い時期から二重通貨制度を廃止する必要性は指摘されてきた。

 政府の経済統計を検討する際にも、この二重通貨制度は障害であった。政府は一部の国営企業に優遇為替レートを適用し、自営業や協同組合には1ドル=1兌換ペソ=24非兌換ペソの並行レートを適用していた。GDPの何%が優遇為替レートで計算されたのかは常に不明であり、米ドル建てで計算した経済規模がわからない状態が続いてきた。

 今回の二重通貨制度の廃止により、兌換ペソを廃止し、非兌換ペソ1種類を流通させることになった。1ドル=24ペソの固定為替レートが発表されたので、少なくとも2021年度からの経済統計は米ドル建ての値が求められるようになるはずだ。

物価が4~5倍に

 中国やベトナムでも1990年代に兌換通貨と非兌換通貨の二重通貨制度の廃止が実施されたが、これにより自国通貨価値の過大評価が表面化した。両国とも廃止直後からハイパーインフレとなり、収束まで2~3年を要している。

 キューバ政府はこのコストを考えて、長年同制度の廃止を先送りしてきた。しかしコロナ危機により、抜本的な改革をする必要がある、とついに腹を決めたということになる。

 ところが中国やベトナムの場合は、それまでに市場メカニズムの大幅な導入が行われ、民間部門の経済活動の自由度が拡大していた。両国の経済は二重通貨制度の廃止前に高成長を記録し、ハイパーインフレに耐えるだけの余力があった。

 これに対してキューバの場合は、経済は低成長のまま、コロナ危機に押されて制度廃止を断行した格好だ。

 対策として、物価上昇に備えて公的部門労働者の賃金を平均5.2倍引き上げること、「不当に価格を吊り上げる場合は」高額の罰金を科すことが発表された。また、「農牧産品自由市場」や「手工芸品自由市場」などの公営市場における価格に上限を設定し、価格統制を開始した。

 しかし米メディアによれば、二重通貨制度の廃止が発表された2020年12月10日の翌日から自由市場の価格が4~5倍に上昇したという。

 政府は1月から価格統制を行い、インフレ抑制に乗り出したが、人々は価格統制された市場に物を売りに行かなくなり商品は闇市場に消えた。食料や衣類などは闇で購入せざるを得なくなっていると考えられるが、闇市場は当然政府の価格統制の外にあり、市場メカニズムが機能するため、高価格となる。

自営業の職種拡大も実施されたがーー

 キューバ政府が実施したもう1つの改革が、2月に入って行った自営業者の職種の大幅拡大(127種から2000種以上へ)である。これによって医療・教育などの一部の職業を除き、ほぼすべての仕事に自営が認められたが、コロナ下では投入財の入手が難しい。

 自動車の修理のための部品はすべて輸入に頼っているが、貿易は政府に独占されており、その政府は外貨不足のために十分な量を輸入できないでいる。観光客が来ないので、レストランは休業せざるを得ない。公共交通機関は止まり、買い出しのためには自分で運搬手段を調達しなければならないが、流通はすべて国家独占である。

 自営業の拡大は歓迎すべきだが、現在はまだその効果が期待できる段階ではない。コロナが収束してから、自営業が発展するかどうかが問われることになるだろう。

長蛇の列ができる国営外貨店

 この状況下で、国民生活は一層厳しい状況が続いている。

 政府が国民に保障する生活必需品の配給は遅配・欠配が目立ち、鶏肉やせっけんなど生活必需品は、国営外貨店でしか購入できなくなった。

 前述の通り国営外貨店の価格は1ドル=24非兌換ペソの公定レートで計算され、公務員が賃金として受け取る非兌換ペソでも買い物ができるが、商品の入荷量は限られており、外貨店の前では早朝から長蛇の列ができる。列の後ろの方の人は買えないことも多い。

 またそもそも外貨店の価格は、非兌換ペソの収入しかない公的部門労働者には高価である。公的部門労働者の賃金は5倍に引き上げられたので、国営外貨店での買い物に限れば、購買力は5倍になった。需要は高まったが政府が外貨で輸入する商品の供給は増えず、外貨店でも品不足が続いている。

 米マイアミのメディアは、外貨もなく多額の非兌換ペソの現金も持たない人々が物々交換をしていると報じている。子どもの食べ物を買うために、自分のよそ行きの服を自宅で売ったり、直接食べ物と服を交換したりしているのだ。

 1米ドル=24ペソの公定レートについても、現在闇ドルレートは1ドル=50~60ペソと伝えられている。政策の上で市場メカニズムを否定しても、現実の生活の中では闇市場という形でそれが機能する。今のところ恐れていたほど闇ドルレートは上昇していないが、経済が回復すれば米ドルの需要が高まり、闇レートも上昇する恐れは残る。

 コロナ禍の中で窮乏する国民の不満は久しぶりに高まっている。

 1990年代からキューバに関するニュースを報道する米国マイアミのネットニュースのCubaNetは2021年1月5日、2020年のデモの回数は3倍に増えたと報じた(Se triplican protestas públicas en Cuba en últimos cuatro meses de 2020 (cubanet.org)

 政府は国民の不満を抑えるためにも、大胆な経済改革を実行する必要に迫られている。

中国やベトナムのような経済改革は行わない?

 しかしながら、このような状況である割には、第8回共産党大会の前後に発表された経済改革や方針は、今一つ熱意に欠けるのである。

 実際に党大会での議論を見てみると、基本的には10年前の第6回党大会で決められた「党と革命の経済社会政策に関する指針」を引き続き実行に移していく、という決議が可決されたにとどまっている。

 市場経済化や資本主義的な制度の導入を警戒していることは、今回の大会の決議の中に、「生産者や商業活動に参加する業者が、社会の利益や原則に反する悪習や投機、条件を押し付けることを防ぐ必要がある」と書かれていることにも表れている。確かに、不当な価格のつり上げを政府が防ぐことは必要だし、大多数の資本主義国の政府でもそのような政策をとれるようにしている。

 ただ今のキューバの物価上昇は、1月に二重通貨制度を廃止したために起きたインフレを、価格統制で乗り切ろうとしている政府の政策の問題にある。政策の上で市場メカニズムを否定しても、現実の生活の中では公営自由市場から商品が消え、闇市場に流れるという形でそれが機能する。 

 また、ミゲル・ディアスカネル新第一書記は演説で中国やベトナムの経験に触れたが、問題はその触れ方である。

 中国もベトナムも社会主義計画経済の重要性を確信しており、それぞれ試行錯誤を繰り返して現在に至っているのだ、と述べたのだ。つまり中国やベトナムの経済における民間部門の役割の重要性には触れず、これらの国々が言説としては、現在も社会主義経済の建設を標榜していることを強調しているように映る。キューバがこれから中国やベトナムのような経済改革を行うことはない、と示唆しているように思われる。

更なる経済改革には慎重姿勢

 このように国内外の期待をよそに、キューバの指導部は、大規模な改革には慎重な姿勢を崩していない。

 現在の指導部の希望の星は、キューバ国内で開発された5種のコロナワクチンである。このうちの3種については、国内の60歳以上の市民にボランティアを募り、今年3月には第3フェーズの治験を行った。

 ワクチンは3回接種とのことで、筆者の友人の大学教授2名が3月末に3回目の接種を終えたと聞いている。5月中には、首都ハバナの成人の住民全員にワクチンを少なくとも1回は接種し終える予定と4月に発表された。

 もしワクチンが効果を発揮し、コロナの集団免疫が確立できれば、外国からの観光客も呼び込めるし、国内の経済活動を再開できる。

 5月20日の政府発表によれば、全国で111万人に接種を行ったそうである。これは全国民の1割にあたる。キューバの現況や、政府が取り得る限界を考えれば、よい戦略である。

 ワクチンの成果は現時点ではわからないが、政府はとりあえずワクチン効果を見極めるまでは、さらなる経済改革は見送る公算が高い。キューバ政府は追い詰められれば改革をするが、そうでなければ改革をやめるのが、過去30年間繰り返されてきた習慣だからだ。

 ワクチンによって集団免疫を確立できれば、経済を全面的に再開し、1~2月に行った改革だけでどこまで国民生活を改善できるか観察するだろう。他方、ワクチンで期待したほどの効果を得られなければ、もう少し改革を進めるに違いない。

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執筆者プロフィール
山岡加奈子(やまおかかなこ) 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所 主任研究員。早稲田大学法学部卒業後、シカゴ大学大学院国際関係学科修士課程を経て、1989年にアジア経済研究所(現・日本貿易振興機構アジア経済研究所)に入所。地域研究センター・ラテンアメリカ研究グループ主任研究員を務める。1994年~1996年に在ハバナ海外派遣員(キューバ共産党中央委員会付属アジア・オセアニア研究所客員研究員)、2005年~2007年に在ケンブリッジ海外調査員(ハーバード大学ロックフェラー・ラテンアメリカ研究所および同 大学日米関係プログラム)。主な著作に『岐路に立つキューバ』(アジ研選書)、『岐路に立つコスタリカ: 新自由主義か社会民主主義か』(同)、『ハイチとドミニカ共和国: ひとつの島に共存するカリブ二国の発展と今』(同)がある。
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