
ウクライナ第3の都市、人口約100万人のオデッサ1は、海が圧倒的な存在感を示す街である。黒海に突き出した高台に位置するからだろう。中心部のどこからでも、少し街路をたどれば視界が開け、遮るもののない海原が眼下に広がる。ウクライナやロシアの平原に住む人々にとって、海は遠い存在であり、潮風に吹かれるオデッサは憧れの地だったに違いない。現在でも、首都キーウからこの街に移り住んで老後を楽しむ人、別荘を構えて定期的に訪れる人は、少なくないという。
ロシア帝国時代の19世紀前半以降、自由貿易港として発展したオデッサでは、多様な民族が暮らし、豊かな文化が花開いた。作家プーシキンやゴーゴリが活躍し、バイオリニストのオイストラフ、ピアニストのギレリスといった音楽家が輩出した。新古典主義の瀟洒な建築物に彩られる街並みは「黒海の真珠」と呼ばれた。
360件の損傷
筆者にとって、ここを訪れるのは3度目である。最初は2011年で、美術館に関する取材で短く滞在した。この時は、映画『戦艦ポチョムキン』に描かれたプリモルスキー階段、いわゆる「ポチョムキン階段」も上り下りした。2度目はロシア軍全面侵攻後の2022年9月で、ロシアによって妨げられていた穀物輸出がその前月に再開されたばかりの時だった。海岸の緊張はまだまだ高く、港近くへの立ち入りは禁止され、ポチョムキン階段も検問に遮られて近づけなかった。階段の上の広場に立つロシア皇帝エカチェリーナⅡ世の像「オデッサ創設者像」は、人目に付かないようぐるぐる巻きに梱包されていた。広場に面した「エカチェリーナⅡ世」という名の安宿にこの時は宿泊した。
今回、立ち入り規制は解除され、階段にも自由にアクセスできるようになっていた。ウクライナ沿岸からロシア海軍が放逐され、海の安全が確保されたからだろう。穀物輸出もその後順調である。広場のエカチェリーナⅡ世像はすでに撤去され、台座だけ寂しく残るが、ホテル「エカチェリーナⅡ世」の名称はそのままだった。
前回はロシア軍の攻撃が比較的少ない時期で、晩夏のひとときを楽しむ市民で商店や飲食店はにぎわっていた。名所巡りのミニバスも運行していた。今、人影がまばらで閉まっている店も多いのは、単に季節が冬だからだろう。オデッサは寒い。気温だけ見るとキーウよりやや暖かいが、体感温度は時にハルキウ並かと思うほどである。
オデッサはロシア軍のミサイルやドローンによる攻撃を受け続け、多数の犠牲者と甚大なる被害を出している。オデッサ市によると、損傷した屋外の文化財は、銅像も含めると360件に及ぶ。そのような脅威から文化財を守ろうと、オデッサ市や地元選出の政治家らは国連教育科学文化機関(ユネスコ)と協力し、旧市街一帯を「オデッサ歴史地区」として2023年、世界遺産に急遽登録した。ただ、その後も攻撃は止まず、むしろ文化財を狙ったと考えられるものもある。その被害状況と保護の現状をうかがおうと考えた今回、筆者は首都キーウから、夜行列車で早朝オデッサに到着した。

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