米紙が詳細な調査報道「ロシア軍の“歴史的失敗”はなぜ起きたか」

執筆者:名越健郎 2023年1月13日
エリア: ヨーロッパ
1月1日のマケエフカの攻撃で死亡したロシア兵を追悼するロシア国民。殺害された兵士は主にサマラ地方から動員された[1月3日、ロシア・サマラ](C)AFP=時事
ロシア軍は開戦時、キーウで軍事パレードを行うことを想定し、将校たちに軍服や勲章を持参するよう指示したという。「なぜ、世界最強の軍隊がウクライナ軍に惨敗を喫したか」――開戦以来のこの疑問に対して、米「ニューヨーク・タイムズ」紙は数百通に及ぶロシア軍や当局のメールや文書、捕虜の証言などを集め検証を試みた。

 

 ロシア軍のウクライナ侵攻は、ウクライナ軍が1月1日未明、東部ドネツク州マケエフカのロシア軍臨時兵舎を米国製精密誘導ミサイル、ハイマース(HIMARS)で攻撃し、動員兵ら多数の死者を出して越年した。

 ロシア国防省は89人が死亡と発表、ウクライナ側は約400人が死亡したとしており、単独の攻撃では最大規模の犠牲者が出た模様だ。兵舎のそばに武器・弾薬が置かれていたため、引火して大爆発が起きたとされる。ロシアのSNSでは、軍幹部の不手際を非難する政治家や元軍人らの書き込みがあふれた。

 ロシアのジョーク・サイトでは、「ロシア軍はウラジーミル・プーチン大統領の軍改革のおかげで、ウクライナ領内で2番目に強力な軍隊になった」とする自虐的なアネクドートも登場したが、冷戦期以来、米国と並ぶ強大な軍事力を誇ったロシア軍が予想外に弱かったことは、ウクライナ戦争の大きな謎だ。

 米紙「ニューヨーク・タイムズ」(電子版、12月16日)は、「プーチンの戦争」と題して、ロシア軍の「歴史的失敗」に関するインサイド・ストーリーを報じた。 この調査報道を基に、ロシア軍がなぜ苦戦するのかを探った。

パトルシェフ書記らが軍指導部の責任追及

 クレムリンの内情に詳しいとされる正体不明のブロガー、「SVR(対外情報庁)将軍」は3日、SNS「テレグラム」で、兵舎攻撃の報告を受けたプーチン大統領が1日夜のオンラインによる安全保障会議で、国防省や軍参謀本部の幹部を口頭で叱責したと書き込んだ。

 それによれば、会議では各組織から死者数に関する異なる情報や報告がなされたが、ニコライ・パトルシェフ安全保障会議書記は、死者・行方不明者312人、負傷者157人という数字を、名簿を添付して報告。「悲劇」の原因を軍指導者に求め、責任者の処罰と人事異動を要求したという。連邦保安庁(FSB)のアレクサンドル・ボルトニコフ長官もパトルシェフ書記の報告を支持し、軍参謀本部の責任を追及、大統領も同調したとされる。

 パトルシェフ書記やFSBは、軍指導部がこれまで、実際の損失や苦戦を秘匿し、大統領に虚偽の報告をしてきたことも問題視したと「SVR将軍」は伝えている。ただし、「SVR将軍」の書き込みには、フェイクニュースも少なくない。

 攻撃を受けた臨時兵舎は職業訓練学校を改装したもので、ハイマース4発の攻撃で全壊した動画がネット上で公開された。攻撃は1月1日午前零時1分に発生、犠牲者の大半は昨年9月の部分的動員令で徴兵された動員兵だったという。ロシア国防省は、携帯電話の使用を禁止していたにもかかわらず、多数の兵士が携帯を使っていたことで位置が特定されたと説明した。

 実際には、ウクライナのパルチザンが事前に施設を特定し、通報していた可能性もあるが、大量の部隊や砲弾を集約させるなど「人災」の要素もありそうだ。

米英の特殊部隊も協力か

 ドネツク州の親露派指導者、デニス・プシーリン「ドネツク人民共和国」代表代行は、自身のSNSで、負傷者のほぼ全員がモスクワなどロシアの他地域に移送され、治療を受けたとし、「仲間の仇を討つ英雄的な行動」を呼び掛けた。プーチン大統領は、負傷者らを救出した6人の軍人を表彰することを決めたという。

 ロシアのネット・メディア「ブズグリャド」は、「戦地での携帯電話の使用は強制的に禁止すべきだ。敵はそれによって軍の陣形や位置を探知し、司令部に送信してデータをリアルタイムで特定できる。米英の特殊部隊は通信手段を読み取るシステムを持ち、ウクライナ軍と共有している」とする軍事専門家の発言を伝えた。

 ドネツク州親露派のネット・メディア「今日のドンバス」も、軍事専門家の話として、「北大西洋条約機構(NATO)軍は衛星300基以上を保有してロシア軍の動向を追跡し、情報戦で圧倒的に優位に立つ。今回の攻撃は、ウクライナ軍が米軍顧問団と調整し、ゴーサインが出るとすぐに元旦攻撃を実行した」と伝えた。

 別の「ドネツク人民共和国」幹部は、「州の占領地には、頑丈な建物や地下室のある廃墟が多数あり、部隊を分散させるべきだった」とし、ずさんな部隊配備を決めた責任者の処罰を要求した。「マケエフカの悲劇」は、ロシア軍に多くの教訓と反省を残したようだ。

 一方、ロシア国防省は8日、ロシア軍が報復として、ドネツク州クラマトルスクのウクライナ軍臨時兵舎を攻撃し、600人を殺害したと発表したが、ウクライナ政府は全面否定した。各国のメディアもこの攻撃を確認しておらず、ロシア側は「報復攻撃の成果」を国内にアピールする必要に迫られたようだ。

地図は1960年代、武器マニュアルはウィキペディア

 ウクライナ侵攻後のロシア軍のずさんな戦闘ぶりは、「ニューヨーク・タイムズ」紙の調査報道に山のように紹介されている。同紙は、ロシア軍や当局者の数百通のメールや文書、侵攻計画、軍の指令、捕虜の証言など大量の情報を集め、「世界最強の軍隊がなぜ、はるかに弱いウクライナ軍に惨敗を喫したか」を描いている。

 同紙によると、ロシア軍は緒戦で古い地図や誤った情報に基づいてミサイル攻撃を行い、ウクライナの防空網は驚くほど無傷だった。ロシアが誇るハッカー部隊のサイバー攻撃も失敗に終わった。ロシア兵の多くは携帯電話を使って家族らに電話したために追跡され、攻撃の餌食になった。ロシアの航空機は次々に撃墜されながら、危機感もなく飛行を続けた。

 ロシア兵はわずかな食糧や弾薬、半世紀前のカラシニコフ銃、1960年代の地図を持ち、過密状態の装甲車に載せられて移動。使い方を知らない武器の説明書代わりにウィキペディアを印刷して戦場に赴いたという。

 ウクライナ軍の捕虜になったロシア軍旅団の兵士は同紙のインタビューで、「部隊の中には、これまで銃を撃ったことがない者もいた。航空機の援護や大砲はおろか、弾薬も乏しかった。当初は怖くなかったが、砲弾が飛び交い、仲間が倒れる戦場で、いかに自分たちが騙されていたかを悟った」と話した。

1時間前に侵攻を命令

 同紙によれば、侵攻計画そのものが杜撰で、ロシア軍は数日内に勝利することを想定、首都キーウで行う軍事パレードを意識し、将校らに軍服や勲章を梱包して持参するよう指示していたという。

 2022年2月24日の侵攻前、ベラルーシ領内には数万のロシア兵が駐留していたが、ある自動車化歩兵旅団は、駐留は演習目的と聞かされており、前日に指揮官から「明日ウクライナに入る」と指示された。侵攻1時間前に行軍を知った部隊も多く、「前の車両について行き、18時間以内に首都に入る」よう命じられたという。

 しかし、巨大な車両の動きは鈍く、道路が荒れ、車列はすぐに詰まった。当時、ベラルーシから一本道を南下する戦車・装甲車両の60キロに及ぶ大渋滞が報じられたが、ウクライナ軍の待ち伏せ攻撃で大量の車両が破壊され、多くの死傷者を出したという。

 キーウ北東のチェルニヒウ攻略に向かったロシア軍の中核である3万人の戦車部隊は、森に隠れたウクライナ軍の対戦車ミサイル、ジャベリンの餌食となって隊列がバラバラになり、敗走した。「ロシア軍はウクライナ軍の攻撃の素早さにショックを受けた。チェルニヒウ近郊での敗北が首都包囲作戦を台無しにした」(同紙)という。

 ロシア軍は首都近郊のアントノフ空港を制圧し、キーウ攻略の拠点にしようとしたが、空挺部隊のヘリが到着すると、待ち構えたウクライナ軍が米国製の携行型対空ミサイル、スティンガーで次々に迎撃して撃墜。300人以上の空挺部隊が殺害され、空港制圧は失敗した。

お菓子や靴下を略奪して喜ぶロシア兵

 電撃作戦が失敗すると、ロシア軍は補給という基本的な問題に直面した。長期戦に必要な食糧や水、その他の物資を持ち込んでおらず、兵士らはウクライナの食料品店や病院、家屋に侵入して略奪した。

 ロシア軍が制圧した南部ヘルソン州の州都、ヘルソンで、兵士がスーパーや電気店を略奪し、電化製品などを運び出す防犯カメラの映像が世界に報じられたが、ある兵士は日記に、「必要な物資だけ盗む者もいれば、テレビやパソコン、高価な酒まですべて奪う者もいた。お菓子を見つけると、皆子供のように喜んだ」とし、最も価値の高かったのは靴下だったと書いているという。

 ロシア軍の中にはパニックに陥り、自滅的な行動に走る者も出た。運転手は戦場に出るのを避けるため、車両の燃料タンクに穴をあけ、走行不能にした。ウクライナ側が押収したT-80型戦車約30両は無傷だったが、調査すると、燃料タンクに砂が混入し、作動不能になっていたという。

 ウクライナ側の電話盗聴も効果を挙げたようだ。ウクライナの盗聴担当者は同紙に「ロシア兵がパニックになって友人や親族に電話するのを探知した。彼らは普通の携帯で今後の作戦を決めていた。敵の居場所や今後の行動も分かった」と話した。ロシア人はウクライナ語を解さないが、ウクライナ人の大半はロシア語を理解する。盗聴作戦では女性のチームが活躍したという。

黒幕は「メディア王」コバルチュク

 同紙は、非合理で無謀なウクライナ侵攻作戦を決断し、命令したプーチン大統領の「狂気」にも肉薄している。

 それによれば、プーチン大統領にとって、ウクライナはロシアを弱体化させるため、西側が利用した人工国家であり、ロシア文化発祥の地であるウクライナを取り戻すことが22年間の統治で「最大の未完の使命」と考えたという。

 政権に反旗を翻したオリガルヒで元銀行家のオレグ・ティンコフ氏は「22年間、周囲の者が天才だと称賛し続ければ、プーチンもそれを信じるようになる。ロシアのビジネスマンや役人はプーチンの中に皇帝を見た。皇帝の気がおかしくなっただけだ」と指摘した。

 同紙は、ウクライナ侵攻で大統領を後押ししたキーパーソンとして、メディアや銀行を牛耳る大富豪のユーリー・コバルチュク氏を挙げている。新型コロナ禍で2020年から隔離生活に入ったプーチン大統領は、欧米指導者とは会わず、居場所も不明で、会議もオンラインで行ったが、コバルチュク氏はこの間も頻繁に会い、「西側との存亡を賭けた戦い」を促したとされる。

 保守派の物理学者だったコバルチュク氏はサンクトペテルブルク出身で、1990年代からプーチン氏と親交が深い。ロシア銀行頭取として銀行業をバックに影響力を拡大。テレビや新聞を傘下に収め、「メディア王」と呼ばれる。

「西側は弱い」とプーチンに進言

 米紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」(22年12月2日)も同氏を、「ウクライナ侵攻を後押しした陰の実力者」とし、「2月の侵攻開始以降、コバルチュク、プーチン両氏は頻繁に会っているほか、電話やビデオを通じても連絡を取っている」とする関係者の証言を伝えた。

 同紙は「コバルチュク氏はプーチン氏との個人的な関係の深さや世論の誘導で突出した存在だ。戦況が悪化すると、コバルチュク氏のメディア帝国は侵攻を絶賛するプロパガンダを大量に投下し、反政府派を弾圧。懸念を強める国民の注意をそらすなど、政権にとって極めて強力な役割を果たした」と指摘した。

 プーチン大統領の愛人とされる元新体操選手のアリーナ・カバエワさんが、コバルチュク氏率いるナショナル・メディア・グループの会長を務めていることも、コバルチュク氏が大統領の最側近であることを示唆しているという。

 同紙によると、コバルチュク氏はプーチン氏に対して、「西側は弱く、今こそロシアの軍事力を見せつける時であり、ウクライナに侵攻して国家主権を守るべきだ」と訴えたとされる。コロナ禍とコバルチュク氏の台頭が、プーチン大統領の判断を誤らせたかもしれない。

カテゴリ: 軍事・防衛 政治
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執筆者プロフィール
名越健郎(なごしけんろう) 1953年岡山県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社、外信部、バンコク支局、モスクワ支局、ワシントン支局、外信部長、編集局次長、仙台支社長を歴任。2011年、同社退社。拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学特任教授を経て、2022年から拓殖大学特任教授。著書に、『秘密資金の戦後政党史』(新潮選書)、『ジョークで読む世界ウラ事情』(日経プレミアシリーズ)、『独裁者プーチン』(文春新書)など。
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