ソウル打令2021 (4)

もはや「猟奇的な彼女」が普通?

執筆者:平井久志 2021年7月25日
タグ: 韓国
エリア: アジア
ピンス(韓国式かき氷)店で、出来上がったピンスを持って行く若い男性(筆者撮影)

 

 僕の知っている韓国は、儒教精神が根強く残っている国でした。家庭の内部ではオモニ(母親)の力が大きいのですが、人目に付く場所では、まだまだ男尊女卑の雰囲気が強く、男性上位だと思っていました。

韓国の若い男性はジェントルマン?

 ところが、韓国のカフェで面白い光景を目にしました。デートを終えたと思われる若い男女が出て行く時、コーヒーカップやゴミの片付けをしているのは若い男性でした。興味を抱いて、その後も出て行くカップルを見ていると、圧倒的に若い男の子が片付けをするケースが多いのです。女性の方は、当然とばかりに席に座っています。

 次はカルククス(韓国式のうどん)の店でのことです。僕の入った店は、キムチはお代わり自由で、セルフサービスでお代わりを持って来るスタイルの店でした。食事の途中で、なくなったキムチを補充に立ち上がるのは、女性ではなく、若い男性でした。

 韓国の夏の楽しみはピンス(韓国式のかき氷)です。日本のかき氷は氷の粒が大きく、溶ける前の氷が少しざらざらしていますが、韓国の氷は雪のように細かい上に、いろいろなトッピングがあり、とてもおいしいのです。ピンスの店では、どのかき氷を食べるか決めて、テーブルで完成を待つのですが、カップルの場合、カウンターにかき氷を取りに行くのも圧倒的に若い男性でした。

 僕は2007年夏に3度目の韓国勤務を終えて日本に帰りましたが、少なくともこの頃までは、代金を支払うのは男性ですが、片付けや、カウンターにかき氷を取りに行くのは圧倒的に女性でした。いつの間に、韓国の若い男性たちはこんなに女性に親切なジェントルマンになったのでしょうか? 良い悪いという問題ではなく、明らかに若者文化が変わってしまった、と感じるのです。

20年前なら「変わった子」

『猟奇的な彼女』

 韓国で大ヒットした『猟奇的な彼女』という映画があります。原作は1999年、ある男性がパソコン通信に、自分が付き合っていたちょっと変わった女の子の話を小説にして連載したものでした。それが話題になって出版され、ベストセラーとなり、2001年に映画化されました。

 映画は、人の良い大学生のキョヌ(チャ・テヒョン)が、地下鉄で酔っ払いの女性(チョン・ジヒョン)と出会い、その介抱をしたことから付き合いが始まります。キョヌは、勝ち気で乱暴で、それでいて魅力的な彼女の虜になり、まさに奴隷のように奉仕するという、ロマンティックコメディです。

 この映画では、「猟奇的な彼女」と付き合う心得として、第1に彼女に女らしいことを要求してはいけない、第2に彼女に3杯以上酒を飲ませてはいけない(人を殴りまくるから)、第3に付き合って100日目には薔薇の花をプレゼントすること、第4に「殺す」と脅された時は「本当に死ぬ気になること」――を挙げていました。完全に女性上位のカップルです。彼女が片付けや注文した食事を持ってくることなど、考えることもできません。主演女優のチョン・ジヒョンは、この映画で不動の人気女優の座を獲得しました。

 この映画では、付き合って100日目に薔薇のプレゼントを要求されます。この映画がきっかけかどうかは分かりませんが、韓国の若いカップルの間では今、付き合って50日目や100日目に、彼氏が彼女にプレゼントをするのが「義務」となっているようです。

 しかし、この映画の題名が『猟奇的な彼女』となっているように、2000年代初めは、こういう女性は「猟奇的」と評価されるような「変わった子」だったのです。

 しかし2021年現在、チョン・ジヒョンの演じた自由奔放で、勝ち気で、自分をはっきりと主張する女性はもはや「猟奇的」ではなくなりつつあります。ごく普通といえるかもしれません。韓国社会を見ていると、特に、若者社会では、男性より女性の方が、元気があります。

反フェミニズムも登場

 この連載の1回目にソウル市長選挙の泡沫候補の紹介をしました。泡沫候補10人のうち5人は30代から40代の女性で、フェミニズム、性的マイノリティの尊重、格差是正、環境問題など明確な主張を持って立候補しました。当選の可能性はなくとも、そうした主張への支持を広げようという意気に溢れていました。

 韓国の最大保守政党「国民の力」の党首に36歳の李俊錫(イ・ジュンソク)氏が当選して話題になっていますが、彼の主張は能力主義、反フェミニズムです。左派政権下で女性優遇措置が行き過ぎ、男性への逆差別になっているという主張で、国会比例区の1位、3位、5位という奇数の候補に女性を立候補させる「クオータ制」の廃止を訴えています。

 日常生活では女性に親切で、しかも軍隊に行かねばならず、大学入試や、激しい就職戦争、生存競争を勝ち抜かねばならない若い男性たちの不満が、李俊錫氏を党首に当選させたといえます。

 女性は軍隊に行かなくても良いし、よく勉強するので、公務員や裁判官などで女性の比率はかなり上がっています。どうも若い世代では、女性は元気になり、男性は閉塞感に苦しんでいるように見えます。

 おそらく今、映画『猟奇的な彼女』が上映されても、当時ほどはヒットしないのではないかと思います。既にチョン・ジヒョン演じる「彼女」は少数者ではなく、普通にたくさんいる女性となっているからです。  

 でも、韓国が本当に儒教的な社会から抜け出したとは思いません。社会の根深いところに儒教的な考え方がまだまだ生きています。この20年、「猟奇的な彼女」たちが、少しはそこに風穴を開けたとは思いますが。

 

カテゴリ: 社会 カルチャー
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執筆者プロフィール
平井久志(ひらいひさし) ジャーナリスト。1952年香川県生れ。75年早稲田大学法学部卒業、共同通信社に入社。外信部、ソウル支局長、北京特派員、編集委員兼論説委員などを経て2012年3月に定年退社。現在、共同通信客員論説委員。2002年、瀋陽事件報道で新聞協会賞受賞。同年、瀋陽事件や北朝鮮経済改革などの朝鮮問題報道でボーン・上田賞受賞。 著書に『ソウル打令―反日と嫌韓の谷間で―』『日韓子育て戦争―「虹」と「星」が架ける橋―』(共に徳間書店)、『コリア打令―あまりにダイナミックな韓国人の現住所―』(ビジネス社)、『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮選書)『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫)など。
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