クオ・ヴァディス きみはどこへいくのか?

「ヤミ市の雄」だった人々

執筆者:徳岡孝夫 2003年1月号

 これは昔われわれが、コリアンを差別したかどうかとは別の話である。差別した、強制連行したと言いたい人は、言い続けて下さって結構である。 戦時中の私は旧制中学(五年制)の生徒で、勤労動員され西大阪の鉄道局倉庫で働いた。何度も空襲を受けた、危険な軍需産業地である。学校として行くのだから、断るすべはなかった。手っ取り早く言えば強制連行だが、今日に至るも私は抗議や賠償請求をしていない。国家は総力戦の最中だし、国民が生命の危険を冒すのは当然である。ついでながら、当時コリアンも日本国民だった。 ここで私が話したいのは、戦中ではなく戦後のことである。戦争が終わったとき、大阪駅前は焼野原になっていた。昔は旅館が並んでいた。旅館に泊まらぬまでも、座敷に通って着替え休息し食事する旅人が多数いた。今日ではメルヘンチックな乗物だが、昔SLの牽く汽車に乗ると、襟元が煤で真っ黒になった。長距離を行く者は途中下車して旅館に寄り、下着を替える必要があった。

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
徳岡孝夫(とくおかたかお) 1930年大阪府生れ。京都大学文学部卒。毎日新聞社に入り、大阪本社社会部、サンデー毎日、英文毎日記者を務める。ベトナム戦争中には東南アジア特派員。1985年、学芸部編集委員を最後に退社、フリーに。主著に『五衰の人―三島由紀夫私記―』(第10回新潮学芸賞受賞)、『妻の肖像』『「民主主義」を疑え!』。訳書に、A・トフラー『第三の波』、D・キーン『日本文学史』など。86年に菊池寛賞受賞。
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