16世紀の最末期、豊臣秀吉の朝鮮出兵は、東アジア史の画期をなす。日本列島という狭い範囲だけでも、政権の交代をもたらしたし、ひろくみれば、明清交代の呼び水にもなった。朝鮮半島の激動は今も昔も、それだけのインパクトがある。
そしてその前後、朝鮮王朝との交渉経験の豊富な対馬が果たした役割は、決して小さくなかった。しかしそれはもはや従前のような「日本国王」としてではない。対馬の宗氏は秀吉・家康に服属しつつ、日本の統一政権と朝鮮との通交を果たす橋渡しの役割を演じた。朝鮮出兵の後始末も、そうである。
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