
2024年10月に任期満了を迎えるNATO(北大西洋条約機構)事務総長の後任を目指して、2024年2月7日現在、3人の政治家が公式に関心を表明している。そのうち、オランダ首相のマルク・ルッテ氏(56歳)については本命視されて本邦でも多くの関心が向けられているが、対抗馬のエストニアのカヤ・カッラス氏(46歳、Kaja Kallas以下:カッラス)とラトビアのクリシュヤーニス・カリンシュ氏(59歳、Krišjānis Kariņš以下カリンシュ)については日本であまり知られていない。本稿ではこの2人が、どのような政治家であるか紹介し、立候補に対する国内外の評価がどのようなものか解説する。最後に、もしも2人のうちいずれかががNATO事務総長になった場合には、どのようなインパクトが想定されるのかということについても試論を添える。
カッラスは2021年より現職のエストニア首相であり、カリンシュは2023年の首相退陣後は外務大臣を務めている。ともに首相、国会議員、欧州議員の経験者であり、所属政党が中道右派政党(エストニアの改革党、ラトビアの「新統一」1)という点は似ている。他方、人物としてのバックグラウンドとその政治スタイルについては大きく異なっており、一言でいえば、カッラスがエリート然とした能力と強い意志を持つ指導者である一方、カリンシュは調整力と合意形成にたけた柔軟な調停者である。
黄金の王女:カヤ・カッラス
カッラス氏は企業専門の弁護士としてそのキャリアをスタートさせた。その時点ですでに国際的に飛び回る活躍をしていた彼女は、2011年の国会議員選挙で政治の世界に入り、2014年から欧州議員を務めた典型的な欧州国際エリートである。現地のエリート家系に生まれ、彼女の父親は元首相のシーム・カッラス(Siim Kallas)である。さらに彼女が所属する改革党を創設したのも、その父であった。改革党は1999年から2016年まで一貫して政権に参与し、現代エストニアの国内外における成功を牽引した政党であるが、そんな党の創設者の2代目として、将来を嘱望されて政治の世界に参入したのがカッラスである。2014年に国会議員から早々に欧州議員に転じたのも、父が欧州議会選挙に出馬しないことをうけて、その地盤を引き継いだためであった。もちろん、ただ単に父親の威光のみによって頭角を現したのではなく、彼女自身も恵まれた環境で会得した能力と資質と意欲を持ち、時に党内執行部と対立してでもその信念や主張を表明するなど、自身の力で有権者の注目を集めるようになった。
ただし、党内基盤が強いわけではない彼女が改革党の党首となった経緯は、少々イレギュラーである。2017年から18年にかけて、党首の後継者をどうするかをめぐり2人の議員間で改革党内は割れた。党首選を経て、いったんはハンノ・ペヴクル氏(現防衛大臣)を選出したものの、両派の対立はその後もやまず、結果として新党首は1年ももたず辞任に追い込まれ、このままでは党の分裂の危機に瀕するといった状況に至る。ここで白羽の矢が立ったのが、欧州議員として国内政治から距離のあったカッラスであった。二つの派閥のどちらからも強く敵対視されず、双方が受け入れ可能な唯一の候補だとカッラスはみなされ、かつ名誉党首として影響力を残していた父親のシーム・カッラスが娘を党首にすべく交渉へと介入した。その交渉過程のすべてが明らかになっているわけではないが、いずれにせよ2018年2月には次の党大会において彼女を候補者として一本化することになり、同年4月の党大会で正式に党首となる。このプロセスを現地紙は「偶然に金の王冠を得た幸運な王女のようだ」2と評した。父シーム・カッラスからの説得に最後まで対抗していたペヴクル前党首は「彼女は遅かれ早かれエストニアの首相になっただろうが、彼女の父親があまりにも拙速に彼女のための道を舗装したのは、苦い思いを残すことになる」と言い残しており、その批判の中にすらも彼女がいかに周囲から将来を期待されていたかの片鱗が見える3。
彼女自身が能力に満ちた人物であることは間違いない。単なる2世議員としてのみ党首になったのであれば、その後の根強い人気と、首相就任後の政権維持はおぼつかなかったであろう。先述の現地紙も彼女の能力を評して「知性があり、優れた論客で、大衆的魅力をもち、より広い世界的視野を持つ」と高く評価している4。このような資質と国際的経歴に裏打ちされた自負にもとづき、論敵とみなした相手に対しては激しく批判し、自らのビジョンを強く主張するのが彼女の政治スタイルである。そのような指導力を兼ね備えた彼女を好む有権者が多い一方、相手の話を遮ったり他の政治家の外国語能力の欠如をあげつらったりする彼女を傲慢だと嫌う有権者も多く、国内での評価は(高い国際的評価とは裏腹に)かなり分かれる人物でもある。
人をつなげる:クリシュヤーニス・カリンシュ
カリンシュは、かつてラトビアがソ連に(再)占領される直前に逃げてきた難民たちの子としてアメリカに生を受け、30代前半までは研究者を目指していた。……

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