
若き日の藤原義江。撮影年は不詳だが、撮影者は、第2次世界大戦時、米日系人収容所で隠し持っていたレンズでカメラを作り、密かに収容所で暮らす日系人を撮影していたことで知られる写真家の宮武東洋(下関市の「藤原義江記念館」提供、以下同)
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「我らのテナー藤原義江」として活躍している人物が、まさか暁星小学校で時間を共にした「水野義江」と同一人物だったことに、後年、同級生たちは驚いたという。
「学校の前の雨宮さんの家に石を投げてガラスを割って、ブフ校長にひっぱたかれたあの水野が、我らのテナーとは」

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