
暑い。8月半ばの日本を脱出してきたはずなのに、待っていたのは灼熱の大地だった。たぶん40度前後になっているだろう。
アルメニア南東部、イランとの国境地帯に位置するメグリは、人口5000人ほどの最果ての町である。日本や欧州からはもとより、首都エレバンからも遠い。鉄道はなく、山岳道路を車でたどって、1日を費やす。
町の向かいにそびえるイラン領の山に、緑はほとんどない。植生は砂漠と同じに見える。
「でも、ここでは素晴らしいイチジクやザクロが育つのです。特にイチジクは、アルメニア随一どころか、イラン産やトルコ産と比べても断然美味です。一口いかがですか」
メグリで面会した町長のハチャトゥル・アンドレアシアン(58)はそう言いつつ、特産の果物を盛った皿を勧めてきた。イチジクを手に取り、半分に割る。果肉にかぶりつく。日本のものよりずっと強い甘みが、口の中に広がる。乾燥地なのに果樹が育つのは、イラン国境を流れるアラス川とその支流のお陰である。広い果樹園があり、インドから約80人の出稼ぎ労働者が来て働いているという。

イランとは持ちつ持たれつ
アンドレアシアンは町長に最近就任したばかりである。その前はアルメニア・イラン商工会議所の会頭を務め、対岸のイランとの関係強化に尽力していた。
「お隣にイランがいてくれて、本当にありがたい。地元経済に大いに貢献しています。イランからの観光客を受け入れるため、メグリには最近、新たにホテルが2軒オープンし、他にも大型バスを駐車できるホテルが建設中です。イランと付き合って、悪いことは何もないですね」

テロ支援国家として非難され、核兵器開発疑惑が取り沙汰され、国連や欧米各国の制裁を受け、国内では人権や言論の自由を弾圧する――。国際社会にとってイランは困った存在であり、付き合い方が難しい。しかし、アルメニアにとって、イランはほぼ唯一、心を許せる隣国である。
アルメニアが国境を接する4カ国のうち、東側アゼルバイジャンや西側トルコとは激しく対立し、いずれの国境も閉ざされている。北側のジョージアとの関係は近年良好だが、ジョージア国内のアルメニア系住民の処遇を巡って時に関係に波風が立つ。最南部でわずか44キロだけ接するイランとだけ、係争の種がない。アルメニアが民主化を進めるのに対し、イランは相変わらずの強権国家という違いはあるものの、両国は持ちつ持たれつの関係を築いている。
イランの、特に北西部の人々にとって、アルメニアは息抜きができる旅行先である。観光バスで乗り付け、本国ではできない享楽に溺れるという。男たちは酒を飲んで騒ぎ、女たちは歌って踊る。それを黙認するわけではないだろうが、イランは最近、メグリが属するシュニク州の州都カパンに領事館を開き、イランからの旅行者や移住者に対する支援の態勢を整えた。
両国にとって観光以上に重要なのが物流である。メグリの真ん中を貫く道路は、コーカサス地方を南北に貫く街道の一部にあたり、大型トラックやトレーラー、タンクローリーがガンガン走り去る。その3分の1ほどはイランのナンバーで、さらにジョージアのナンバーも加わる。物資の多くはインドのムンバイで船に乗り、イランのバンダルアバス港に水揚げされた後、アルメニア、ジョージア国内を経由して欧州やロシアに運ばれる。陸路での出入りが限られるアルメニアにとっても、制裁を受けるイランにとっても、戦略的に重要な輸送路である。


もっとも、町の背後には海抜2539メートルのメグリ峠が控え、大型車両は息絶え絶えに登っていく。その後もアルメニア国内は急勾配、急カーブの連続である。運転手にとっても、トラックにとっても、決して楽な道のりではない。
今、メグリを南北に縦断するこのルートとは別に、東西に横断するルートを開く話が持ち上がっている。いわゆる「ザンゲズール回廊」問題である。

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