医療崩壊 (82)

大学受験の最難関「東大理3」からノーベル賞受賞者が出ない理由

執筆者:上昌広 2024年1月8日
タグ: 日本
エリア: アジア
東大卒のノーベル賞受賞者で、東京の高校を卒業した人はいない (C)yu_photo / stock.adobe.com
英『ネイチャー』誌は、2023年10月25日、「日本の研究力はもはや世界レベルではない」という記事を掲載した。文部科学省は東北大学を「国際卓越研究大学」の認定候補に選定し、巨額の予算を措置するつもりだ。おそらく、その効果も限定的だろう。明治以来、巨額の予算を措置されつづけた理3の現状が、そのことを示している。

 知人のジャーナリストが、東京大学理科3類(理3)についての本を出すというので取材を受けた。理3は医学部医学科へと進学する東大教養学部の科類で、日本の大学受験の最難関とされている。

 知人の関心は「日本でもっとも優秀な頭脳が集う東大理3から、なぜノーベル賞受賞者が出ないか」だった。私は1987年に東大理科3類に合格した。今年は入学から38年目になる。このことについて、自分なりに考える機会があった。本稿でご紹介したい。

受賞者の大半は西日本出身

 まずは、我が国のノーベル賞受賞者の概要だ。2023年末現在、29人が受賞している(カズオ・イシグロを含む)。内訳は物理学賞12人、化学賞8人、生理学・医学賞5人、文学賞3人、平和賞1人だ。ノーベル財団の公表している出生国をもとに調査したところ米(299人)、英(97人)、独(89人)、仏(64人)、スウェーデン(30人)についで第6位となる。

 日本の特徴は、2001年以降、受賞者が急増していることだ。総受賞者29人中21人がこの時期に受賞している(図1)。

【図1】

 では、どんな人が受賞しているのだろうか。多くの読者は、ノーベル賞は京都大学関係者が多いとお考えではなかろうか。

 確かに、1949年に我が国で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹(物理学賞)から、福井謙一(1981年、化学賞)、益川敏英(2008年、物理賞)、山中伸弥(2012年、生理学・医学賞)、本庶佑(2018年、生理学・医学賞)まで5人の京大教授、名誉教授がノーベル賞を受賞している。

 一方、東大教授で受賞したのは、小柴昌俊(2002年、物理学賞)と梶田隆章(2015年、物理学賞)の師弟コンビだけだ。

 興味深いのは、京大教授が理論物理から基礎医学まで、アイデア勝負の研究で受賞しているのに対し、東大教授の受賞がカミオカンデなど巨大な実験装置を要する研究であることだ。行政との距離の違いが、両大学の振る舞いに影響しているのだろう。

 ただ、この結果から、ノーベル賞で東大が京大に完敗していると結論するのは早計だ。ノーベル賞受賞者の出身大学で最も多いのは東大で9人が卒業している。これは京大(8人)を抑えてトップだ。ちなみに、この中には佐藤栄作の平和賞(1974年)と、川端康成(1968年)、大江健三郎(1994年)の文学賞が含まれる。自然科学に限定すれば6名となる。

 特記すべきは、彼らの経歴だ。小柴が出身母体の東京大学理学部でキャリアを積み上げていった以外は、江崎玲於奈(1973年、物理学賞)の米IBMトーマス・J・ワトソン研究所、南部陽一郎(2008年、物理学賞)の米シカゴ大学、根岸栄一(2010年、化学賞)の米パデュー大学、大隅良典(2016年、生理学・医学賞)の岡崎国立共同研究機構や東京工業大学、真鍋淑郎(2021年、物理学賞)の米国立気象局やプリンストン大学など、母校以外が活動の中心となっている。

 これは湯川、福井、本庶らが大学卒業後も京都大学を中心にキャリアを積み上げたこととは対照的だ。

 出身校も興味深い。東大卒のノーベル賞受賞者で、東京の高校を卒業した人はいない。関東圏も小柴の神奈川県立横須賀高校、根岸の神奈川県立湘南高校だけだ。残りは、江崎の旧制同志社中学(私立、京都、現同志社高校)、南部の旧制福井中学校(現福井県立藤島高校)、大隈の福岡県立福岡高校、真鍋の旧制三島中学(現愛媛県立三島高校)となる。川端も旧制茨木中学(現大阪府立茨木高校)、佐藤も旧制山口中学(現山口県立山口高校)、大江は愛媛県立松山東高校だ。

 東京大学入学者は6割程度が関東出身者だ。ところが、ノーベル賞受賞者に限れば22%に低下する。残りは全員が西日本出身者だ。

 では京大はどうだろうか。湯川と朝永振一郎(1965年、物理学賞)は旧制京都一中(現京都府立洛北高校)で、残る福井、野依良治(2001年、化学賞)、吉野彰(2019年、化学賞)も関西の高校を卒業している。関西以外は利根川進(1987年、生理学・医学賞)の東京都立日比谷高校、赤﨑勇(2014年、物理学賞)の旧制鹿児島二中(現鹿児島県立甲南高校)、本庶の山口県立宇部高校だけだ。

 東大と共通するのは、西日本の高校出身者が多いこと(8人中7人)だ。我が国のノーベル賞受賞者のうち、東大・京大卒業生は約59%を占める。この結果、我が国のノーベル賞受賞者の大半が西日本出身者となる。(図2)

【図2】

首都圏の「藩校」を潰した明治政府

 問題は、首都圏の高校から東京大学に進んだ学生が、その後、ノーベル賞を受賞していないことだ。

 私が注目しているのは、首都圏に藩校以来の伝統校が存在しないことだ。明治維新は西国雄藩による江戸幕府の打倒だった。本来なら大阪など西国に首都を置きたかっただろうが、新政府に資金がなく、また鳥羽伏見の戦いのあと、大坂城が焼け落ちたなどの偶然が重なり、東京が首都となった。

 敵地の真ん中に拠点を置いた新政府は恐怖におののいたはずだ。神奈川の中心は小田原から横浜、埼玉県は川越、忍(現行田)から浦和、千葉県の中心は佐倉から千葉へと移し、各藩の藩校を潰した。代わりに明治政府が設けたのが、東京府立第一中学(現日比谷高校)、千葉中学(現千葉県立千葉高校)、浦和中学(現埼玉県立浦和高校)などだ。その目的は、国家、つまり明治政府に有為な人材を育成することだ。このような学校の卒業生の多くが官僚を志向し、それなりの成功を治めているのは、歴史が関係しているのだろう。

 教育機関の「成長」には時間がかかる。何世代にもわたる先輩たちの成功や失敗を、後輩たちが引き継ぐことで、ノウハウを蓄積していくからだ。私は、藤島高校、福岡高校、松山東高校など藩校の流れを汲む高校から、ノーベル賞の受賞者がでているのは、このような歴史に負うと考えている。それぞれが独自の価値観を熟成し、その独自性が国際的に通用する人材を育成している。

 藩校由来の教育の伝統が途絶した関東で、中等教育を支えたのは前出の旧制一中の後継機関と私立・国立高校だ。1982年以降、東大合格者数ランキングで開成高校が1位を独占しているし、2023年の東大入試では、上位10校のうち、7校が首都圏の私立・国立の高校だ。残りは灘高(私立、兵庫)、西大和学園(私立、奈良)と、旧制一中である日比谷高校(東京)だけだ。

 意外かもしれないが、首都圏の私立・国立高校からはノーベル賞受賞者はでていない。全国に拡大しても、私立・国立の進学校から受賞したのは灘高を卒業した野依と大阪教育大附属高校天王寺校舎(国立、大阪)を卒業した山中だけだ。灘高が日比谷高校を抜いて、東大合格者数のトップとなったのは1968年だ。当時の受験生は現在すでに70代半ばとなっており、ノーベル賞の「適齢期」だ。以上の事実は、有名私立・国立高校の卒業生たちが、最先端の科学研究の世界で十分な実績を挙げることができていないことを意味する。

 一方、東京大学をリードするのは、このような学校の卒業生たちだ。藤井輝夫総長は麻布高校(私立、東京)卒だし、前任の五神真は武蔵高校(私立、東京)、前々任の濱田純一は灘高だ。

 医学部も同様だ。南學正臣医学部長は麻布高校、田中栄附属病院長は灘高出身だ。また、日本医学会長の門脇孝は東京教育大附属駒場高校(国立、東京、現筑波大附属駒場高校)卒だ。

 余談だが、京都大学の状況は若干、異なる。現在の湊長博総長は富山県立高岡高校、前任の山極壽一は都立国立高校の卒業生だ。

 以上の事実から、有名私立・国立高校から東京大学へと進んだ人は国内では通用するが、世界での評価はイマイチということになる。

「国内エリート」に安住せず「異郷」で揉まれた人たち

 私は、この状況は日本人メジャーリーガーと似ていると思う。2023年は多くの日本人がメジャーリーグ(MLB)で活躍した。その筆頭が大谷翔平だ。大谷は花巻東高校(私立、岩手)出身。高校時代の評価は同学年の藤浪晋太郎(大阪桐蔭高校、私立、大阪)の方が遙かに高かった。その後の逆転はいうまでもないだろう。大谷が独自の価値観をもち、試行錯誤を繰り返してきたことは有名だ。

 MLBで活躍した選手には、黒田博樹や上原浩治のように高校時代は控え選手だった者もいる。上原は、浪人を経て、大阪体育大学に進学したが、同大学は野球の名門ではない。黒田が進学した専修大学も、当時、東都大学野球リーグの2部だ。いずれも、日本プロ野球(NPB)は勿論、大学野球界でも、特に注目を集める存在ではなかったのだろう。

 一方、高校野球の名門であるPL学園(私立、大阪)、横浜高校(私立、神奈川)、大阪桐蔭高校を卒業した選手は、NPBの大活躍ぶりと比較して、MLBでの活躍はいまいちだ。現在まで、66人の日本人メジャーリーガーのうち9人は、前出の3校の出身だが、大活躍した人はいない。このあたり、以前、紹介したことがある。

 なぜ、こうなるのか。MLBで活躍し続けるためには、変わり続けなければならず、そのためには、自分で考えるしかないが、NPBで活躍することを念頭においた選手育成システムが確立している超名門校では、このような訓練が十分にできていないためではなかろうか。身体能力が優れた選手を集めて、特別に訓練し、さらにノウハウも蓄積されている集団は、普通にやれば、苦労せず勝利することができる。これこそ伝統だ。ただ、この状況に慣れてしまえば、その上の段階では通用しない。

 私は、全く同じ事が、東大、特に最難関の理科3類にも言えると考えている。では、どうすればいいのか。このあたりもMLBを題材に、以前、述べた。研究も同じだ。若者を成長させるには「旅」をさせることだ。東大卒でノーベル賞を受賞した研究者は、小柴を除き、「異郷」で揉まれた人たちばかりだ。

 我が国の研究力の低下が叫ばれて久しい。英『ネイチャー』誌は、2023年10月25日、「日本の研究力はもはや世界レベルではない」という記事を掲載した。大学や研究者は研究予算の増額を求め、政府は限りある財源を有効に活用するため、選択と集中を加速させている。文科省は東北大学を「国際卓越研究大学」の認定候補に選定し、巨額の予算を措置するつもりだ。おそらく、こんなことをしても、効果は限定的だろう。明治以来、巨額の予算を措置されつづけた理3の現状が、そのことを示している。

 研究力の向上とは、畢竟、自分の頭で考え、行動する研究者を養成することだ。どうすれば、自分の頭で考える人材が育つのか、歴史に基づいたもっと合理的な議論が必要である。 (敬称略)

カテゴリ: 社会
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執筆者プロフィール
上昌広(かみまさひろ) 特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。 1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。
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