キヤノン・御手洗冨士夫が賭ける「強運の複写」

執筆者:安西巧 2006年7月号
タグ: 日本

「セカンドチョイス」で選ばれた“傍流の男”は、ついに財界のトップにまで昇り詰めた。だが、足元にはぼんやりした不安も――。 一九九五年八月三十一日、キヤノン社長、御手洗肇(享年五十六)が肺炎で急逝した。当時、同社の最高実力者は会長の賀来龍三郎(二〇〇一年没)だった。肇の死は未明のことだったが、賀来は「経営に空白があってはならない」と即座に全役員を招集し、夜の明ける前に肇の従兄であり副社長だった御手洗冨士夫(七〇)の昇格を内定させたという。慌しい新社長の誕生だった。 翌九月一日に開いた就任発表の記者会見でも主役は賀来だった。

カテゴリ: 経済・ビジネス
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執筆者プロフィール
安西巧(あんざいたくみ) ジャーナリスト 1959年福岡県北九州市生まれ。1983年早稲田大学政治経済学部政治学科卒、日本経済新聞社入社。主に企業取材の第一線で記者活動。広島支局長、編集委員などを歴任し、2024年フリーに。フォーサイトでは「杜耕次」のペンネームでも執筆。著書に『経団連 落日の財界総本山』『広島はすごい』『マツダとカープ 松田ファミリーの100年史』(以上、新潮社)、『さらば国策産業 電力改革450日の迷走』『ソニー&松下 失われたDNA』『西武争奪 資産2兆円をめぐる攻防』『歴史に学ぶ プロ野球16球団拡大構想』(以上、日本経済新聞出版)など。
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