風が時間を (2)

まことの弱法師(2)

執筆者:徳岡孝夫 2016年5月22日
エリア: アジア

 フルブライト全額給費留学生の選抜試験に通った者に、委員会から「行きたい大学は?」と聞いてきた。よく考えてから私はニューヨーク州中部のシラキュース大学新聞学科を指名した。大学からも受け入れOKの手紙が来た。
 ニューヨーク・シティから約200キロ。人口14万余の中都市である。氷河期末に北へ退く氷河に削られたのか、縦長に細い湖がいくつか並ぶ湖水地帯の静かな町のようである。
 市名をイタリア語にすればシラクサ(シチリア島)だから、イタリア系移民が開市したと想像される。またシラキュース大の教授が書いた新聞学の研究書が1冊、大阪アメリカ文化センターにあり、私はそれを読んでいた。
 専攻が新聞関係ならなぜニューヨークの、たとえばコロンビア大学を希望しなかったのか。
 当時ニューヨークには「NYタイムズ」と「NYヘラルド・トリビューン」の朝刊2紙があり、激しく競争していた。私も後日双方を訪ねて編集局へ行き記者たちと話した。ただし耳をつんざくタイプライター音の中の、昔の話。
 国連やウォール街はじめ大取材源もある。だが私は、ニューヨークには近いがニューヨークに少し距離を置いた湖畔の町で、自分が職業に択んだ「新聞」というものを静かに考えてみたかった。
 ニューヨークには毎日新聞の支局がある。そんな町に住めばどうなるか、行く前から予想できた。
 支局長から電話が来る。
「あす日本から客が来る。すまんがザッと案内してくれんか。英会話は苦手だというんだ」
 そういうのが月に何度も来て、私は観光案内人になり果てるだろう。1年間、日本とのヘソの緒を断って、アメリカという大海を心ゆくばかり遊泳したかった。
 旅もしたい。大阪から選ばれた3人が、文化センターの館長宅に招かれたとき、館長が言った。
「向こうで勉強ばかりじゃ面白くない。旅行しなさい。とくに3都市。ニューヨーク、ニューオリンズとサンフランシスコはお忘れなく」
 いまも同じことを言いたい。(『新潮45』2016年5月号より転載)

カテゴリ: カルチャー
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