経済の頭で考えたこと (74)

4つの国歌:リー・クアンユー氏が私に語ったこと

執筆者:田中直毅 2015年3月30日
エリア: アジア

 都市国家と呼ぶよりは「家産国家」と命名するのにふさわしいシンガポール建国の父リー・クアンユーが91歳で逝去した。家産国家とは、領土や人民などがすべて君主の私有物となされる国家のことだ。インタビューなど、私は彼には3度にわたって意見の交換を行う機会があった。これを回顧しつつ、彼が発揮した政治力量や秀でた展望力の背景に国家としての生存を巡る厳しい環境があったことについて触れてみたい。

 

「一生のうち歌う国歌を4回も変えたことをあなたは想像できるか」

 

 彼は英国の植民地下のシンガポールで1923年に生まれた。最初の国歌は英国のものだった。1942年に旧日本軍の占領下に置かれた。20歳前の青年は占領軍の用足しもしたという。「君が代」が国歌となった。1946年には英国に留学し、50年には帰国して弁護士業を開業した。ケンブリッジ大学は「ブリティッシュ・マラヤ」(イギリス領マラヤ連邦)の学生の視野を広げるだけでなく、専門人として生きていく術をも与えたのである。

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執筆者プロフィール
田中直毅(たなかなおき) 国際公共政策研究センター理事長。1945年生れ。国民経済研究協会主任研究員を経て、84年より本格的に評論活動を始める。専門は国際政治・経済。2007年4月から現職。政府審議会委員を多数歴任。著書に『最後の十年 日本経済の構想』(日本経済新聞社)、『マネーが止まった』(講談社)などがある。
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