「クリミアのキノコ雲」が告げるロシア・ウクライナ戦争の新たな局面

執筆者:名越健郎 2022年8月16日
エリア: ヨーロッパ
8月9日、クリミア西部のサキ軍空軍基地に爆音とともに立ち上がった「キノコ雲」  (C)REUTERS
8月9日、クリミアのロシア空軍基地で起こった謎の大爆発は、ウクライナによる「敵基地攻撃能力」のアピールだった可能性がある。今秋に計画されるヘルソン、ザボリージャ2州での住民投票は同地域のロシア併合に道を開き、この戦争を「主権国家同士の全面戦争」へと変貌させかねない。その阻止を企図するウクライナの南部奪回作戦が本格的に開始されたとも考えられる。

危険と機会を併せ持つ「ウクライナの意思表示」

 ロシアが支配するウクライナ領クリミア半島西部のサキ空軍基地で8月9日に起きた大爆発は、ウクライナ側のミサイル攻撃、ないしは破壊工作の可能性が指摘されており、その場合、戦争が新段階に入ったことを意味する。

 開戦から半年になるロシア・ウクライナ戦争で、ウクライナ側が初めてロシアの支配地域に大規模な攻撃を仕掛けたことになる。英国のロシア専門家、マーク・ガレオッティ氏は「戦争の形態が変わる可能性がある。ウクライナが戦争をエスカレートできるという意思表示であり、危険と機会の両方を併せ持つ」と指摘した。(The Spectator, 8月11日)

 ロシアは今秋、ウクライナの東部と南部を併合する住民投票を計画しており、ウクライナ側はそれを阻止するため南部奪還作戦に着手している。8、9月の戦況が重大局面になる。

 サキ空軍基地の大爆発では、これまでの戦況と異なる情景がみられた。過去半年間はロシアがウクライナの民間施設を攻撃したり、虐殺、暴行、略奪と残虐行為を繰り返したが、今回はロシア人がパニックになって逃げまどった。

 ロシアの独立系メディア「ノバヤ・ガゼータ」欧州版によると、9日午後3時過ぎ、クリミア西部の空軍基地で断続的に大爆発が起こり、大音響とともにキノコ雲のような噴煙が広がった。基地に近い黒海沿岸の保養地ノボフェドロフカのビーチにいた観光客はパニックになって逃げ出し、ロシアとクリミアをつなぐクリミア大橋に一斉に車で向かった。「ウクライナ人の復讐だ」と叫ぶ人もいた。

 基地周辺は防空サイレンが鳴り、近くのホテルでは飛び出した客を、従業員が地下室に誘導。子供たちが泣き叫んだ。震源から数キロ離れた地点でも爆風を感じ、基地周辺の建物の窓ガラスがほぼすべて割れたという。

 サキ空軍基地は、黒海艦隊付属の第43海軍航空連隊の拠点で、Su30戦闘機やSu24爆撃機が駐留。弾薬庫に引火して大爆発を起こし、航空機9機が破壊されたとされる。1時間に少なくとも6回の爆発があった模様だ。

 ロシアが実効支配する「クリミア共和国」のセルゲイ・アクショーノフ首長は「基地に隣接する集合住宅62、商業施設20、数十棟の民家が被害を受け、数十台の車が破壊された」と述べた。この爆発で1人が死亡、子供を含む9人が負傷したという。基地内の犠牲者は公表されておらず、ロシアのSNS、「テレグラム」では、軍人24人の死亡説が流れた。

 ロシア国防省は、「爆発原因は火災防止の法令違反」とし、偶発的事故を装っている。ロシアではこれまでも兵器庫の大爆発がしばしば発生し、キノコ雲の写真が報じられたこともある。

特殊部隊が基地内に潜入か

 ラトビアに拠点を移したロシアの反政府系メディア「メドゥーサ」(8月11日)は、謎の爆発について、キノコ雲が数百メートル離れた3カ所で発生しており、外部からの同一弾による攻撃か、破壊工作員が基地内に爆弾を仕掛けて爆発させた可能性が強いと分析した。

 サキ空軍基地に最も近いウクライナ軍の前線は200キロ以上離れており、ウクライナ軍が使用する米国製高精度多連装ミサイル「ハイマース」の射程は80キロだ。国産や英国製の対艦ミサイルは約300キロの射程を持つが、対艦ミサイルは速度が遅く、通常ならロシアの防空網が対応可能だ。ミサイルの飛来に関する目撃情報は伝えられていない。

「メドゥーサ」は、ミサイルより、ウクライナの特殊部隊が空軍基地に潜入し、爆弾を数カ所に仕掛けた可能性の方が高いとしている。ウクライナ側は現時点で犯行声明を出していない。

 米シンクタンク、戦争研究所は、爆発の原因はまだ特定できないとしながら、基地の数カ所でほぼ同時に爆発が起きたことから、ロシアの主張する偶発的な火災は考えられないと指摘。破壊工作やミサイル攻撃の可能性はあるが、その場合、警備体制の怠慢や防空システムの不備が問われると指摘した。

 米国防総省の高官は12日の定例会見で、「ウクライナが標的を選び、攻撃したが、どんな兵器を使用したかは不明だ」と述べた。しかし、国防総省はその後、「不正確な発言だった」として、高官の発言を撤回している。

 米紙「ワシントン・ポスト」(8月11日)によれば、ウクライナ軍当局者は同紙に対し、ロシア軍の戦線の背後で破壊工作を行うパルチザン組織の犯行であることを示唆した。同紙は、ウクライナ人の間では、4月のロシア黒海艦隊旗艦「モスクワ」の撃沈に匹敵する祝賀ムードが漂っているとし、「ウクライナ軍はロシアが安全と考える領域まで攻撃することで、ロシア軍に防衛力を再配置させ、戦争の構図を変えることができる」と指摘した。

ウクライナ側もロシア領攻撃

 サキ空軍基地は、ロシア軍のウクライナ南部攻撃の拠点だった。2月以降、Su24などの航空機が頻繁に南部のウクライナ軍拠点を爆撃し、ロシア軍は3月、比較的容易にヘルソン、ザポロジエ両州を制圧できた。従って、今回の爆発は、ウクライナ側の「敵基地攻撃」の可能性がある。

 ウクライナ内務省のアントン・ジェラシェンコ顧問は「これで、何十機ものロシア軍戦闘機が南部に爆弾を落としに来ることはないだろう」とSNSに書き込んだ

 ロシア軍の侵攻では、ウクライナ領が常に戦場になったが、ウクライナ側が境界を超えてロシア側を攻撃することもあった。

「メドゥーサ」の調査報道によれば、爆弾を積んだウクライナのドローンが6月、ロシア南部ロストフ州の石油精製所を自爆攻撃した。7月31日には、無人機が黒海艦隊基地を2度にわたって攻撃し、艦隊司令部は当日予定された式典を中止した。

 7月には、米国から提供された自爆ドローン「スイッチブレード」を使って、国境に隣接するロシアのブリャンスク州でロシア要人の暗殺を試みたという。

 8月11日には、ベラルーシがロシア軍に提供したベラルーシ南部のジャブロフカ空軍基地で数回の爆発炎上があったと報じられた。

 ウクライナ政府はハイマースから発射される射程300キロの地対地ミサイル、ATACMS(エイタクムス)の提供を米政府に求めているが、ジョー・バイデン政権は戦争のエスカレートを恐れ、承認していない。しかし、米議会は超党派で同ミサイルをウクライナに提供するよう主張し、政権側と協議しているという。

 ウクライナ軍が精密誘導の長射程ミサイルを保有すれば、「敵基地攻撃能力」が拡大することになる。

南部のロシア併合を阻止へ

 ウクライナが今回、クリミアの空軍基地を攻撃したとすれば、南部奪還作戦の一環となる。ロシア側はこれまでに、ヘルソン州の9割、ザポリージャ州の7割を制圧しているが、ヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は7月末、「あらゆる手段で南部の領土を取り戻す」とし、作戦の本格化を指示した。ウクライナ軍はロシアの補給路を遮断するため、ドニエプル川の3つの橋を攻撃している。

 米国のニュースメディア「ポリティコ」(8月10日)によれば、ウクライナの複数の当局者は、サキ空軍基地攻撃は南部での反転攻勢開始を示唆するものだとし、「8月と9月が軍事的観点から非常に重要な月になる」と指摘した。

 ウクライナが南部奪還を急ぐのは、ロシアがヘルソン、ザポリージャ両州でロシア連邦加盟を問う住民投票を計画しているからだ。セルゲイ・ラブロフ外相も7月、「ロシアは東部だけでなく、南部の制圧も目指している」ことを初めて明らかにした。既にロシアの中央選管関係者が現地入りし、地元親露派指導部に住民投票の方法を指示したとの情報もある。

 仮にロシアが南部2州で住民投票を実施し、2州併合を決めるなら、ロシアの領土が広がり、戦争形態が変わることになる。ウラジーミル・プーチン政権は2月以降、ウクライナ侵攻を「特別軍事作戦」とし、「戦争」と呼称していなかった。

 しかし、南部や東部をロシア領と宣言する場合、「特別軍事作戦」は主権国同士の戦争となり、プーチン大統領は憲法に沿って「戦争状態宣言」(戒厳令)を発動、総動員令を敷く可能性がある。ロシア側の論理では、国外の局地戦が全面戦争に発展することになる。

 一方、タカ派的な言説を強めるドミトリー・メドベージェフ安保会議副議長(前大統領)は7月にブログで、「ウクライナがクリミアを攻撃すれば、『審判の日』が即座に訪れる」と警告していた。

「審判の日」とは、核戦争による世界の終末を警告した1991年のハリウッド映画『ターミネーター2』の原題“Terminator2:Judgment Day”をイメージしているようだ。ウクライナのクリミア攻撃で、プーチン政権は再び「核の恫喝」を駆使するかもしれない。

 

カテゴリ: 軍事・防衛
フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
執筆者プロフィール
名越健郎(なごしけんろう) 1953年岡山県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社、外信部、バンコク支局、モスクワ支局、ワシントン支局、外信部長、編集局次長、仙台支社長を歴任。2011年、同社退社。拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学特任教授を経て、2022年から拓殖大学特任教授。著書に、『秘密資金の戦後政党史』(新潮選書)、『ジョークで読む世界ウラ事情』(日経プレミアシリーズ)、『独裁者プーチン』(文春新書)など。
  • 24時間
  • 1週間
  • f
back to top