国際人のための日本古代史 (83)

「日本書紀」が隠した「天皇家」と「縄文商人」のつながり

執筆者:関裕二 2017年2月10日
タグ: 日本
エリア: アジア
縄文時代に「流通の要衝」だった対馬にある和多都美神社(筆者撮影)

 

 沖縄県中頭郡北谷町(ちゃたんちょう)の平安山原(はんざんばる)B遺跡から見つかった縦横5センチの土器破片が、縄文時代晩期(3000年からニ千数百年前)の東北地方の大洞A式土器(亀ヶ岡式土器)にちがいないと報告された(2017年1月24日、北谷町教育委員会)。沖縄で初めてみつかった縄文土器である。

 東北の人々が直接沖縄にもたらしたわけではないだろう。航海術に長けた海人(あま)と商人の存在を想定すべきだ。縄文商人はすでに「陸路」と「航路」を開き、「ネットワーク」を確立していた。黒曜石は産地から遠く離れた場所に運ばれていたし、縄文人は貝を保存食にして内陸部に運んでいた。目的は交易であり、その残骸が貝塚である。

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
関裕二(せきゆうじ) 1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。著書に『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』、『「死の国」熊野と巡礼の道 古代史謎解き紀行』『「始まりの国」淡路と「陰の王国」大阪 古代史謎解き紀行』『「大乱の都」京都争奪 古代史謎解き紀行』『神武天皇 vs. 卑弥呼 ヤマト建国を推理する』など多数。最新刊は『古代史の正体 縄文から平安まで』。
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