
【前回まで】江島元総理も南郷も「都倉総理」の可能性には否定的だった。除名処分を受けたほど党内で反発が大きいだけでなく、都倉と米中両国との危険な関係が懸念されていた。
Episode6 一世一代
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市ヶ谷にある防衛省庁舎A棟まで、都倉を見送ると、磯部は、隣を歩く樋口に声をかけた。
「軽くどうだ?」
「喜んで!」
15分で退庁の準備をして、二人はJR飯田橋駅前の飯田橋サクラテラス3階、Dippalace[ディップパレス]というインド・タイ料理の店のテラス席に陣取った。
樋口がタイ料理好きだと聞いてのチョイスだった。磯部は、外気を感じながら食事ができ、周囲に聞き耳を立てられない場所なら、食事のジャンルにこだわりはない。
樋口が、シンハーというタイ王室御用達のプレミアムビールの生を頼んだので、磯部も試してみることにした。
メニューを見ながら、磯部にはイメージできない料理を樋口が数品頼むと、すぐに生ビールが出てきた。
乾杯するやいなや、樋口は見る見るうちにピルスナーグラスのビールを飲み干した。
「さすがだな、俺にはそんな芸当はできないよ」
「すみません。ちょっと今日は、喉がカラカラで、一気しちゃいました」
「波瀾万丈の1日だったからな。よく頑張ってくれたよ。いくらでも飲んでくれ」
薄味だが、スパイスが利いたビールを一口飲んで、磯部は、樋口のためにウェイターにお代わりを頼んだ。
「今日は、歴史的1日として刻まれるでしょうか」
「北朝鮮のミサイル迎撃記念日としてか」
「それ以上に、防衛大臣が、攻撃されたら躊躇わず反撃すると公言し、実行した日として」
それは、特別なことなのだろうか。
「磯部さんは、ご不満ですか」
「不満ではないが、迎撃は事件ではない。我が国を攻撃するものは、すべて排除して当然だからな」
「おっしゃるとおりですが、昨年、新潟であんなきわどい事態が起きて以来、次の危機が迫ったら、どうするのかという懸念が広がっていました。だとすれば、今日の迎撃成功は、記念すべきことだと思いませんか」
つまり、余りにも低かった日本の防衛意識が、ようやく当たり前のレベルになったのを祝うべきだということか。
「だが、都倉大臣は危うい」
「それは否定しません。私も側にいてヒヤヒヤしています」
そう聞いてホッとした。元々、都倉と親密な樋口は、大臣の行為をすべて手放しで支持しているのではと考えていた。

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