「第一次世界大戦での楽勝」が日本の針路を狂わせた――日米開戦80年目の真実

執筆者:フォーサイト編集部 2021年12月5日
タグ: 日本 アメリカ
エリア: アジア
 

 成功体験こそが失敗の原因になる――このようなケースは現実社会でしばしば見られます。たまたま幸運に恵まれただけなのに、それを「実力」や「必然」と過大評価して、状況判断を誤ってしまうのです。

 80年前の日米開戦という無謀な決断の背景にも、そのような錯誤があったと指摘するのが、国際政治学者の細谷雄一氏が著した『歴史認識とは何か 日露戦争からアジア太平洋戦争まで』です。副題の通り、日米開戦に至る道のりを日露戦争まで遡って分析している本ですが、興味深いことに、日本が国際社会の潮流から外れて転落していくきっかけの一つに「第一次世界大戦」を挙げています。

第一次世界大戦は「天佑」だった?

 

 同書が強調しているのは、第一次世界大戦がヨーロッパ諸国に与えた被害の大きさです。主な参戦国の戦死者数は、英国75万人、ドイツ293万人、フランス132万人、ロシア180万人。連合国側の戦死者の合計は529万人で、同盟国側は481万人であり、主要国の軍人だけでも1000万人以上が戦死しています。これに非戦闘員の死者を加えれば、その数ははるかに大きく膨れ上がります。これだけ巨大な人的損失は、ヨーロッパの人々の心に計り知れない傷痕を残すことになりました。

 他方で、日本はドイツに宣戦布告をしたものの、欧州戦線で激しい戦闘を行ったわけではありません。日本の関心は、あくまでもアジア太平洋地域におけるドイツの権益を奪い取ることにあり、その戦闘での戦死者は千人に満たない程度でした。細谷氏は前掲書で、当時の元老・井上馨が、第一次世界大戦について語った次のような言葉を紹介しています。

 「今回欧州の大禍乱は、日本国運の発展に対する大正新時代の天佑にして、日本国は直に挙国一致の団結を以て、此の天佑を享受せざるをべからず」

 このように、ヨーロッパに壊滅的な被害をもたらした大戦は、日本においては自らの国運を発展させる「天佑」に過ぎなかったのです。戦争の恐怖と悲劇を学んだヨーロッパと、戦争により自らの権益と勢力圏を拡大した日本とでは、第一次世界大戦の記憶に大きな「ずれ」がありました。

歴史の転換点となった「満州事変」

 

 その後ヨーロッパ諸国が、パリ不戦条約を結び戦争を違法化して、戦争を防ぐことに大きな政治的情熱を注ぐ一方で、日本人はそのような新しい潮流に十分に留意することなく、軍備増強と軍事力行使による権益拡大に邁進します。

 とりわけ1931年9月18日に始まった「満州事変」が国際社会に与えた影響は甚大でした。日本の軍事行動の深刻さについて、イギリスの歴史家E・H・カーは、著書で次のようにその重要性を論じています。

 「日本の満州征服は第一次世界大戦後のもっとも重大な歴史的・画期的事件の一つであった。太平洋では、それはワシントン会議によって暫く休止していた争覇戦の再開を意味した。世界全般について見ると、第一次世界大戦の終結以後少なくとも露骨な形では現れなかった『権力政治』への復帰を予告するものであった」

 また、外交史家のザラ・スタイナーも同様に、満州事変がヨーロッパ国際政治に衝撃を与えたことを次のように指摘しています。

 「日本の指導者たちは、国際主義的な道のりを歩むことを拒絶して、満州の問題に対して軍事的な解決を好んだ。これらの事態の重要性は、単なる地域紛争の枠を超えていた。日本の行動は、国際連盟規約、さらにはパリ不戦条約に対する挑戦でもあった」

 そして、国際連盟事務局で長年勤務をして、事務次長まで務めたイギリスのF・P・ウォルターズも同じように、「日本の満州占領は、国際連盟の歴史、さらには世界の歴史における転換点となった」と述べています。

「成功は失敗のもと」にもなる

 

 この満州事変に伴う軍事行動がどのような意味を持つか、多くの日本人には分かりませんでした。あくまでもこの問題を、日中の二国間の問題としてのみ考えていたからです。国際社会においてどのような規範が論じられ、尊重されているか、またそれが国際秩序全体にどのような影響を与えるかという視点が不足していたのです。

 日本はこの後、国際社会で孤立していきます。日本の軍事行動に共感する国は、ほとんどありませんでした。結局、日本政府は1933年3月27日に、国際連盟のエリック・ドラモンド事務総長宛ての電報で、正式に国際連盟からの脱退を通告します。これで日本の国際的孤立の道が定まりました。

 日本は第一次世界大戦であまりに簡単に勝利を得てしまったため、その後の国際政治に生じた大きな潮流を十分に認識できませんでした。国際社会の流れから孤立して、それを敵視することで、日本は対米開戦という誤った道を進んでしまった――細谷氏は前掲書でそのように指摘しています。

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カテゴリ: カルチャー
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