ブックハンティング・クラシックス (47)

数式はサッパリわからなくても読み切る価値のある名著

執筆者:向井万起男 2009年3月号
タグ: 日本

『クォーク 素粒子物理はどこまで進んできたか』
南部陽一郎著
講談社ブルーバックス

 今回とりあげるのは、昨年のノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎氏が一九八一年に書いた本。二十八年前の本だ。
 ところで、本題に入る前にどうしても言っておきたいことが三つある。この本の意義を鮮明にするためにだ。どうしてそうなるかは、最後にわかって頂けると思う。
 まず一つ目は、この本をどうして私ごときが紹介するのかということだ。私は物理学者ではなく、一介の医師にすぎない(もちろん、ノーベル賞とはまるっきり縁がない)。でも、すべての科学の基礎となるのが物理学だ。医学も例外ではない。で、私は、相対性理論や量子力学や素粒子物理学について学校で教えてもらったことなど一度もないが、そうした分野についてひとりでコツコツ本を読んで勉強している。つまり、下手の横好き、素人に毛が生えた程度のレベルだが、私は物理大好き人間というわけだ。
 二つ目。この本を南部氏が書かれたときは、ノーベル賞の対象となった「対称性の自発的な破れ」に関する業績は既に成し遂げられている。つまりこの本は、ノーベル賞に値する超弩級の業績をすでにあげられた方が自分の専門分野について書かれたものである。
 三つ目。南部氏のノーベル賞受賞が決まってから、書店に『クォーク 第2版 素粒子物理はどこまで進んできたか』(今回とりあげる本の改訂・追加版として九八年に出版されたものだが、基本的内容や記述法は変わらない)が平積みされているのを見て、私は“う~ん”と考え込んでしまった。果たしてどれだけの人が読み切るのだろうか、と。
 では、いよいよ本題。
 いつの時代の人類も必ず問いかけることが二つある。つまり、人類の宿命と言ってもイイ二つの問題。この宇宙はどうして生まれ、どうなっているのか。そして、この世に存在する物質を形成している最小単位というものがあるのか、あるとしたらそれは一体何なのか。素粒子物理学とは、後者の研究をする学問。物質を形成している最小単位、つまり素粒子というものがあり、それを研究する学問だ。
 ところが、素粒子物理学は進歩するに従い、最小単位の研究という狭い枠にとどまらず、相対性理論や量子力学と関連し、宇宙の誕生・構造にも密接に結びついた学問となっている。で、この本は素粒子とは何かというところから始まるが、読み進んでいくと、人類の宿命的な二つの問題について書かれていることに気付くことになる。
 ここで、私の実体験を。刊行から間もなくこの本と初めて出会った時、しょっぱなからいきなり引きずりこまれ、貪るように読んだ。原子核を構成している陽子や中間子はもはや素粒子ではなく、クォークが素粒子。では、クォークとは一体どういうものなのか。その存在意義、その存在を支配する法則はどうなっているのか。こうしたことが実に詳しく書かれているのだ。もちろん、そもそも物質とは一体何なのかについても、物質はどうなるのかについても、宇宙についても書かれている。まさに、読んでいて胸躍るといった感じだった。
 のちにノーベル賞の対象となった南部氏自身の業績である「対称性の自発的な破れ」に関する研究についても、その考えが生まれた背景、その意義などをわかりやすく説明してくれているのだから嬉しい。
「対称性の自発的な破れ」については、しばしば言われる譬えがこの本でも紹介されている。
「宴会が開かれていて、大きな円いテーブルのまわりに大勢の客がぎっしり着席している。各々の席の前には皿、ナイフ、フォーク、ナプキンなどのセットがきちんと置いてあるが、隣の席との間隔が狭いので、どちら側のナプキンが自分に属するのかわからぬほど左右対称である。実際どちらをとってもかまわぬはずだが、誰か一人が右側のナプキンをとり上げれば他の客もそれにならっていっせいに右のをとらねばならなくなり、とたんに対称性が自発的に破れてしまうのである」
 わかりやすく面白い譬えだ。
 では、対称性が自発的に破れたのと、はじめから対称性がなかったのは同じなのか。同じではない。では、対称性があった証拠、言い換えれば、破れた対称性のなごりといったものがあるのか。ある。それが、南部―ゴールドストーン波と呼ばれる波である。しかも、その波の量子の質量はゼロ! 簡単に言うと、これがノーベル賞受賞につながった。

カテゴリ: カルチャー
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