永守重信、柳井正、孫正義が苦戦|稲盛和夫が遺した「自走」する組織作りの真骨頂

執筆者:大西康之 2022年9月5日
エリア: アジア
再建を手掛けたJALの記者会見で植木義晴社長(右=当時)を見守る稲盛氏[2013年3月19日](C)時事
「偉大な創業者」に率いられたベンチャー企業は、創業者なしには動かない組織になりがちだ。日本電産、ファーストリテイリング、ソフトバンクなど後継者選びで迷走を続ける「かつてのベンチャー」も少なくない中、稲盛和夫氏は現場の当事者意識を強く喚起すると同時に、そこで解き放たれる人間の危うい本性をも見つめていた。

 京セラ、第二電電(現KDDI)の創業者で、日本航空(JAL)を再建した稲盛和夫が8月24日、亡くなった。90歳だった。筆者は2012年から13年にかけて『稲盛和夫最後の闘い JAL再生にかけた経営者人生』を書くため、当時JALの会長だった稲盛氏に密着した。稲盛氏に経営観のみならず人生観まで変えられたJALの経営陣にも数多くインタビューした。見えてきたのは人間への深い洞察に基づいた独特の経営哲学だった。

 半年以上続いた取材の中で一番印象に残っているのは、袖捲りしたワイシャツ姿で赤いボールペンを握りしめ、細かい数字がびっしり書き込まれたエクセルの数表を読み込んでいる後ろ姿だ。稲盛氏は背中から湯気が立ち上らんばかりの集中ぶりで舐めるように数字を読んでいた。恐ろしくてとても声などかけられなかった。

仕事が「自分事」になり生き返ったJAL

 稲盛の経営を「宗教がかった」と形容する人がいる。だがあんなに細かく数字を読む教祖はいまい。むしろ稲盛経営の真骨頂は細かいデータの集積に基づく迅速で正しい判断にあった。インタビューの中でこう語っている。

「鹿児島大学の工学部を出て、松風工業という小さな碍子メーカーに就職しました。一心不乱でセラミックの開発をしましたが、経営が傾いて開発にストップがかかった。それで上司と衝突し、27歳の時に数人の仲間と独立しました」

「一介の技術屋でしたから、経営のことはよく分からない。会計士の話も専門用語が多くて理解できない。専門家は『売り上げが増えれば経費も増えるのが当たり前』と言いますが、素人の私は『売上高を最大に、経費を最小にするのが理想』と考えました」

 これがアメーバ経営の原点である。

   稲盛の凄みは決して知ったかぶりをしないことだ。第二電電で通信事業に進出したときも、JALの再建に乗り込んだ時も、訳知り顔で専門用語を使う社員を捕まえては「私に分かるように説明しろ」と食い下がった。本質を掴むまで何度でも質問を繰り返す。自分が「知らない」ということを知っている。「無知の知」だ。

   JALの時は100人を超える子会社に社長全員と1時間の面談を実施した。「それでようやくJALの姿が見えてきた」と稲盛は語った。

   稲盛は京セラを設立するとき松風の若手8人を引き連れて独立した。他に頼れる者がいないので、開発から製造、販売まで全部1人でやった。事業が軌道に乗り始め、社員が30人程度の規模になった頃、稲盛は切実にこう思った。

「自分と同じように会社の経営に責任を持って働いてくれる分身が欲しい」

   そう考えた稲盛は小さな会社をさらに小さなグループに分け、そのリーダーに収益責任を負わせた。小集団をベースとした「アメーバ経営」の骨格をなす「部門別採算制度」の始まりだ。

   この制度にはミソがある。

   原価や卸し売り価格がはっきりしている製造部門や営業部門は部門別の採算が一目瞭然だが、人事や総務などの間接部門は数字で業績を測れない。そこで稲盛は「会社がその部門からいくら相当のサービスを受けたか」を表す「協力対価」という考え方を導入した。そこから人件費など、そのサービスを提供するのにかかった費用を差し引けば間接部門でも「期間損益」を割り出すことができる。

   部門別採算制度の効果を、当時JAL会長だった大西賢はこう振り返る。

「倒産するまでのJALは、ほとんどの社員にとって会社の業績など他人事で、悪くなって悲しむことも良くなって喜ぶこともない。泣きもしなければ笑いもしない会社でした。アメーバ経営の導入で、JALは社員が一喜一憂する『生きている会社』になりました」

   パイロットが紙コップを使わなくて済むように機内にマイボトルを持ち込み、整備士が油で汚れた軍手を洗って再利用し、客室乗務員は搭乗する前に機内販売するスカーフを試着するようになった。一つ一つの取り組みは小さいが、仕事が「自分事」になった意識変化の効果は大きく、年間に2000億円を超える経費削減につながった。

京セラ「部門別採算制度」とリクルート「PC制度」

   稲盛が「アメーバ経営」を編み出したのと同じ時期に、部門別採算制度を導入した経営者がいる。稲盛が京セラを立ち上げた翌年の1960年にリクルートを創業した江副浩正だ。稲盛がセラミックスの技術者だったのに対し、江副は東大で心理学を学んだあと、卒業と同時にリクルートの前身の会社を設立した学生起業家だった。経営の経験がないのは稲盛と同じである。

   江副が、同じく心理学を学んだ大澤武志らとともに社員のモチベーションを上げる方法を探求する過程で生まれたのが「PC(プロフィット・センター)制度」だ。グループのマネージャーレベルに収支責任を負わせ、グループ同士を競わせた。人事部門で「東大生を1人採用して現場に配属したら売上高120万円」といった具合に「協力対価」を算出していたところも、アメーバ経営と同じである。

   心理学専攻の江副は、この仕組みによって「社員皆経営者」という風土をリクルートに植え付けた。会社や上司のやり方に不満を持つ社員を見つけると江副はこう聞いた。

「じゃあ、君はどうしたいの?」

「もっとこうした方がいいと思います」

「でも、こういう場合もあるよね?」

「そういう時はこうします」

   こんなやりとりをしばらく続けたあと、江副は破顔一笑でこう言うのだ。

「先生、さすが経営者ですねえ。じゃあそれ、明日から君がやって」

「え、僕がですか?」

「そうだよ。だって君のいう通りなんだもの」

   こうして江副は社内の「評論家」を「当事者」に変えていった。

「文句があるなら自分でやれ」

   今もリクルートにも生きている「圧倒的当事者意識」という考え方だ。これをもう少し哲学的にした言葉が、リクルート事件が起きるまで社内で使われていたこの社訓だ。

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」

   中国の古典「易経」の言葉、「窮すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず、通ずれば即ち久し(物事が行き詰まれば変化し、変化すれば局面が打開される。これが不変の法則だ)」にインスピレーションを得て江副が生み出したフレーズだ。あらゆることを「自分事として考える」という部分は稲盛のアメーバ経営と同じである。

「城主自らが若武者を連れて打って出る」

   我流で経営を始めた稲盛と江副は、ともに社員が自分で考え自分で動く組織を作り上げた。ベンチャー企業の多くは「偉大な創業者」に率いられて成長するため、「創業者がいないと動かない」組織になりがちだ。だが、その会社を世に生み出し、育て上げた創業者を超える経営者など簡単に見つかるものではない。

   この壁にぶち当たっているのが日本電産であり、ユニクロ(ファーストリテイリング)であり、ソフトバンクだ。日本電産創業者の永守重信はシャープ社長の片山幹雄、カルソニックカンセイ(現マレリ)社長の呉文精などを後継者含みで引き抜いたがいずれもお眼鏡に敵わず。今年8月には「三度目の正直」と言われていた日産自動車出身の関潤社長を事実上、解任した。

   ユニクロの柳井正は「65歳で引退」と公言し、一旦は日本IBMの玉塚元一を後継に据えたが、すぐに復帰。73歳の今も現役を続けている。ソフトバンクの孫正義もGoogle副社長のニケシュ・アローラを後継候補に招いたが「やっぱり自分がやりたい」と2年で方針を撤回した。

「自走する組織」作りに成功した京セラ、KDDIとリクルートは後継者がきちんと育っている。象徴的なのは、今年7月「史上最悪」と言われた大規模な通信障害を起こしたKDDI(au)の社長、高橋誠だ。

   障害発生時の記者会見に出席した高橋は、記者の質問を一手に引き受け「なぜこの障害が起きたのか」「いつまでに復旧するのか」を自分の言葉で丁寧に説明した。ネットでは「神対応」「正に上に立つ人」と称賛の声が上がり、通信障害という逆境の中で却って評価を上げた。

   高橋は横浜国立大学の工学部を卒業して1984年に京セラに入社したエンジニア。ちょうど稲盛が第二電電を設立した年で、高橋は志願して新設の第二電電に転籍した。20人の創業メンバーの1人であり、最若手だった。

   この時、稲盛は京セラの経営を離れ、第二電電の経営に専念した。その心境を、稲盛は私とのインタビューでこう語っている。

「新規事業を始めるというのは、城を打って出る時なんですね。その時、城主が自分の城に残り、ナンバーツーに攻めさせたのでは士気は上がりません。城主自らが打って出ないと」

「城主が打って出る時、ナンバーツーを連れて行くのもダメです。城がガラ空きになる。信頼できるナンバーツーに跡を託し、城主自らが経験の浅い若武者を連れて打って出る。これが正解です。城を託されたナンバーツーは立派な城主に育ちます。城主とともに打って出た者たちにも不退転の覚悟が生まれ、厳しい戦いの経験で一人前になるのです」

   稲盛とともにNTTとの戦いに打って出た若武者の高橋は見事な武将に育った。アメーバ経営で早い段階から小集団のリーダーとして鍛えられた高橋が、通信障害を「自分事」として語ったのは、ある意味で当然のことだ。

   江副が作ったPC制度で育つリクルートの社員も「自走」する。上司の指示が来る前に自分で解決策を考え、自分で動く。だから日本のベンチャー企業のトップには「元リク」と呼ばれるリクルートOB・OGが溢れている。

「部門別採算性だけでは会社は暴走」とも指摘

   社員のモチベーションを高め、経営者の目線で自走させるという意味で、稲盛と江副の経営手法はよく似ていた。一方で大きな違いもある。稲盛は部門別採算制度という「アクセル」と同時に「フィロソフィ(哲学)」というブレーキを社員に与えたが、江副の経営にはブレーキがなかった。

   アメーバ経営の一翼を成す「フィロソフィー」とは、稲盛がよく口にした「利他の心」に代表される経営哲学の集大成だ。京セラ社員に渡される「京セラフィロソフィー手帳」には「公明正大に利益を追求する」「私心なかりしか」など稲盛哲学の真髄が詰まっている。

   JAL再建に乗り込んだ時も、稲盛は「JALのフィロソフィー」を作るよう幹部に命じた。再建の第一歩として始めたのは、役員を集めて「フィロソフィー」を説くことだった。

「あなたたちは何のためにJALを経営しているのか」

   そんな根源的な問いをJALのエリートたちは、はじめ「退屈だ」と感じた。ある役員は振り返る。

「これから会社更生を始めようという非常時に、このじいさんは何を抹香臭いことを言っているのか、そう思いました」

   それでも稲盛はフィロソフィーを説き続けた。勉強会の後のコンパで「俺は違うと思います」と食ってかかる若手役員に、稲盛はおしぼりを投げつけた。真剣勝負を挑んでくる78歳の老経営者に、いつしかJALのエリートたちも心を開く。「3年足らず再上場」という奇跡の復活劇はこんなふうに始まった。

   JAL再建を取材する過程で、筆者は稲盛に対してとても失礼な質問をしたことがある。

「部門別採算制度はとても科学的で、普遍的な制度だと思います。でもフィロソフィーは主観的で宗教がかって見える。『稲盛経営はカルトだ』と言う人もいる。JALの再建は部門別採算制度だけでいいんじゃないですか」

   稲盛は「今まで何を聞いてきたんだ」という呆れ返った様子でこう答えた。

「人間は数字の魔力に勝てない。目の前に数字をぶら下げれば、どこまでも突き進んでいってしまう。競争相手を貶め、仲間の足を引っ張ってでも上に行こうとする。部門別採算制は、そんな競争する人間の本性を解き放ってしまう。それだけでは会社は殺伐とした場所になり、組織は長続きしない」

「だからその前にフィロソフィーなんだ。これから自分たちが頑張るのは、何のためなのか。世のため人のためではないのか。仲間を助けるためではないのか。それをしてはじめて良い人生が送れるのではないか。そこを理解しないと会社は暴走してしまう」

   生意気な質問をした自分が恥ずかしくなった。資本主義とは人間の獣性を解き放ち成長の原動力とする制度である。競争相手は何でもありの戦いを挑んでくる。その中で稲盛は「勝った負けたより、まず人として正しく生きろ」と説き続けた。

   日本でそのメッセージをまっすぐに受け止めたのは頭でっかちの大企業のエリートではなく、自ら経営の苦労を知る中小企業の経営者たちだった。稲盛が中小企業の社長たちを集めて経営を説く「盛和塾」は全国56塾、世界48塾、会員15000人の大組織に成長した。

中国では著書累計2000万部

   日本の経営者よりも、真摯に稲盛のメッセージを受け止めた人々がいる。中国の経営者だ。

 稲盛の訃報が流れた8月30日、中国版ツイッター「微博」に投稿された「#稲盛和夫去世(死去)」のメッセージの閲覧回数は半日たらずで3.8億回を超えた。

 最も有名な稲盛の著書『生き方』は日本で140万部のベストセラーだが、中国では580万部が売れている。ネットショッピング大手「アリババ集団」創業者の馬雲(ジャック・マー)、通信機器大手「華為技術(ファーウェイ)」創業者の任正非など「稲盛哲学の信奉者」を公言する経営者は数多い。

 ありし日の稲盛が中国を訪れると、テレビ局からの取材が殺到し、講演会場は何万人ものファンで埋まった。人々は争うように稲盛の著書を買っていった。稲盛の著書は約60冊が中国語に翻訳され、累計で2000万部が売れているという。

 稲盛の中国講演に随行していた稲盛財団の幹部はいう。

「長く計画経済をやってきた中国が90年代に入り、鄧小平(国家主席)の改革開放で、突然、社会主義市場経済に移行し、激しい競争が始まりました。その頃、成功した人々は何でもありのやり方で競争相手を蹴落とし、成り上がった人たちです。しかしある程度豊かになって、ふと足を止めると、本当にこれでいいのか、自分は幸せなのか、という疑念が浮かぶ。そこに稲盛の哲学が刺さったのだと思います」

 稲盛の哲学は仏教や儒学に根差すものが多い。中国人に「先生、先生」と慕われた稲盛は「もともと、あんたらのところから来た考え方や」と照れていたという。

 ブレーキを作らなかった江副は時代の波に突進し、リクルート事件で破滅した。稲盛は体力の限界を悟った2019年、盛和塾を「閉塾」してしまう。自分なき後、巨大組織になった盛和塾が、「人を幸せにする」と言う本来の目的を離れ、組織防衛や「成長のための成長」に陥ってしまうことを見抜いていたのだろう。

 稲盛が築いた私財の大半は稲盛財団を通じて「京都賞」に投じられた。世界中の当代一流の叡智を集めて毎年、「先端技術」「基礎科学」「思想・芸術」の三部門を顕彰する京都賞は、その人選の確かさから「日本のノーベル賞」と呼ばれるまでになった。iPS細胞の山中伸弥やがん免疫療法の本庶佑は、京都賞を受賞した後にノーベル賞を受賞している。

 人を生かし、金も生かす。90年の見事な経営者人生だった。 (敬称略)

カテゴリ: 経済・ビジネス
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執筆者プロフィール
大西康之 経済ジャーナリスト、1965年生まれ。1988年日本経済新聞に入社し、産業部で企業取材を担当。98年、欧州総局(ロンドン)。日本経済新聞編集委員、日経ビジネス編集委員を経て2016年に独立。著書に『GAFAMvs.中国Big4 デジタルキングダムを制するのは誰か?』(文藝春秋)、『起業の天才! 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』(東洋経済新報社)、『東芝解体 電機メーカーが消える日』 (講談社現代新書)、『稲盛和夫最後の闘い~JAL再生に賭けた経営者人生』(日本経済新聞社)、『ロケット・ササキ ジョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正』(新潮文庫) などがある。
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