“認知戦”の時代に必要な若者の政治教育と政治リテラシー

執筆者:石川雄介 2022年10月15日
ロシア・ウクライナ戦争を教育の“タブー”にしてはならない[ウクライナに関する記述が盛り込まれた教科書](C)時事
米中対立やロシア・ウクライナ戦争など、国際社会の地政学・地経学的な緊迫が高まるとともに、SNSによる情報操作や偽情報など認知戦領域の脅威も増している。「中立性」の名の下、センシティブな内容や意見が対立するテーマを排除してきた従来の日本の政治教育は、この現実に対応できない。

 ロシア・ウクライナ戦争開始から8カ月弱、日本の教育現場での政治・安全保障教育は戦争前と大きく変わることはなかった。侵略直後こそロシアによる戦略を学校教育においてどう扱うのかと議論にはなったが、蓋を開けてみれば、例えば、鳥取県では鳥取市内の中学校・高校18校中1校しかロシア・ウクライナ戦争を授業で扱っていないという。

「政治」不在の政治教育

「教育者が政治問題に触れることを恐れて、結局教育の中に正しい政治的判断をする力が養われないような、そういう無気力な教育になってしまう虞れがある」。1954年、教育二法(詳細は後述)に関する法案審議での鵜飼信成(憲法学者、東大教授)が表明した危惧が、改めて現実のものとなっている。

 日本の教育政策において、「政治教育の中立性」をめぐる課題は、1950年代から国際的な政治教育の潮流を踏まえることなく放置され続けてきた。しかし、米中対立やロシア・ウクライナ戦争を始めとした地政学・地経学的な対立が激化する中で、認知戦、情報戦、サイバー戦は常在戦場で行われ、国家と国民の基盤が蝕まれている。SNSによる情報操作や偽情報(ディスインフォーメーション)などにより民主主義への脅威も顕在化している。こうした認知戦に勝ち抜く上でも、政治教育に「政治」性を取り戻し、政治リテラシーを向上させる必要がある。

政治教育は1950年代から封じられている

 政治や安全保障についてはじめに学ぶ場所である初等・中等社会科(公民科)教育では、「政治的中立」という名のもとに、センシティブな内容や、意見が対立するようなテーマが排除されてしまっている。なぜ積極的な政治教育が学校で行われないのか。その根源は、1950年代の教育二法(「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法」及び「教育公務員特例法の一部を改正する法律」)制定、その後の1960年の学習指導要領まで遡る。

 戦後当初の日本の社会科教育は、実際の政治問題をもとにした問題解決型、そして、民主主義実践型の教育からはじまった。例えば、吉田定俊による「水害と市政」という教育実践においては、生徒自身の水害の体験をもとに、過去の水防計画も参考にしながら今後のあるべき水防計画についての検討がなされていた。ところが、1950年代、日本の再軍備について保守と革新派での対立が深まる中、教育委員会が「偏向している」という理由から教職員組合が作成した教材の利用を禁止するなど、いわゆる「偏向教育」が問題視され始めた。そうした流れを受けて、1954年に教育二法が制定され、「政治的中立」の確保のために、教員の政治的行為が制限されるとともに、教員への教唆扇動を通じた「特定の政党などを支持させ、またはこれに反対させる教育」が禁止された。

 1947年の教育基本法の時点で特定の政党を支持する政治教育は法律上禁止されていたものの、1954年の教育二法の成立により、改めて「政治的中立」の徹底が図られることになった。そして、その「政治的中立」の要請は、1960年の学習指導要領(第3次改訂)において色濃く現れた。「政治・経済」科の目標に、日本の政治、経済、社会に関する「客観的理解を得させる」という文言が追加され、『指導計画作成および指導上の留意事項』においては、「政治に関する事項の取り扱いについては、教育基本法第8条の規定に基づき適切に行なうよう特に慎重な配慮をしなければならない」と記載された。

 新聞界からNIE(Newspapers In Education=教育に新聞を)活動などの働きかけもあり、今でこそ新聞は教室での使用を推奨されている。だが、かつては「政治的中立性」を理由に、新聞を教室に持ち込むことさえ政治教育とみなされ、校長の許可がないと新聞記事すら持ち込めないという時期もあった。教育現場における政治的中立は、中立の徹底の過程の中で「非政治性」と解釈されてしまったのである。

イギリスとドイツにおける政治教育の変遷

 このように、日本の政治教育は1950年代に修正を余儀なくされた。論争を回避する政治教育の基調は現在も大きくは変わらない。例えば、山口の県立柳井高等学校にて、2015年、朝日新聞と日経新聞という複数の記事を用いて安全保障関連法案に関する議論を行い、その後実際に法案の採否について模擬投票を行う授業が行われた際には、自民党県議から「政治的中立性に欠ける」との指摘が入った。このような指摘は学校現場から政治に関する議論そのものを奪いかねない。

 現実の政治問題に触れない「政治」不在の政治教育が日本において主流であり続けた一方で、諸外国では試行錯誤の中で様々な取り組みが行われてきた。

 例えば、イギリスでは、戦間期や戦後直後においては教育現場での政治的な論争は避けるべきという見解が政府により示されていたが、1950年代ごろから徐々に潮流が変化した。紆余曲折を経て1998年には、政治学者バーナード・クリックを委員長とした諮問委員会が日本の公民科に該当するシティズンシップ教育についての答申書(Crick Report)を作成した。これは、イギリス政治教育のその後の方針に大きな影響を与えた。

 この答申書で注目すべきは、教師の「中立性」の意味を明確にし、教師の複数の政治教育へのかかわり方を提示した点である。同答申書では、①教師が一切の個人的な見解を表明しない「中立司会者(Neutral Chairman)」型、②生徒の判断材料を提供する目的であえて教師が別の意見を表明する「均衡(Balanced)」型、③教師自身の意見に対して生徒に賛否を述べさせる「明示参加(Stated Commitment)」型という3つの型を示している。同答申書も指摘をしている通り、政治教育を行うに当たっては、上記の型の1つだけを使うのではなく、複数の型を使い分けることが重要なのである。

 ドイツでも、1960年代に政治教育学者であるヘルマン・キーゼッケが、政治における対立の存在を前提として、現実の政治問題を歴史的な前提条件とともに学ぶ必要性を主張した。これを契機として、これまでの政治機構という制度的な知識を中心に取り扱う教育から、政治的な論争を扱う教育へと変化した。

 2003年には、政治教育学者によって「学校における政治教育のナショナル・スタンダード」が策定された。これをもとにして、ドイツでは、政治問題の論点を把握し、制度や過程、中長期的な影響といった複数の視点から分析を行い、実際に行動を行うための能力を育成する、といった習得されるべき政治リテラシーの内容が明確化され、それらの習得を目指す政治教育が行われている。

 また、ドイツでは、ナチスによる犯罪の歴史を後世に伝えるために、強制収容施設をはじめとした追悼施設を活用した教育が盛んである。そうした歴史教育には、政治教育への貢献、つまり政治リテラシーの向上も期待されている。言い換えれば、政治リテラシー向上への試みは公民科という科目の枠を超えたものとなっているのである 。

 但し、両国において、教師のスキル不足等により政治教育が掲げる目標を達成できていないという批判は少なからず存在し、必ずしも理想通りに実践ができているわけではない。また、政治教育が盛んにおこなわれているということ自体が、直ちにその国の政治問題の解決に繋がるわけではない。実際、欧州での政治教育は移民排斥運動などを防ぐまでには至っていない。

 しかし、政治教育を教育課程において積極的に位置づけることは、政治問題についての関心を高め、主体的に政治課題について考えるという、政治リテラシーの素地を育てるための国家としての意思表明に繋がる。政治教育という「種」がなければ、政治リテラシーという「花」は咲かない。

政治教育の素地を作るために

 日本において政治リテラシーを醸成するために、まずは1950年代から放置され続けてきた「政治的中立性」の理解と運用をアップデートすることで、政治教育を「リアルさを欠く政治学習」から「リアルな政治との対話」(提言「高等学校新設科目『公共』にむけて」)に変革する必要がある。

 今年度から始まった新科目「公共」では、多面的・多角的な考察や探究活動が重要視され、資料の収集方法や情報手段の特性といったメディア・リテラシー教育の充実が図られた。その一環として、現実の社会問題に関する議論や模擬投票などの体験学習への扉も少しずつ開かれてきている。「リアルな政治との対話」を行える環境をさらに整備していくためには、「政治的中立性」や「政治リテラシー」の概念とその運用について、公民科という科目の枠にとらわれずに改めて整理を行うことが求められる。

 加えて、他国との比較を通じて長期的、戦略的な(政治)教育政策を策定していくことも重要であろう。評価は割れているものの、安倍政権は、英国のサッチャー政権を参考に、教育基本法改正(第一次政権)や道徳の教科化(第二次政権)など、普段は外交安全保障や経済財政政策に影を潜めがちで改革の対象になりにくい教育政策や教育制度の改革にも注力した。岸田政権は何を目標に教育政策を進めていくのか。教育は国力の源である。日本の教育に関して長期的な展望を他国との事例も見つめつつ描いていかなければならない。

 

【主要参考文献】

近藤孝弘『ドイツの政治教育:成熟した民主社会への課題』、岩波書店、2005年

高元厚憲『高校生と政治教育』、同成社、2004年

戸田浩史「昭和29年の教育二法の制定過程 : 教育の政治的中立性をめぐる国会論議」、『立法と調査』305号、2010年、43-57頁

長沼豊、大久保正弘(編)『社会を変える教育―英国のシティズンシップ教育とクリック・レポートから』、キーステージ21、2012年

日本学術会議政治学委員会「提言 高等学校新設科目「公共」にむけて―政治学からの提言―」、2017年2月

Willeck, Claire., and Mendelberg, Tali. “Education and Political Participation,” Annual Review of Political Science 25, 2022, p.89-110

カテゴリ: 政治 社会
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執筆者プロフィール
石川雄介(いしかわゆうすけ) 公益財団法人国際文化会館 アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)/地経学研究所 研究員補。1995年名古屋生まれ。明治大学政治経済学部卒、英国サセックス大学大学院修士課程(汚職とガバナンス専攻)修了、ハンガリー・オーストリア中央ヨーロッパ大学大学院修士課程(政治学)修了。トランスパレンシー・インターナショナルのハンガリー支部でのリサーチインターン、APIでのインターン(福島10年検証プロジェクト)及びリサーチ・アシスタント(CPTPP・検証安倍政権プロジェクト)等を経て現職。専門は、ヨーロッパ比較政治、現代日本政治、政策過程論、ガバナンス、教育と政治、反汚職政策。
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