全米初のトランスジェンダーを公表する下院議員サラ・マクブライドが語る「『ファースト』であること」

執筆者:草生亜紀子 2026年3月17日
タグ: アメリカ LGBT
エリア: 北米
地元有権者と歓談する米民主党のマクブライト下院議員(以下、写真はすべて同議員提供)

 11月の中間選挙に向けて予備選が繰り広げられているアメリカで、2024年の選挙で大敗を喫した民主党内ではアイデンティティの模索や世代交代が進んでいる。そんな中、注目を集める新人議員がいる。サラ・マクブライド下院議員(35)だ。共和党がホワイトハウスと上下両院をおさえた2024年の選挙で、民主党候補としてデラウエア州から選出され、トランスジェンダーであることを公表している初の下院議員となって歴史に名を刻んだ。DEI(多様性、公平性、包括性)が否定され、大統領が「男と女しかいない」とトランスジェンダーの存在を否定する逆風の中で新たな議員生活を始めた彼女が、この1年を振り返り、「ファースト(先駆者)」であることの誇りと痛みを語った。

最優先課題は医療保険制度改革

 小さい頃から政治が好きで、中学生の頃から候補者の応援演説に立ち、首都ワシントンのアメリカン大学で学生会長に選出され、オバマ政権時代のホワイトハウスでインターンを経験し、LGBTQの権利擁護団体で働き、デラウエア州上院議員をへて下院に当選した彼女にとって、いくつもの歴史的決議を行ってきた連邦議会は、まさに夢見た舞台のはずだった。だが、選挙に当選した直後からトランプ派の議員が「議会内で、トランスジェンダーの人は生まれた時の性に合致したトイレを使え」と主張し、共和党の下院議長がこれに同意し、出席した委員会では「ミスター」呼ばわりされるなど、次々と嫌がらせを受けた。

外交委員会でマルコ・ルビオ国務長官に質問するマクブライト議員

 マクブライド議員はこの1年を、「痛みと前進の入り混じった1年だった」と振り返る。差別や偏見を乗り越えて、トランスジェンダー女性として下院議員に選ばれたことは間違いなく大きな前進だった。だが、時代に逆行するようなトランス差別に晒された。それでもマクブライド議員は挑発に乗らないと言う。「私の仕事はプロの扇動屋ともいうべき人々が期待する反応をしてやらないことです」。挑発に乗って反論すれば注目を集める。それが彼らの狙いであることは明らかだからだ。「議会内の女性トイレを使うなという規則には賛同しませんが、多数派である共和党が支配する下院では争う方法はありません。私にできるのは、嫌がらせをしているのは誰で、いじめられているのが誰か明確にわかるように示すこと。常軌を逸したヘイトに対して、品格と尊厳ある反応をすることで、人々は誰が正しいのかわかるはずです」と冷静な対応の理由を説明する。

 実際、嫌がらせに取り合わない姿勢を保ったことで、民主党はもとより共和党議員からも徐々に信頼を勝ち得て、結果的にこの1年で彼女は他のどの新人議員よりも数多くの超党派の法案を提出できたという。同時に、反トランス法案も出されたが、法律として成立したものは一本もない。

 マクブライド議員が政策として最優先課題に掲げるのは、実はLGBTQ関係の問題ではなく、医療保険制度、有給の介護・看護休暇、経済など人々の生活に直結した分野の問題だ。これは、12年前に夫アンディ・クレイを癌のために喪った時の経験から来ている。弁護士として、多くの人々が医療保険に入れるような制度改革をライフワークにしていたアンディは享年28歳。癌の診断を受けた時、適切な治療を受けられる保険に入っており、夫婦ともに仕事の柔軟度が高かったため治療と看護に専念することができた。だが、それが「運が良かった」から許されるのではなく、誰でも安心して治療を受けられ、家族は仕事を失う恐れなく介護や看護ができることが法律で保障されていなければならないとふたりは強く考え、夫を喪ったマクブライド議員はその実現のために州議会議員になり、さらに下院議員になった。彼女は「州議会でも下院でも、ある意味、私の政治活動はすべてアンディへのラブレターでもあります。彼が亡くなってから12年が経ちますが、今でも毎日、彼のことを想います」と語る。

自らを重ねるのは黒人初の大リーグ選手

デラウエアのコミュニティセンターで有権者の話を聞く

 マクブライド議員の話を聞いていると、「ファースト」であることの苦悩は、トランスジェンダーに限ったことではなく、初の黒人女性議員や黒人初の大リーグ選手といった開拓者たちと重なることがわかってきた。以下は、アパルトヘイト(人種隔離政策)を乗り越えて南アフリカ共和国初の黒人大統領に選ばれたネルソン・マンデラを引き合いに出しながら、「尊敬する歴史上の人物は?」と聞いた時の答えだ。

「もちろん、ネルソン・マンデラはヒーローです。2年ほど前に南アフリカを訪問したのは得難い経験でした。ネルソン・マンデラの足跡から学ぼうと思ったのです。アパルトヘイトの禍根を乗り越えるために設置した真実和解委員会からアメリカが学ぶことがあると考えました。ソーシャルメディアやニュースで見えるほどアメリカは分断されてはいませんが、それでも激しい対立が取り返しのつかない結果を生まないように、何らかの形の和解プロセスが必要だと考えています。

 他には、マハトマ・ガンジー、公民権運動を率いたキング牧師とジョン・ルイス議員も私のヒーローです。女性ではシャーリー・チザム。1968年に初当選した初のアフリカ系女性議員です。彼女は1972年に民主党の大統領指名予備選に名乗りを挙げたのですが、予備選の対立候補の中には頑強な人種隔離論者であるジョージ・ウォレスがいました。当時はどちらの党にもいろんな人がいたんです。選挙戦の最中、ウォレスが銃撃された時、チザム議員は病院に見舞いに行きました。どんなに酷い相手であっても敬意を示したのです。差別主義者を見舞ったことでチザムは批判を浴びて危うく議席を失いそうになりましたが、この時の経験をウォレスは、人種問題に対する自分の考えを変える重要な転換点になったと振り返っています。もちろん、ウォレスが即座に考えを改めたわけではありません。でも最終的にウォレスは自らの差別主義と隔離政策を悔いたのです。

 もうひとりよく考えるのが、初のアフリカ系の大リーガー、ジャッキー・ロビンソンのことです。当選直後の騒ぎの後、友人である元ヒューストン市長でレズビアンとして初めて大都市の市長になったアニス・パーカーがメッセージをくれました。『「42」っていう映画観た?』と。ジャッキー・ロビンソンのメジャーデビューに関する実話に基づく映画なのですが、配信で観ると、始まりに近いところでブルックリン・ドジャーズのオーナーが入団に当たってロビンソン選手にある質問を投げます。『怒りをコントロールできるか』と。『やり返せないような弱い奴になれというのか』とロビンソンが反発すると、オーナーはこう言うのです。『やり返さない強さを持って欲しい。悪態に悪態で返せば人は君の悪態だけを聞く。殴られて殴り返せば君だけが悪者になる。君は紳士であることと素晴らしい野球選手であることを示すことで世界を納得させるんだ』。この1年、何度もこのシーンを思い起こしました」

 マクブライド議員はこうした先駆者たちのことを考えると、「残念なことですが、『ファースト』の責務は往々にして、侮蔑に耐えることでもあります」と言う。そして、こうも言う。「攻撃されたのがより大きなLGBTQコミュニティであれば私は闘います。でも私個人に向けられた攻撃ならば、(叩かれていない)もう一方の頬を差し出すでしょう。挑発には乗りません」。

 差別意識剥き出しの共和党一部議員からの攻撃にもかかわらず、政治を通じた社会改革を諦めないマクブライド議員に、その希望はどこから来るのか聞いてみた。彼女は、参政権を持たなかった女性、公民権のなかった黒人、大恐慌時代の失業者など、歴史を振り返れば多くの人が希望のない中でも粘り強く政治的変革を求め続けた結果が今の社会だと言う。「私は政治が機能すると信じています。政治が時間とエネルギーを割くに値しないと思うことはできません。政治が多くの変革をもたらすのをこの目で見てきたから」。

 下院外交委員会に所属するマクブライド議員は今年デンマークを超党派議員団の一員として訪問し、ドナルド・トランプ大統領のグリーンランド買収提案に対する地元住民らの声に耳を傾け、アメリカの有権者にその声を届けた。政府閉鎖の間も医療保険を失う人々のために奔走し続けた。アメリカ政治はホワイトハウスだけで動いているわけではない。35歳の新人議員の今後から目が離せない。

グリーンランド問題に関連して訪問したデンマークで地元メディアの取材を受ける

 

サラ・マクブライド(Sarah McBride)

下院議員。1990年、弁護士の父と元ガイダンス・カウンセラーの母のもとに生まれる。兄がふたりいる。幼い頃から政治に興味を抱き、中学時代に家族の知り合いだったジャック・マーケル(のちのデラウエア州知事)の選挙運動に関わるようになる。政治活動が盛んな首都ワシントンにあるアメリカン大学で学生会長に選出されキャンパス改革に邁進。政治に関わって生きていく未来は容易に開けそうな一方で、「本当の自分」でなければ意味がないと考えるようになり、学生会長の任期最終日にトランスジェンダーであることをFacebookと学生新聞で公表した。

その後、ホワイトハウスでインターンをしている時に運命的な出会いをする。医療保険問題を専門とする弁護士アンディ・クレイ(祖父はスーパーコンピュータの父と呼ばれるシーモア・クレイ)だ。だが、彼は若くして進行性の癌になってしまう。LGBTQコミュニティのための活動家をしつつ、アンディの看病をした経験が、現在のマクブライド議員の政策課題に直結している。2020年にデラウエア州上院に当選。2024年連邦下院に当選して、2025年1月より下院議員。

著書『Tomorrow Will Be Different – Love, Loss and the Fight for Trans Equality』(Three Rivers Press、2018年)は、幼少期から抱えていた心と体の不一致からくる苦悩や、カムアウトして社会変革への道を歩み始めるまでが情感豊かに描かれる。マクブライド議員のやさしさ、賢さ、強さが詰め込まれた一作。この本の日本語版を出版すべくクラウドファンディング実施中(4月20日まで)。

https://greenfunding.jp/thousandsofbooks/projects/9231

カテゴリ: 政治 社会
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執筆者プロフィール
草生亜紀子(くさおいあきこ) 翻訳・文筆業。NGO職員。産経新聞、The Japan Times記者を経て、新潮社入社。『フォーサイト』『考える人』編集部などを経て、現職。
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