ロシア司法省が10月20日、1990年代初めに対日政策を担当した改革派のゲオルギー・クナーゼ元外務次官を「外国の代理人」に指定したことは、主要7カ国(G7)議長国としてウクライナ支援や対露制裁を主導する日本への報復の一環だった可能性がある。
5月の広島サミットで、岸田文雄首相がウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領を招待し、対露制裁強化の首脳声明をまとめると、ロシアのゲンナジ・オベチコ駐日臨時代理大使は6月、「日本は欧米が進める嫌ロシア的なキャンペーンに参加するだけでなく、先導しようとしている。このような敵対行動は対抗措置なしには済まされない」と警告。アンドレイ・ルデンコ外務次官(アジア担当)も、「日本向けの報復措置を検討中だ」と述べていた。
冷戦後最悪の局面に陥った日露関係は、ロシア・ウクライナ戦争終結まで、一段と冷却化が進みそうだ。
「北方領土は永遠に忘れて」
司法省の発表は、クナーゼ氏が「ロシアに対する否定的なイメージをつくり出すことを目的に虚偽の情報を広めた。外国の組織が提供する情報空間で質問に回答した」と非難した。
「イノアゲント」と呼ばれる「外国の代理人」とは、外国から援助を受ける個人や組織を意味し、2012年にその活動を規制する法律を制定。昨年改定され、該当者が拡大された。指定されると、公職追放、教育活動禁止、政府の財政支援禁止などの制限が課される。ノーベル平和賞受賞者のドミトリー・ムラトフ氏(「ノバヤ・ガゼータ」紙編集長)や独立系メディアなど700件が対象になった。
逮捕には至らないが、次の段階として過激行動や軍侮辱の罪で訴追につながる可能性がある。すべては政権の恣意的な運用に左右される。
駐韓大使も務めたクナーゼ氏は、ロシアのウクライナ侵攻を非難。ロシアの外交官に良心に基づいて外務省を退職するよう訴え、最近はウクライナのメディア取材にも応じていた。指定について、「なぜ私がこのような栄誉に浴したのか分からない」と述べた。
国営のタス通信とRIAノーボスチ通信は「外交筋」の話として、クナーゼ氏が外務次官時代、北方領土の日本への引き渡しを積極的に働き掛けたと伝え、多くのメディアがこの部分を引用した。
ロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官は北方領土について、「日本人には、永久に忘れることを勧めたい」と述べたが、愛国主義全盛の中、北方領土の返還を拒否し、日本を敵視する政権の意思が読み取れる。
対日歴史戦に着手
日露間ではウクライナ侵攻後、日本がG7と組んで対露制裁を打ち出すと、ロシアは平和条約交渉の停止や北方領土ビザなし交流の中止で対抗したが、広島サミット後も次々に報復措置に出ている。
それは第一に、歴史認識問題でみられた。ロシアは今年から9月3日を「対日戦勝記念日」に制定、サハリンでの式典にはドミトリー・メドベージェフ前大統領が参加した。終戦後、シベリアに抑留された故瀬島龍三・元伊藤忠商事会長ら旧日本軍人3氏の名誉回復措置も取り消した。10月の靖国神社秋季例大祭に合わせて閣僚や議員が参拝すると、ザハロワ報道官は、靖国神社は「忌まわしい日本軍国主義の象徴」だとし、強く非難すると述べた。
9月に導入された高学年向けのロシアの歴史教科書は、日本の戦前の中国進出などを詳述し、「日本は戦争犯罪を認めようとしない米国の傀儡(かいらい)政権」との印象を教えようとした。ロシア国営メディアは9月、日本がかつてアイヌ民族に対してジェノサイド(民族大量虐殺)を行ったと主張する記事を掲載した。
9月28日には、日本と旧ソ連が1938年、沿海地方で小規模な国境紛争を戦った張鼓峰事件85周年で、シンポジウムがウラジオストクで開かれ、セルゲイ・ナルイシキン対外情報庁長官(ロシア歴史学会会長)がビデオメッセージで基調講演を行った。
従来、日露間の歴史問題では立場が不利な旧ソ連・ロシアは沈黙してきたが、プーチン政権は歴史問題を積極的に提起している。日本は中国、韓国に加え、ロシアとも歴史問題を抱えた形だ。
軍事圧力強化、漁業交渉中断も
第二に、対日軍事圧力も一段と強めている。昨年以降、ロシアは北方領土周辺や日本海で軍事演習を頻繁に実施しているが、今年6月には1万人以上が参加する太平洋艦隊の海軍演習を日本海やオホーツク海で実施。6月6~7日には、中露の爆撃機が日本周辺上空を共同飛行した。
ロシア軍用機の日本領空付近飛行も頻度が増し、自衛隊機の緊急発進(スクランブル)は今年4月から半年間でロシア向けが110回に上り、前年同期より15回増えた。
セルゲイ・ショイグ国防相は7月に北朝鮮を訪問した際、中露が日本海などで毎年実施する海軍合同演習に北朝鮮を加え、3国合同演習を検討していることを明らかにしたが、これも日韓に対する報復措置だろう。ウラジーミル・プーチン大統領は韓国がウクライナ支援を強化することを問題視し、「われわれは北朝鮮との軍事関係を強化する」と警告していた。
第三に、北方領土海域で日本側が入漁料を払って操業する日本漁船の安全操業問題で、ロシアは今年の操業条件を決める交渉に応じていない。協定自体は維持するとしているが今年度の日本漁船の出漁は困難な見通しだ。
処理水問題でも中国に追随
第四に、ロシアは10月、福島第1原発処理水の放水に対して、日本の水産物輸入を禁止した。ロシアは従来、処理水の安全性や透明性に関する日本側の説明に一定の理解を示していたが、10月16日に突然、日本産海産物輸入の制限を発表した。外交筋によれば、クレムリンからの指示が関係省庁にあった模様で、明らかにプーチン大統領の訪中を控えた政治的決定だろう。
処理水問題では水産物全面禁輸を導入した中国が孤立しており、中国一辺倒路線のロシアが中国に同調し、連携をアピールした。
第五に、ロシアが駐日大使を1年間派遣していないことも報復の一環かもしれない。ミハイル・ガルージン前大使(現外務次官)が昨年11月に帰国した後、大使が空席のままで、駐日大使がこれほど長期にわたって不在だったことは初めてだ。
ただ、ロシア筋によれば、新大使が年内に着任する可能性があり、
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