台湾「TPP加入」のカギを握る対日「食品輸入規制」問題

執筆者:野嶋剛 2021年9月28日
タグ: 台湾 中国 日本
エリア: アジア
TPP加入で民進党政権存続に弾みをつけたい蔡英文総統(総統府ホームページより)
中国と台湾の相次ぐ加入申請でにわかに中台対立の舞台となったTPP。台湾の蔡英文・民進党政権にとってTPP加入は「一丁目一番地」とも言える重要課題だが、そう簡単には進みそうもない。中国の反発だけでなく、日本との間にも食品輸入規制問題が横たわる。


 9月22日、台湾が環太平洋パートナーシップ協定(TPPまたはCPTTP)への加入を正式に申請した。バラク・オバマ米政権が推進したTPPは、ドナルド・トランプ政権での脱退を受けて、日本が音頭をとって残った国々をまとめあげ、2018年に発効した。

 欧州連合(EU)から離脱した英国が加入を目指し、バイデン政権の出方にいかなる変化があるかが関心を集めているなかで、中国に続き、中国との対立関係を孕んだ台湾の参加申請が飛び込んだだけに、世界的に注目されるニュースとなった。

 台湾参加に反対する中国と、TPP現議長国の日本の動きが、今後の展開を見定めるカギとなりそうだ。

想定外だった中国申請のタイミング

 中国の申請から台湾の申請までわずか6日間。何らかの相互作用がなかったと考える方が不自然だ。

 日本では一部で「中国が台湾の申請を察知したため、台湾に先んじて申請した」という分析が流れたが、台湾の関係者に取材したところ、このタイミングでの中国の申請は台湾にとっても想定外の事態であり、蔡英文政権内では、自らの対中インテリジェンス能力を問題視する声も上がっているという。中国が参加して2022年1月の発効を目指す「地域的な包括経済連携協定(RCEP)」に比べて、関税撤廃や産業保護政策などに高い水準の自由化を要求するTPPについて、中国はそう簡単には加入申請できないと踏んでいた可能性がある。

 蔡英文政権にとってTPP加入は政権発足以来掲げてきた「一丁目一番地」と言ってもいい重要政策だ。水面下で複数の関係国と非公式の協議を進めるなど、それなりの準備を進めていたが、国会にあたる立法院には、TPP加入に必要な法改正などの法案は送っていなかった。状況を総合すれば、申請のタイミングを計ってはいたが、年内の申請はまだ決断していなかったのではないかと思われる。

「名」を捨て「実」を取った台湾

 本来なら今年2月に英国が正式表明した際に台湾も同時に表明するという手もあったはずだ。思いとどまった背景には、日本との福島など5県の食品輸入規制問題がある。現在のTPP議長国である日本は台湾の味方になりうる存在だ。台湾に対して、日本は一貫してTPPでの協力の代わりに食品輸入問題の解決を求めてきた。しかし民進党政権は解決を望みながらも、世論の強い反対の前に、解決を先延ばししてきた。

 TPPの加入申請の前に日本の理解は得ておきたいが、食品輸入問題の解決をバーターで求められて立ち往生することは目に見えていた。

 加えて、同じ食品問題で、成長促進剤「ラクトパミン」が残留する米国産豚肉の輸入解禁を昨年表明したところ、蔡英文政権の支持率は一時的に10%以上も下がったと言われる。今年12月には野党国民党が提案した米国産豚肉の輸入解禁の賛否を問う住民投票が予定されており、米国産豚肉と日本の食品問題が政治的にリンケージされるのは避けたかった。

 一方、日本政治も自民党総裁選、衆議院選挙と年内は慌ただしい。12月の住民投票を否決に持ち込み、日本の食品輸入問題にも解決の道筋をつけてTPP加入申請へ、というシナリオを蔡英文政権は抱いていたと筆者は見ている。

 だが、中国の申請で状況は一気に変わった。台湾政府は会見で、中国が先にTPPに入ることで「リスクが生じる」と述べた。新規加入には全加盟国の同意が必要となるため、実際はリスクどころか、台湾の加入は事実上不可能になる。最悪でも2001~2002年に中台同時期加入を果たした世界貿易機関(WTO)と同じ「引き分け」に持ち込むため、慌てて申請を表明したと見るべきだろう。

 台湾は今回のTPP加入申請に際して、実現を優先させるため、「名」を捨てて、「実」を取ることにした。その象徴が加入の名義である。

 本来ならば、台湾主体性を掲げる民進党政権としては「台湾」の名義で加入したいところだろう。しかし、そうすると各国はより中国からの圧力を受けることになる。

 そこで今回は9月23日の会見のなかで、参加名義については「台湾・澎湖・金門・馬祖個別関税領域」を使うことを表明した。これはWTO加盟と同じ名称で、国際的にもすでに受け入れられているため、ハレーションが最も低いものだという現実的な判断があった。

最初のハードルは作業部会の設置

 現在、議長国は日本だが、事務局を担当するのはニュージーランドだ。台湾の書類はすでにニュージーランド政府に提出されており、書類は加盟11カ国に共有される。まず第一歩は「入場券チケット」となる作業部会の発足に向けた各国との個別交渉だ。

 英国の場合、今年2月に加入を申請し、9月に作業部会発足が固まった。すでに自由貿易の下地がある英国と違って、中国の場合はこの交渉に長い時間がかかるはずだ。一方、台湾の場合は、自由化の条件はかなり満たしている。ただ中国への政治的配慮をめぐって、加盟国間に温度差が出ることはほぼ確実で、各国が作業部会の設置に同意するまで年単位の時間がかかっても不思議ではなく、同意が得られるかどうも不透明だ。

 台湾については、現状で言えば11カ国のうち、日本やカナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどは反対しない可能性が高い。一方、マレーシア、シンガポール、チリ、ペルーなどの出方は未知数であり、もし台湾が先に加入するような流れになれば、中国側から強い働きかけがあるだろう。

 中国政府は台湾の加入について、外交部報道官が「公的な性質を持つあらゆる協定や組織への参加に断固反対する」とのコメントを出した。実際、台湾はWTOやAPEC(アジア太平洋経済協力会議)に経済体として参加しており、TPPも経済体としての参加は認めているので、中国の主張はTPPのルール上は考慮されないことになる。ただ、中国のこうした強硬姿勢は各国の判断に一定の影響を与えることになるだろう。

民進党政権維持のためのプラス要素

 台湾側にとって、TPPへの加入は、どうしても実現したいテーマであり、2016年に発足した蔡英文政権は当初からTPP加入を政策目標に掲げてきた。その理由は、三つの面から説明できる。

 一つはTPPによる実質的な経済利益があることだ。貿易依存度の高い輸出型経済の台湾は、自由貿易の枠組みに入らなければ、相対的に不利な環境に置かれてしまう。

 第二は、台湾が対中経済依存から脱却するために、貿易の多角化・分散化を実現したいからだ。依存が高いほど中国にカードを握られた形になる。

 最後は国際社会での存在感を高める狙いで、加入が実現すれば、中国の圧力をはねのけて台湾が独自の存在であることを示すことができる。

 いずれも2024年の台湾総統選で民進党の政権を維持するためにプラスに働く要素になる。

 台湾政府によれば、加入によって台湾の経済成長はGDP 2%の増加が見込まれ、加入しない場合は、0.5%のGDP減少になると試算している。プラスになる産業は、石油化学、ゴム、鉄鋼、金属、化学、資材などで、マイナスになるのは農業、自動車、自動車部品など。台湾とTPP加盟11カ国との関係で言えば、日本、シンガポール、ベトナム、マレーシアなどは貿易相手国のトップ10に入っており、台湾の貿易総額の24%を占めている。

鍵になる日本の動向

 では、日本は台湾の申請についてどのように対応するだろうか。台湾側からは「日本の動向が鍵になる」との指摘が繰り返されている。

 台湾の中華経済研究院WTO及びRTAセンターの李淳副執行長は、「中国の加入申請が台湾の参加申請のブースターになったのは確かで、最大の課題は日本の食品輸入問題。すでに米国、欧州とも科学的に福島の産品には危険性がないことを認めており、台湾が日本にノーと言い続けることは難しい」と述べる。

 茂木敏充外務大臣は、台湾の加入申請について「台湾は我が国にとって基本的価値を共有して、密接な経済関係を有する極めて重要なパートナーで、台湾の加入申請をまずは歓迎したい。他の参加国ともよく相談する必要がありますが、我が国としては、戦略的な観点や国民の理解も踏まえながら、対応していきたい」と語った。

 ポイントは「戦略的な観点」という言葉にある。含意は、対中包囲網の強化という大所高所に立って、台湾が食品輸入問題の解決に前向きな取り組みを見せてくれれば、即時解除の措置を取らなくても、日本は台湾の加入を応援できるとのスタンスを示したものと思われる。

 一方、米国のネッド・プライス国務省報道官は「米国は会員ではないが」と断りつつ、「台湾は民主主義を信奉し、WTOの責任あるメンバーでもある。中国は経済力で他国を強制しており加盟での評価に影響するだろう」とコメントし、台湾の加入に肩入れし、中国の加入を歓迎しない姿勢をほのめかした。

 TPPがにわかに中台対立の舞台となることは、加盟国にとっても想定外のことだろう。米国は当分TPPへの復帰には慎重な姿勢を崩していないが、中台の同時申請に加盟国がそれぞれどう対応するのか、目を凝らしてウォッチするはずである。米中新冷戦のもと、存在価値を上げたTPP体制の真価が問われるタイミングが突如やってきた形で、この難題をどう処理するか、各国の連帯や日本の外交力が問われる局面になるだろう。
 

カテゴリ: 政治 経済・ビジネス
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執筆者プロフィール
野嶋剛(のじまつよし) 1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に『イラク戦争従軍記』(朝日新聞社)、『ふたつの故宮博物院』(新潮選書)、『謎の名画・清明上河図』(勉誠出版)、『銀輪の巨人ジャイアント』(東洋経済新報社)、『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』(講談社)、『認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾』(明石書店)、『台湾とは何か』(ちくま新書)、『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』(小学館)、『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』(扶桑社新書)など。訳書に『チャイニーズ・ライフ』(明石書店)。最新刊は『香港とは何か』(ちくま新書)。公式HPは https://nojimatsuyoshi.com
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