アルメニア「サバイバル戦略の行方」(1) ユーラシアの十字路

執筆者:国末憲人 2024年10月25日
タグ: 紛争
エリア: ヨーロッパ
イランへの国境検問を待つ大型トラックの列。左正面の山はイラン領(筆者撮影、以下すべて)

 暑い。8月半ばの日本を脱出してきたはずなのに、待っていたのは灼熱の大地だった。たぶん40度前後になっているだろう。

 アルメニア南東部、イランとの国境地帯に位置するメグリは、人口5000人ほどの最果ての町である。日本や欧州からはもとより、首都エレバンからも遠い。鉄道はなく、山岳道路を車でたどって、1日を費やす。

 町の向かいにそびえるイラン領の山に、緑はほとんどない。植生は砂漠と同じに見える。

「でも、ここでは素晴らしいイチジクやザクロが育つのです。特にイチジクは、アルメニア随一どころか、イラン産やトルコ産と比べても断然美味です。一口いかがですか」

 メグリで面会した町長のハチャトゥル・アンドレアシアン(58)はそう言いつつ、特産の果物を盛った皿を勧めてきた。イチジクを手に取り、半分に割る。果肉にかぶりつく。日本のものよりずっと強い甘みが、口の中に広がる。乾燥地なのに果樹が育つのは、イラン国境を流れるアラス川とその支流のお陰である。広い果樹園があり、インドから約80人の出稼ぎ労働者が来て働いているという。

イラン国境の町メグリ

アルメニア

 

イランとは持ちつ持たれつ

 アンドレアシアンは町長に最近就任したばかりである。その前はアルメニア・イラン商工会議所の会頭を務め、対岸のイランとの関係強化に尽力していた。

「お隣にイランがいてくれて、本当にありがたい。地元経済に大いに貢献しています。イランからの観光客を受け入れるため、メグリには最近、新たにホテルが2軒オープンし、他にも大型バスを駐車できるホテルが建設中です。イランと付き合って、悪いことは何もないですね」

メグリの町長ハチャトゥル・アンドレアシアン

 テロ支援国家として非難され、核兵器開発疑惑が取り沙汰され、国連や欧米各国の制裁を受け、国内では人権や言論の自由を弾圧する――。国際社会にとってイランは困った存在であり、付き合い方が難しい。しかし、アルメニアにとって、イランはほぼ唯一、心を許せる隣国である。

 アルメニアが国境を接する4カ国のうち、東側アゼルバイジャンや西側トルコとは激しく対立し、いずれの国境も閉ざされている。北側のジョージアとの関係は近年良好だが、ジョージア国内のアルメニア系住民の処遇を巡って時に関係に波風が立つ。最南部でわずか44キロだけ接するイランとだけ、係争の種がない。アルメニアが民主化を進めるのに対し、イランは相変わらずの強権国家という違いはあるものの、両国は持ちつ持たれつの関係を築いている。

 イランの、特に北西部の人々にとって、アルメニアは息抜きができる旅行先である。観光バスで乗り付け、本国ではできない享楽に溺れるという。男たちは酒を飲んで騒ぎ、女たちは歌って踊る。それを黙認するわけではないだろうが、イランは最近、メグリが属するシュニク州の州都カパンに領事館を開き、イランからの旅行者や移住者に対する支援の態勢を整えた。

 両国にとって観光以上に重要なのが物流である。メグリの真ん中を貫く道路は、コーカサス地方を南北に貫く街道の一部にあたり、大型トラックやトレーラー、タンクローリーがガンガン走り去る。その3分の1ほどはイランのナンバーで、さらにジョージアのナンバーも加わる。物資の多くはインドのムンバイで船に乗り、イランのバンダルアバス港に水揚げされた後、アルメニア、ジョージア国内を経由して欧州やロシアに運ばれる。陸路での出入りが限られるアルメニアにとっても、制裁を受けるイランにとっても、戦略的に重要な輸送路である。

メグリ峠を登る大型トラック
カパンータテフ間の峠道。イランからジョージアに向かうアルメニア国内の道路は急勾配、急カーブの連続

 もっとも、町の背後には海抜2539メートルのメグリ峠が控え、大型車両は息絶え絶えに登っていく。その後もアルメニア国内は急勾配、急カーブの連続である。運転手にとっても、トラックにとっても、決して楽な道のりではない。

 今、メグリを南北に縦断するこのルートとは別に、東西に横断するルートを開く話が持ち上がっている。いわゆる「ザンゲズール回廊」問題である。

黒海とカスピ海を結ぶコーカサス山脈の南側にあるジョージア、アゼルバイジャン、アルメニア3カ国は、ユーラシア大陸の南北街道と東西街道の十字路だ。南北はロシアとイランを結び、その先に海路を経てインドの巨大市場も控えている。そしてカスピ海と黒海を繋ぐ東西のルートは、旧ソ連時代からユーラシア―欧州の物流を支え、トルコの影響とも切り離せない。2023年、ナゴルノ・カラバフの帰属をめぐりアルメニアとアゼルバイジャンが30年以上続けた紛争が、アゼルバイジャンの勝利によって終結した。1つには、アルメニアの親欧米パシニャン政権が、ロシアの後ろ盾を失ったからだとされている。ただ、3カ国を囲む地域大国の思惑も交錯しており、背景は一筋縄では括れない。本誌特別編集委員・国末憲人氏がアルメニアを訪ねた。
カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
国末憲人(くにすえのりと) 東京大学先端科学技術研究センター特任教授、本誌特別編集委員 1963年岡山県生まれ。85年大阪大学卒業。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。パリ支局長、論説委員、GLOBE編集長、朝日新聞ヨーロッパ総局長などを歴任した。2024年1月より現職。著書に『ロシア・ウクライナ戦争 近景と遠景』(岩波書店)、『ポピュリズム化する世界』(プレジデント社)、『自爆テロリストの正体』『サルコジ』『ミシュラン 三つ星と世界戦略』(いずれも新潮社)、『イラク戦争の深淵』『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『巨大「実験国家」EUは生き残れるのか?』(いずれも草思社)、『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)、『テロリストの誕生 イスラム過激派テロの虚像と実像』(草思社)など多数。
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