そもそもなぜアメリカの大学はあれほど学費が高いのか――米国「大学不要論」と「学生ローン免除」問題の深層

執筆者:岩田太郎 2023年5月1日
エリア: 北米
公立4年制大学の年間平均授業料は地元出身の場合約149万円、私立校では約536万円[米最高裁前で学生ローン返済の免除を訴える人々=2023年2月28日、ワシントンDC](C)AFP=時事
レーガン政権による大学への援助削減で学費の大幅値上げがスタートし、政府がローンの提供者となったクリントン政権でさらに高騰。「小さな政府」「大きな政府」にかかわらずローンに政府保証がつく限り、大学は学費を上げた分だけ得をする。だが、「大卒」が豊かさへのチケットだった時代は去り、コロナ後の人手不足で有力企業も採用資格要件から外す動きが広がっている。

   日本で折に触れて取り上げられる大学不要論。コロナ後の人手不足に悩む米国ではより切迫感をもって議論されている。実際に一部の州政府が公務員の採用資格要件から大卒を外したのをはじめ、IBMやグーグル、アクセンチュア、バンク・オブ・アメリカ、アメリカン航空など有力企業も多くの職種で大卒資格の要件を廃止した。

   一方で、米国における大学不要論は、単なる一時的な労働力需給の引き締まりから生じたものではない。過去半世紀あまりの国策としての高等教育の大衆化が「学費のインフレーション」や「学位のインフレーション」をもたらし、本来の目的であった経済格差解消とは真逆の格差拡大を生んでいるとの超党派の認識から出たものだ。

   こうした中、進学しなかった者や学生ローンを借りなかった大卒者から不公平だと批判されるバイデン政権の学生ローン減免大統領令の可否に関する判断を、米連邦最高裁判所が近いうちに示す予定だ。どのような判決にせよ、大学のあり方論争に再び火が付くことは確実だ。転換期に差し掛かる米国の高等教育をめぐる議論を追う。

薄れる大卒資格への信頼

   一般的に、大卒者の収入と富は高卒者を上回る。ニューヨーク連銀が2021年に調べたところでは、22歳から27歳の若い労働者において、高卒者と大卒者の年収には2万2000ドル(約299万円)もの差があり、1990年に統計を開始して以来最も大きな格差を記録した。

   また、セントルイス連銀が2022年11月に発表した分析によれば、非大卒者が世帯主である家庭の富は、1989年以来横ばいであったのに対し、大卒者が世帯主の家庭では83%も増加している。

   他方、こうした結果にもかかわらず、「大学を卒業すればよりよい仕事と収入への道が開かれ、親世代よりも豊かになるアメリカンドリームが実現できる」という社会の信頼感が失われ始めている。

   シカゴ大学とウォール・ストリート・ジャーナル紙が2022年3月に全米およそ1000人を対象に実施した世論調査によると、56%の回答者が「4年制大学の学位の価値は費用に見合わない」と答えた。加えて、米シンクタンクのニューアメリカの年次世論調査によると、およそ1500人の成人回答者の内、「大学は米国に肯定的な影響をもたらす」と答えた人は2020年から2022年の間に69%から55%へと減少している。

   事実、大学在学者数は2010年の2100万人から2021年には1800万人に低下しており、2021年から2022年の1年間だけでも65万人減っている。

   徐々に少子化が進行する米国では2026年に進学年齢の高卒者が急減する「大学入学者数の崖」が始まると予想される。だが、その段階にはまだ達しておらず、人口が2021年から2022年に約125万人増加しているにもかかわらず、進学者数が減り続けているのだ。これは、人口動態のみでは説明がつかない落ち込みだ。

授業料高騰でコスパが低下

   現時点で、米国人の大学教育に対する信頼感の低下を最も合理的に説明できるのは、多くの進学者に借金を強いるほど高騰した授業料への反発だ。事実、先述のシカゴ大学とウォール・ストリート・ジャーナル紙の世論調査では、18歳から34歳の層が重い学費負担を理由に、より高齢な世代よりも大学に懐疑的な見方をしていることが判明している。

   米教育統計センターによると、公立大学授業料は1980年から2022年の間におよそ3倍に上昇した。消費者物価指数との比較では、2000年から2020年のインフレ率が33%であったのに対し、大学授業料の上昇率は67%と2倍だ。最新の2022年から2023年の公立4年制大学の年間平均授業料は地元出身の場合1万940ドル(約149万円)、私立校ではおよそ4倍の3万9400ドル(約536万円)にもなる。

   実際には、何らかの給付型奨学金を得ることで学費が安くなったり、州外からの学生がより高い授業料を支払わねばならないなど個人差があるものの、多くの世帯ではこのような多額の出費に対応できず、およそ4500万人の進学者・中退者・卒業者がローンを組んでいる。

   全米学生ローンの残高は2022年末に1兆7622億ドル(約239兆6500億円)という天文学的な額に達している。これは、大学教育の費用対効果が全体的に落ちていることを示唆している。このため、学費の高騰を積極的に抑制しない大学当局が、与党民主党・野党共和党の双方から批判されている。しかし、そのような授業料高進の構造を作り出したのは、他ならぬ民主党や共和党の過去60年近くの教育政策に起因する。

   そもそも1世紀前の大学は、主に裕福層の子弟向けの進路であった。しかし1944年に、第2次世界大戦に従軍した帰還兵を大学への優先入学や授業料免除で援助するGIビルが成立し、大学の大衆化が始まる。

   共和党アイゼンハワー政権(1953年~1961年)は米国の科学力増強の国策に沿って、数学や科学で秀でた中間層や低所得層出身の進学希望者向けに、学生ローン債務の連邦政府保証を行った。民主党ジョンソン政権(1963年~1969年)はこれをさらに推し進め、「貧困との戦争」の一環として1965年に高等教育法を成立させる。

   これにより、学生ローン債務の連邦政府保証が進学を希望する者すべてに与えられることになった。中間層や低所得層の子弟が大学教育で貧困を脱し、経済格差が縮小するのが目的だ。

失われた「学費抑制のインセンティブ」

   ところが、大学の大衆化を完成させた高等教育法は歪んだインセンティブ構造を作り出し、今日の大学不要論を高める皮肉な結果の大きな要因となった。

   まず、学生ローンを行き渡らせるため、ジョンソン政権は経験豊かな貸し手である大手銀行に頼った。ところが、これが営利のみを優先する学生ローン産業を生み出してしまう。銀行が学生ローンの金利を大幅に吊り上げ、借り手の負債が膨れ上がったからだ。

   新自由主義的な「小さな政府」を掲げる共和党レーガン政権(1981年~1989年)の時代になると、……

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カテゴリ: 社会 政治
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執筆者プロフィール
岩田太郎(いわたたろう) 在米ジャーナリスト 米NBCニュースの東京総局、読売新聞の英字新聞部、日経国際ニュースセンターなどで金融・経済報道の基礎を学ぶ。現在、米国の経済を広く深く分析した記事を『週刊エコノミスト』『ダイヤモンド・チェーンストア』などの紙媒体に発表する一方、『ビジネス+IT』『ドットワールド』や『Japan In-Depth』などウェブメディアにも寄稿する。海外大物の長時間インタビューも手掛けており、IT最先端トレンド・金融・マクロ経済・企業分析などの記事執筆が得意分野。「時代の流れを一歩先取りする分析」を心掛ける。noteでも記事を執筆中。https://note.com/otosanusagi
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