国際人のための日本古代史 (132)

飛鳥の烽火は壬申の乱の勝敗を左右した?

執筆者:関裕二 2021年2月6日
タグ: 日本
エリア: アジア
古来、政争に敗れた貴種たちは葛城から紀ノ川、吉野に逃れてきた(葛城山中腹から飛鳥方面を望む:筆者撮影)

 

 奈良県高市郡高取町佐田で、飛鳥時代の烽火(のろし)の跡がみつかった。佐田タカヤマ遺跡だ。標高152.2メートルの丘陵に円形土壇が築かれ、煙突状に掘られた深さ2.7メートル、直径2メートルの穴に、焦げあとと灰が残されていた。

 この烽火は、白村江の戦い(663)で唐と新羅の連合軍に敗れた中大兄皇子が造らせたと推理されている。『日本書紀』天智3年(664)条に、対馬、壱岐、筑紫国に、防人(さきもり=守備の兵士)を配置し、烽火を置き、水城(みずき=防衛のための堤)を築いたと記録されているからだ。

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カテゴリ: 政治 カルチャー
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執筆者プロフィール
関裕二(せきゆうじ) 1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。著書に『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』、『「死の国」熊野と巡礼の道 古代史謎解き紀行』『「始まりの国」淡路と「陰の王国」大阪 古代史謎解き紀行』『「大乱の都」京都争奪 古代史謎解き紀行』『神武天皇 vs. 卑弥呼 ヤマト建国を推理する』など多数。最新刊は『古代史の正体 縄文から平安まで』。
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