「戦争疲れ」と「戦争慣れ」――揺れる世論、再び顔を覗かせる“悪弊”

執筆者:国末憲人 2024年6月22日
タグ: ウクライナ
エリア: ヨーロッパ
虐殺から2年あまりを経たブチャの中心街。日常が戻っているようには見えるが (撮影筆者、以下すべて)
徴兵対象年齢が引き下げられ、人々はウクライナの兵力不足と苦戦を否応なく意識している。しかし一方、街の復興と「正常化」は、ロシア軍侵攻当初に人々を結び付けた国家防衛の一体感を次第に薄れさせて行く。希望の底に重苦しさが蟠る日々、「誇り」は減じ「悲しさ」や「恐れ」が膨らみ始め、そうした状態に慣れるにつれて、かつての汚職や政争が頭をもたげているという。【現地レポート】

 前回筆者がウクライナに滞在した2022年12月~23年1月の冬は、ロシア軍による電力施設攻撃が集中して停電が多く、首都キーウは暗闇に包まれていた。ロシア軍の侵攻当初に比べると人が戻っていたものの、一部の商店や飲食店は閉まったままで、市民が生活を謳歌する状況にはなかった。

 今回、街の賑わいぶりは明らかに異なるレベルである。店は軒並み開き、中心街ではショッピングを楽しむ市民が目立つ。ミサイルやドローンによる攻撃を知らせる警報は毎日のように鳴り響くが、反応する人はほとんどいない。迎撃態勢が整い、多くの攻撃は阻止されているからだろう。破片の落下でけが人がしばしば出るとはいえ、それほどの脅威とは受け止められず、日常生活は中断されることなく続く。欧州の他の街との違いは、午前0時~5時の夜間外出禁止に備え、夜の街が比較的早くしまう点ぐらいだろうか。

 ただ、街の「正常化」は、普通の社会に存在する様々な負の側面も同時に復活させた。人々を結びつけていた国家防衛の一体感も薄れ、雑音や不協和音も漏れるようになっている。

 ウクライナ社会の現状と人々の意識を探ろうと、キーウ市内に有識者を訪ねた。

キーウの街頭。カフェやレストランのテラスでくつろぐ人は多い

さもなくば死か

 最初に会ったのは、ウクライナ公共放送の会長ミコラ・チェルノティツィキー(40)である。若くしてその手腕を買われ、日本だとNHKにあたる巨大メディアの舵取りを任された。政界ともつながりが強い大物だが、気さくでユーモアにあふれ、笑顔を絶やさない。ワサビが大好物で、昨年の来日時に新宿で一緒に飲んだ際は、刺身のワサビを何度もお代わりした。

ウクライナ公共放送会長のミコラ・チェルノティツィキー

 ミコラは、ウクライナ社会に起きた最近の変化を列挙した。

①:ロシア語が聞こえてこなくなった。ロシア語を母語とする人でさえ、ロシア語を話そうとしない。これまでは街中にロシア語の歌が流れていたが、それも全くなくなった。

②:社会に様々な制限が課されるようになった。ウクライナの男性は外国への渡航を禁止されているし、夜間は外出禁止令が敷かれている。

「でも、反面それはいい習慣を根付かせたのです。今まで私たちは、午前2時、3時まで平気で飲んでいました。夜間外出禁止令によって、みんな早々と家に帰るようになったのですから(笑)」

③:大統領ヴォロディミル・ゼレンスキーへの支持率は依然高いが、今年2月に軍総司令官ヴァレリー・ザルジニーを解任した際には少し陰りが見えた。その原因はゼレンスキーの説明不足にあった。

④:世間に不安は広がっている。

「日常生活面での大きな変化は、将来が計画できなくなったことです。戦争前は『夏になったらこれをしよう』『あそこに行こう』などと予定を考えていました。今は、明日明後日ぐらいの予定しか立たない。将来何が起きるのか、みんなわからないのです」

 その結果、心理カウンセラーに通う人が増え、今やこの職業は大人気だという。

「反転攻勢の失敗は、大きな失望に結びつきました。私たちは、今まで、この戦争について『絶対勝てる』と言い過ぎた。期待を抱きすぎたのです」

 ミコラはこう説明する。

 では、その失望が、停戦や和平を求める声につながっているだろうか。ウクライナでは以前、そのような声は皆無に近かった。2022年11月に「ミュンヘン安全保障会議」(MSC)がウクライナで実施した世論調査で、ロシア軍の占領が続く状態での停戦を求めた人は、わずか1%だった。停戦の条件として、93%が「クリミア半島を含むウクライナ全土からのロシア軍の撤退」を挙げた。その世論に変化はあるか。

カテゴリ: 社会 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
国末憲人(くにすえのりと) 東京大学先端科学技術研究センター特任教授、本誌特別編集委員 1963年岡山県生まれ。85年大阪大学卒業。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。パリ支局長、論説委員、GLOBE編集長、朝日新聞ヨーロッパ総局長などを歴任した。2024年1月より現職。著書に『ロシア・ウクライナ戦争 近景と遠景』(岩波書店)、『ポピュリズム化する世界』(プレジデント社)、『自爆テロリストの正体』『サルコジ』『ミシュラン 三つ星と世界戦略』(いずれも新潮社)、『イラク戦争の深淵』『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『巨大「実験国家」EUは生き残れるのか?』(いずれも草思社)、『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)、『テロリストの誕生 イスラム過激派テロの虚像と実像』(草思社)など多数。
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