日中国交正常化50年:アメリカは「1981年の鄧小平」への譲歩を習近平には行わない

執筆者:宮本雄二 2022年9月29日
エリア: アジア
1981年の鄧小平は改革開放政策を根づかせるために必要な対米関係さえ犠牲にする意志を示した[ワシントンでカーター大統領とロザリン夫人の歓迎を受ける鄧小平(右端)と卓琳夫人=1979年1月31日](C)AFP=時事
1979年1月の米中国交正常化で米国の将来的な対台湾武器輸出停止を前提にしていた鄧小平は、踵を接いで「台湾関係法」を通した米国に激怒し反撃に出た。対ソ共同戦線を重視した当時の米国は譲歩したが、いま対台湾政策の転換を視野に入れる米国が習近平に譲歩する可能性は少ない。日本には軍事的備えとともに、中国-日米間の「トゲを抜く」作業が不可欠だ。

 多くの識者が指摘するように日米戦争は、日本と米国の対中政策のぶつかり合いが引き起こした。米国は一貫して中国の門戸開放、機会均等を要求し続けた。1931年の満州事変以来の日本の対中行動は、この米国の対中基本方針と正面からぶつかり、関係は悪化していった。

   37年、盧溝橋事件を契機に日中の本格的な戦争が始まり、39年7月、米国は日米通商航海条約の破棄を予告した。重要資源の多くを米国からの輸入に頼っていた日本にとり事態は著しく深刻であった。同年9月、ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発し、ドイツは破竹の勢いで欧州を席巻した。翌40年1月、日米通商航海条約は失効し、米国は石油や鉄などの禁輸措置を強め、日本は追い込まれた。同年9月、日本は資源を求めて北部仏印に進駐し、日独伊三国同盟を結んだ。41年7月、日本はさらに南部仏印に進駐し、これをきっかけに米国は対日全面禁輸に踏み切った。日本は同年12月、真珠湾を攻撃し対米戦争の道を選んだ。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
宮本雄二(みやもとゆうじ) 宮本アジア研究所代表、元駐中国特命全権大使。1946年福岡県生まれ。69年京都大学法学部卒業後、外務省入省。78年国際連合日本政府代表部一等書記官、81年在中華人民共和国日本国大使館一等書記官、83年欧亜局ソヴィエト連邦課首席事務官、85年国際連合局軍縮課長、87年大臣官房外務大臣秘書官。89 年情報調査局企画課長、90年アジア局中国課長、91年英国国際戦略問題研究所(IISS)研究員、92年外務省研修所副所長、94年在アトランタ日本国総領事館総領事。97年在中華人民共和国日本国大使館特命全権公使、2001年軍備管理・科学審議官(大使)、02年在ミャンマー連邦日本国大使館特命全権大使、04年特命全権大使(沖縄担当)、2006年在中華人民共和国日本国大使館特命全権大使。2010年退官。現在、宮本アジア研究所代表、日本アジア共同体文化協力機構(JACCCO)理事長、日中友好会館会長代行。著書に『これから、中国とどう付き合うか』『激変ミャンマーを読み解く』『習近平の中国』『強硬外交を反省する中国』『日中の失敗の本質 新時代の中国との付き合い方』『2035年の中国―習近平路線は生き残るか―』などがある。
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