「民間防衛」でNATOの模範、フィンランドの大規模シェルターを訪ねる

執筆者:三好範英 2023年12月19日
タグ: NATO
エリア: ヨーロッパ
公園にあるメリハカ・シェルターの入り口(以下、写真はいずれも2023年10月27日、筆者撮影)
NATO加盟後のフィンランドの民間防衛に各国の注目が集まっている。人口約65万のヘルシンキの市内には、計90万人を収容できる5500カ所のシェルターがある。平時にはこれらのシェルターを、民間企業がスポーツセンターや地下駐車場として運営することで収益化も図られる。フィンランド国民の高い国防意識の背景には、ソ連との戦争を独力で戦わざるを得なかったという歴史的経験がある。

 北大西洋条約機構(NATO)加盟などで、ロシアと1300キロの国境で隣接する北欧の国フィンランドの国防意識の高さが注目されている。それを物語るのが、全土に設置されたシェルター(地下壕)だ。首都ヘルシンキのメリハカ民間防衛シェルター(Merihaka civil defence shelter)を取材し、有事の備えについて考えた。

 ヘルシンキ中央駅から歩いて15分ほど、市中心部にある公園にガラス張りの建物がぽつんと建っている。何の施設だろうといぶかしく思うが、この地下20メートルに、広さ1万4750平方メートル(東京ドームの約3分の1)シェルターが広がっている。

 今年(2023年)10月27日の朝9時にこのガラス張りの建物で、ヘルシンキ市救助部(City Rescue Department)計画ユニットのトゥーラ・ルオマさん(52)と、広報担当のニナ・ヤルヴェンキュラさん(53)と待ち合わせた。紺色の制服姿の2人が、時間通りに笑顔で迎えてくれた。「1時間ほど時間を取ってあります。さっそく下に降りましょう」と言われ、エレベーターに乗り込んだ。(以下、ルオマさんとヤンヴェンキュラさんは2人で同内容のことを話すことも多かったので、発言者をあえて特定しない)

子供に「シェルターは怖いところではない」と教える

 エレベーターを降りると、岩盤をコンクリートで覆った、凹凸のある白い壁が広がっている。通路はすぐに直角に右に曲がった。「爆風が直接シェルター内に吹き込まないようにするため」と言う。

 青く塗られた分厚い鉄製の扉があった。その先に2枚目の扉も設置されていて、そこを通るとシェルターの中に入る。

売店などがあるシェルターの内部。ヤルヴェンキュラさん(左)とルオマさん

 ぱっと明るい空間が開けた。シェルターのイメージからは程遠い、ジュースやホットドッグ、スポーツ用品を売る売店や、カフェテリア、子供の遊具が並んだスポーツ施設が広がっていた。さらに奥に入って歩いていくと、フロアホッケーコート1面、フットサルコート2面などが次々と現れた。シェルターは細長く、長い辺は230メートルある。

 フロアホッケーは、体育館のコートで行うホッケーで、ちょうど地元の愛好者が試合を楽しんでいた。ボールを打つ音や掛け声がシェルターの壁によく反響する。

「会社勤めの人が朝ここにきて練習や試合をしてから出勤する。昼休みや、勤務終了後に再びにぎわいます」

 ただ有事の際に、これらの施設がそのままシェルターに転用されるわけではない。「市との契約により、有事の際はスポーツセンターの運営会社が72時間以内に施設を撤去し、シェルターに模様替えすることが決められている」のである。

フロアホッケーを楽しむ人たち

 コートのスペースから奥に入った部屋には、床に黄色い線で区切られた表示があった。「これは簡易トイレの設置場所を示していて、緊急時には250個の便器を倉庫から取り出してきます。天井には脱臭のための換気扇もありますよ」と2人はにこやかに説明した。

簡易トイレの設置場所(上)と簡易ベッド(下)

 見学者用に簡易式の3段式ベッドも展示されていた。「ベッドは取り外して担架にもできる。2000人分用意されているが、収容者最大6000人のうち3分の1が休息し、3分の1がボランティアの仕事を行い、3分の1がレクレーション活動をする、との想定に基づいています」

 2人は続けて、「毛布や枕といった寝具は自分で持ってくる必要がある。飲料水3万トンが備蓄されているが、食料はない。スナック菓子や飲料、書籍も持参する必要があり、アルコール類は禁止。ペットも連れて来られないので、自宅に餌を確保して置いていくしかありません」と説明した。

 スポーツコートの先、私が入った入り口とは反対の端にも大きな階段が設置されていた。「ここがメーンゲート。緊急事態の時は、この階段を使いシェルターに入ることが勧められています」

 ここにも青く塗られた鉄製扉があった。2つの扉の間の部屋は除染室になっている。扉の接合部にはパッキングが施され、有害物質が侵入しないようになっており、洗い流すためのステンレス製の流しも設けられている。

 大きな扉の隣には小さな扉も設置されている。「ドアは一人で開閉できますよ。やってみますか」と言われ、押してみると確かに力は必要だが、ゆっくりと動いた。

「大きな扉が閉まっても、小さな扉を通って出入りすることができる。シェルターに避難している時間は3日間を想定しているが、ロシア軍のミサイル攻撃を受けているウクライナを見ていると、人々は短時間で出たり入ったりする。誰もここに留まることは強制できませんから」

分厚い扉と除染用の流し台

 避難命令は屋外にいる人にはサイレンで、自宅、職場などにいる人にはテレビやSNSなどで知らせる。毎月第1月曜日にテストのサイレンが全土に鳴り響く。緊急時にシェルターを運営する100人のボランティアも指定されている。一般住民の訓練はないが、ボランティアは定期的な訓練を行っている。

「スポーツ施設を使い慣れている人は、シェルターと聞いて恐ろしく感じることはない。ロシア・ウクライナ戦争が始まって、怖いところではないのだと教えるために、子供を連れてここに来る母親がいた。心理的に親しい場所にしておくことは大事」と2人は強調した。

軍人は入れない――国防と民間防衛を峻別する理由

 2人の発言や資料をまとめると、メリハカシェルターの収容能力は6000人だが、収容対象となる地域住民数は5200人。通勤者や観光客を対象に800人の余裕がある。

 ヘルシンキ市内には官民合わせて5500カ所のシェルターがあり、90万人を収容できる。ヘルシンキの人口は65万人なので、市全体でも余裕がある。

 シェルターのうち、5440カ所は民間のアパートなどの地下に設置されたもの。ヘルシンキ市内は岩盤が露出しているところが目立つが、残りの60カ所はこの岩盤をくりぬいて建設された大規模シェルターで、うち44カ所は市によって建設され、市救助部が管理している。

 メリハカシェルターは大規模シェルターの一つで、民間の不動産会社が建設し、2003年に完成した。平時はスポーツセンターや駐車場として運営され、収益が上がる仕組みになっている。

 フィンランド全国では5万500カ所のシェルターがあり、480万人を収容できる。約555万人の人口のうち86%をカバーしている。法律に基づき、1200平方メートル以上の床面積がある建物にはシェルターの設置が義務付けられている。またすべての地下鉄駅が有事にはシェルターになる。

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カテゴリ: 軍事・防衛 社会
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執筆者プロフィール
三好範英(みよしのりひで) 1959年東京都生まれ。ジャーナリスト。東京大学教養学部相関社会科学分科卒業後、1982年読売新聞社入社。バンコク、プノンペン特派員、ベルリン特派員、編集委員を歴任。著書に『本音化するヨーロッパ 裏切られた統合の理想』(幻冬舎新書)、『メルケルと右傾化するドイツ』(光文社新書)、『ドイツリスク 「夢見る政治」が引き起こす混乱』(光文社新書、第25回山本七平賞特別賞を受賞)など。
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