「セカンドチョイス」で選ばれた“傍流の男”は、ついに財界のトップにまで昇り詰めた。だが、足元にはぼんやりした不安も――。 一九九五年八月三十一日、キヤノン社長、御手洗肇(享年五十六)が肺炎で急逝した。当時、同社の最高実力者は会長の賀来龍三郎(二〇〇一年没)だった。肇の死は未明のことだったが、賀来は「経営に空白があってはならない」と即座に全役員を招集し、夜の明ける前に肇の従兄であり副社長だった御手洗冨士夫(七〇)の昇格を内定させたという。慌しい新社長の誕生だった。 翌九月一日に開いた就任発表の記者会見でも主役は賀来だった。

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