
古来、政争に敗れた貴種たちは葛城から紀ノ川、吉野に逃れてきた(葛城山中腹から飛鳥方面を望む:筆者撮影)
奈良県高市郡高取町佐田で、飛鳥時代の烽火(のろし)の跡がみつかった。佐田タカヤマ遺跡だ。標高152.2メートルの丘陵に円形土壇が築かれ、煙突状に掘られた深さ2.7メートル、直径2メートルの穴に、焦げあとと灰が残されていた。
この烽火は、白村江の戦い(663)で唐と新羅の連合軍に敗れた中大兄皇子が造らせたと推理されている。『日本書紀』天智3年(664)条に、対馬、壱岐、筑紫国に、防人(さきもり=守備の兵士)を配置し、烽火を置き、水城(みずき=防衛のための堤)を築いたと記録されているからだ。

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