人権重視の「新対中戦略」に反発するドイツ製造業界――ドイツの対中戦略に分裂の危機(後篇)

執筆者:熊谷徹 2023年1月18日
エリア: ヨーロッパ
2022年11月04日、中国・北京の人民大会堂で、ドイツのオラフ・ショルツ首相(左)を迎える中国の李克強首相(右)(C)EPA=時事
今年第1四半期中に公表されるショルツ政権の新たな対中戦略は、中国依存度のドラスティックな引き下げなど企業にとって厳しい内容になりそうだ。特に製造業からは方針転換に強く反対する声が上がっており、新戦略の力点の置きどころが注目される。

 ドイツ連邦政府は、現在新たな対中戦略を策定している。策定で中心的な役割を果たす外務省は、約60ページの草案をすでに経済気候保護省など関係各省や経済団体に送り、コメントを求めている。この戦略は、今年の第1四半期に公表される方針だ。

 新対中戦略が作られる背景には、ロシアのウクライナ侵攻がある。ドイツは長年にわたりロシアに対して宥和的な政策を取った結果、2021年には外国から輸入する天然ガスの半分以上をロシアに依存するという、危険な状態に陥った。フランク・ヴァルター・シュタインマイヤー大統領は、「貿易によってロシアとの絆を深めようとした私の過去の政策は失敗だった」と率直に過ちを認めた。経済関係を最優先とし、ロシアの人権侵害や国際法違反を大目に見るドイツの「政経分離主義」は、失敗に終わった。

 このためアンナレーナ・ベアボック外務大臣は、対ロシア政策の失敗を教訓として、中国についても新たな戦略を持つべきだと主張している。ベアボック氏が属する緑の党は、環境保護とともに人権問題も重視する。このため、ベアボック氏はこれまで新疆ウイグル自治区や香港での人権抑圧について、強い懸念を表明してきた。こうした対中批判は、連立与党3党が2021年11月に合意した連立契約書にも明記されている。

人権問題を中心に据える新対中戦略

 新しい対中戦略の内容はまだ公表されていないが、草案の概要は外部にリークされつつある。新しい戦略のモットーは、「中国は変わりつつある。したがって我々も態度を変えなくてはならない」という意思表示だ。外務省は、中国との関係においては、新疆ウイグル自治区や香港における人権問題を、これまで以上に重視すると強調している。

 過去のシュレーダー政権、メルケル政権は、中国との関係で貿易や投資を最優先にし、人権問題には重きを置かなかった。だがショルツ政権は、歴代の政権の「政経分離主義」と訣別し、人権問題を中国政府との議論の中心に据える。ここには、ベアボック外務大臣の、「中国が重要な貿易相手であるという理由で、新疆ウイグル自治区などの人権侵害について協議しないことは間違いだ」という姿勢が反映している。つまり中国が、ドイツ政府の重視する価値に反するような政策を取った場合、経済関係に悪影響が出る。さらにドイツ政府は、自国の新対中戦略を、EU(欧州連合)の対中戦略の中に埋め込むことを目指している。ドイツ一国が対中姿勢を厳しくするよりも、EU全体が同じ歩調を取った方が、影響力が大きくなるからだ。

 去年11月14日付のフランクフルター・アルゲマイネ(FAZ)紙によると、新対中戦略は、次の3つの章から成る。

 第1章 ドイツと中国の二国間関係の分析

 第2章 ドイツとEUは将来中国とどのような関係を持つべきか

 第3章 欧州を超えた他の同盟国・友好国との連携

 この中で最も重要なのが、第2章である。この章でドイツ外務省は、「ドイツとEUは、中国が越えてはならない一線」つまり一種の「防衛ライン」を確定する。たとえばドイツ政府は、中国が電力会社、通信企業など重要な経済インフラに関連する企業や、兵器にも使われる特殊半導体など、戦略的に重要な企業に資本参加することを拒否する。

 さらに、新対中戦略は、ドイツ企業に対して中国市場への依存度を減らし、原材料の調達先や製品の輸出先を多角化するように求める。ドイツは2030年までに、消費電力に再生可能エネルギーからの電力が占める比率を現在の約50%から80%に高めることや、2045年までにカーボンニュートラルを達成することを目指している。

 しかしそのために必要な太陽光発電パネルや風力発電のプロペラ、電気自動車の電池に使われる原材料について、ドイツは現在中国からの輸入に大きく依存している。つまり再生可能エネルギーの拡大も、中国なしには実現できないのが現状だ。

 新対中戦略が、中国経済への依存度の削減を目指すことは、ほぼ確実だ。FAZは、「新対中戦略の草案には、『ドイツ企業は、極端な場合に対中事業の一部または全部がなくなっても企業として存続できる態勢を、5年以内に整えること』という文章も含まれていた」と報じている。この文章の中の「極端な場合」とは、たとえば中国が台湾を攻撃し、EUが対中経済制裁を発動するようなケースを指すに違いない。

 この文章が、新対中戦略の確定版では削除される可能性もある。しかしベアボック氏が率いる外務省が、ドイツ経済界の対中依存度の引き下げを真剣に考えていることが窺われる。

産業界は対中政策の極端な変更に反対

 外務省の強硬姿勢について、ドイツの製造業界からは批判的な声が強い。ドイツ産業連盟(BDI)は、日本経団連に相当する経営者団体で、この国の経済団体としては最も影響力が強い。BDIは、今年1月11日に「我々は、バランスの取れた対中戦略を希望する」という声明を発表した。BDIはすでに外務省の新対中戦略の草案を閲覧している。

 BDIは、ショルツ政権に対し、「中国のグローバルな野心がもたらす、長期的な悪影響だけではなく、対中戦略を大きく変更した場合にドイツに生じるリスクと費用についても配慮してほしい」と要望した。つまり産業界は、中国を人権問題や台湾政策に関して批判するだけではなく、中国ビジネスの削減がドイツにもたらす悪影響についても十分考慮するべきだと主張している。無理もない。中国はドイツにとって2016年以来世界最大の貿易相手国だ。ドイツの中国への輸出額は、2021年までの10年間で約60%も増えている。

 BDIは、「ドイツが原材料などの輸入を中国だけに頼らず、輸入先を多角化する必要があることは認める。しかし中国はライバル、競争相手であるだけではなく、パートナーでもあることを忘れないでほしい。中国は将来もダイナミックに成長することが期待されるのだから、対中戦略の見直しがドイツ企業の中国からの撤退につながってはならない」と訴えた。つまり経済界は、「我々は中国抜きにビジネスを続けることは困難であり、中国からの撤退というオプションはない」と告白しているのだ。

 興味深いことに、BDIはショルツ政権が将来人権問題について、中国と率直に話し合うことには賛成している。この背景には、ドイツの経済界にとってもESG(環境保護・社会的公正・ガバナンス)が重要度を増しつつあるという事実がある。ドイツでは今年から「サプライチェーン監視法」が施行され、企業は外国の下請け企業が、強制労働や児童労働などの違法行為を行っていないかどうかを常に監視することが義務付けられている。

 つまりBDIが求めているのは、人権問題をめぐる批判と、経済的な協力関係のバランスを保つことなのだ。

 ドイツ最大の化学メーカーBASFのマルティン・ブルーダーミュラー会長や電子・電機メーカー、シーメンスのロラント・ブッシュ社長など8社のドイツ企業の社長たちは、去年11月にFAZに連名で投稿した。彼らは、「中国は、超大国としての地位につくために強硬な姿勢を示すことが多い。台湾をめぐる威嚇的な態度や、新疆ウイグル自治区での人権侵害は、我々ヨーロッパ人の価値観に反する」と述べ、中国の態度に懸念を表明している。8人の社長たちは、ドイツ企業が原材料や半製品などについて、中国以外の国からの調達を増やすことで、中国への依存度を減らすことには賛成している。

 ただし彼らは、「中国の潜在的な成長力を考えると、我々は中国との対話と協力関係を維持しなくてはならない。もしドイツ企業が中国から撤退するならば、我々はこのチャンスから切り離される」と述べ、ショルツ政権に対して、対中戦略を極端に厳しい方向に変更しないよう求めた。

自動車業界は、対中事業の継続を主張

 対中姿勢の硬化に最も強く反対しているのが、ドイツの自動車業界だ。この国の大手自動車メーカーが2021年に世界で売った車10台の内、3~4台が中国で売られている。 

 中国に33の工場を持ち、同国への依存度がドイツの自動車業界で最も高いフォルクスワーゲン・グループのヘルベルト・ディース前社長は、去年6月に「我々は、中国から撤退しない。撤退しても、誰の利益にもならないからだ」と断言した。

 ディース前社長は、「ある国を政権だけで判断してはならない。世界の様々な国での民主主義や人権についての状況は、欧州と同じではない。我々は、ビジネスの相手を、民主主義国家だけに限ることはできない」として、人権問題を過度に重視することに反対した。

 彼は、「多くのドイツ人は、我々の生活がいかに中国に依存しているかを、過小評価している。ドイツが中国との関係を断ったら、ドイツのインフレはさらに悪化する。中国抜きには、ドイツの成長率や雇用は鈍化し、この国は一変するだろう」と警鐘を鳴らした。

 メルセデス・ベンツのオラ・ケレニウス社長も、去年9月3日付の「ヴェルト」紙でのインタビューで、「中国での事業を制約すること、減らすことは、我々の戦略ではない」と語った。

 ケレニウス社長も、「中国の潜在的な成長性は今後10年間も、魅力を持ち続ける。中国でのビジネスを減らすことは、我が社を弱体化させる。中国の奇跡的な経済成長は、ドイツの多くの市民の雇用を確保している」と指摘した。

 その上で同氏は、「中国をヨーロッパ経済から切り離せると考えることは、全くの幻想だ。そのようなことをした場合のヨーロッパへの経済的損害は、ウクライナ戦争による損害を上回る」と警告した。メルセデス・ベンツの株式の19.7%は、中国の自動車メーカー2社に握られている。この高級車メーカーが「中国からの撤退は論外」と明言するのも、無理はない。

 ドイツのIFO研究所が2022年2月に、約4000社のドイツ企業を対象にして行った、中国事業についてのアンケートにも、ドイツ企業の対中依存度の高さははっきり表れている。この調査によると、「中国からの部品や半製品に依存している」と回答した自動車関連メーカーの比率は75.6%、IT機器メーカーの比率は71.6%、電子機器メーカーの比率は70.6%にのぼる。ドイツ経済の中国経済への依存度は、ロシア経済に対する依存度を上回る。ドイツの製造業界は、経済のグローバル化の勝ち組の一人だ。人件費や社会保障費が高いドイツにとって、人件費が安い上に、巨大な消費市場を持つ中国は福音だった。これだけ高い依存度を見ると、「本当に、ドイツ企業は中国への依存度を減らすことができるのだろうか」という疑問を持ってしまう。

中国「批判」と「協調」の板挟みになるショルツ政権

 3党連立政権で首相を務めるオラフ・ショルツ氏は、ベアボック外務大臣に比べると穏健で、政策のバランスを重視する政治家だ。彼は「中国政府と人権問題について率直に話し合うべきだ」と発言する一方で、去年10月には中国の国営会社が、ハンブルク港にあるコンテナ・ターミナルを所有するドイツ企業HHLAに資本参加することを許可した。この直後には、G7(7カ国)加盟国で初めて、新型コロナ・パンデミック後に北京を訪れて習近平国家主席と会談した。この訪中にはドイツ企業の社長たち約10人が同行した。ショルツ氏は、「中国経済への依存度を減らすことは重要だが、中国との関係を断つことはできない」と発言したこともある。

 つまり「批判と協調」のバランスを取るべきだというショルツ首相の姿勢は、ドイツの産業界に近い。彼は、ドイツの多くの市民の雇用と生活が、中国ビジネスに依存していることを常に意識しているのだ。ショルツ首相は社会民主党(SPD)に属しているが、対外政策の根本的な変更を避けるという点では、前任者アンゲラ・メルケル氏に似ている。仮にベアボック外務大臣が公表する新対中戦略が人権問題を中心に据え、中国に対して強硬な姿勢を取るという内容を含んでいても、ショルツ首相が政策の遂行において、中国との経済関係が甚大な悪影響を受けないように配慮することは確実だ。

 ただし、彼のバランス重視路線にも限界がある。EUの行政機関・欧州委員会や、欧州議会は、「人権重視」や「政治的対立の平和解決」という錦の御旗を掲げている。万一中国が台湾を攻撃して、多数の死傷者が出た場合、EUはロシアに対して科したのと同じ経済制裁措置を発動せざるを得ない。この場合、ドイツ企業がこれまで同様に中国事業を継続することは、難しくなる。EUの事実上のリーダー国ドイツが、EUの対外政策において足並みを乱すことはできない。つまりショルツ首相の「批判と協調」の間のバランスを保つという路線が、対中戦略において、常に効力を発揮するという保証はない。中国に大きく依存しているドイツ企業にとっても、「台湾有事」の際に事業を継続するための「プランB」を用意しておくことが極めて重要になるだろう。

カテゴリ: 経済・ビジネス 政治
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執筆者プロフィール
熊谷徹(くまがいとおる) 1959(昭和34)年東京都生まれ。ドイツ在住。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン特派員を経て1990年、フリーに。以来ドイツから欧州の政治、経済、安全保障問題を中心に取材を行う。『イスラエルがすごい マネーを呼ぶイノベーション大国』(新潮新書)、『ドイツ人はなぜ年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春出版社)など著書多数。近著に『欧州分裂クライシス ポピュリズム革命はどこへ向かうか 』(NHK出版新書)、『パンデミックが露わにした「国のかたち」 欧州コロナ150日間の攻防』 (NHK出版新書)、『ドイツ人はなぜ、毎日出社しなくても世界一成果を出せるのか 』(SB新書)がある。
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