MeToo告発を抑圧する男性優位社会:中国「女権」の実相

執筆者:中澤穣 2022年10月10日
タグ: 中国 習近平
エリア: アジア
昨年9月、北京市海淀区の裁判所前で、ボランティアを装った当局者と見られる女性らに囲まれる周暁璇さん(中央左、マスクなしの女性)[筆者撮影]
性暴力の被害者が声を上げられない理由は、中国が圧倒的な男性社会だからだけではない。「女権」の拡大運動は、国外勢力と結びついた共産党統治への挑戦と見られ、抑圧される構図がある。

 米国から始まったMeToo運動の波は、2018年春ごろには中国にも到達した。性的暴力の被害を訴えるという行為は、共産党が支配する中国ではひときわ政治的な意味合いを帯びた。MeTooは「国外勢力と結びついて体制転覆を企てている」という大仰な非難を浴びて弾圧の対象となり、女性の問題に長く関わっていた弁護士が「MeTooへの支持を公にするのは危ない」と怯えるほどだ。

 そうした中の今年8月、中国でのMeTooを象徴する裁判で、原告側敗訴の判決が確定した。国営中国中央テレビ(CCTV)の著名アナウンサー朱軍氏(58)から性暴力を受けたと訴えた、周暁璇さん(29)が原告の裁判だ。周さんは、中国では「弦子」のネットネームで知られ、日本での伊藤詩織さんのような存在といえる。敗訴確定は日本ではほとんど報じられていないが、中国でも当局の規制によって報道はごく限られていた。

 報道が少なかったのは、この結果がある程度、予期されていたためでもある。2020年12月に行われた1審の第1回口頭弁論では、100人以上の支援者らが北京市海淀区の裁判所前に詰めかけた。

 12月の北京は寒い。裁判所に来られない支援者らは、ネット注文を通じて裁判所前の見知らぬ「弦子の友人」宛に、温かい飲み物や防寒着などを届けた。そうした支援は当局の統制へのささやかな抵抗でもあった。一方ネット上では、周さんへの支持やMeTooへの共感といった書き込みは軒並み削除されていた。支援者らが掲げたプラカードには「歴史の裁きを」という言葉もあり、この時点ですでに司法の救済に希望を持てる状況ではなかった。

「社会にとってマイナス」という抑圧の論理

 この数週間後、周さんから初めてじっくり話を聞いた。待ち合わせ場所に指定された猫カフェで、2014年6月の被害を涙まじりに語った。

 周さんは当時、大学3年生の21歳。大学の授業の一環としてCCTVで実習中、メークアップルームで朱氏と話をする機会があった。2人きりになると朱氏は「手相を見てあげよう」と手を握り、徐々に身体に触りはじめた。むりやりキスをして胸を触り、スカートの中まで手を伸ばした。途中で番組スタッフなどが室内に入って2度、中断した後もやめなかった。周さんが泣き始めると朱氏はようやく手を止め、周さんは番組共演者が室内に入ったのを機に室外に逃れた。

 周さんは、

「怖くて抵抗できなかった。周囲に知られたら自分が責任を問われ、実習が続けられなくなることも怖れた」

 と振り返る。朱氏は、日本の紅白歌合戦のような年越し番組「春晩」の司会を何度も務め、知らない中国人はいない。中国メディアに「いかなる身体的接触もなかった」と否定している。現在は大幅に露出が減ったものの、ときおり地方局の番組などに出演している。

 性暴力の被害を訴えるには心理的なハードルがある。周さんが翌日に警察に被害を届け出たのは、大学の女性教師に「朱はおそらく常習犯であり、もし被害を届けなければ今後も繰り返すだろう」と背中を押されたからだ。例外的なケースといえるだろう。

 しかし加害者が超有名人だったことは、その後の展開に大きく影響した。大学の別の教師や警察官らは訴えの取り下げを何度も要求し、

「朱氏は影響力があり、就職に響く」

「社会の正能量(プラスのエネルギー)を代表する人物であり、大ごとにすれば社会全体にマイナスの影響を与える」

 などと周さんに迫った。

 この「正能量」という語のニュアンスを説明するのは難しいが、「社会の正能量に影響する」という論理は、災害や事件事故などでの被害者報道や、当局者や有名人への批判を抑圧する際の口実として、中国ではしばしば使われる。周さんは、

「何度も取り下げを迫られて苦痛だった。結局あきらめてしまった(取り下げた)」

 という。

立証責任が課され、攻撃される被害者

 事態が再び動いたのは、4年後の2018年7月だった。同年春から夏にかけては、中国でもMeTooの影響によって性暴力被害を訴える動きが続いていた。そんな中、周さんは性暴力被害をネット上で告白した知人を励ますため、自身の経験をつづった文章を友人や知人に向けて発信した。

 しかし、意図せずこの文章がネット上で拡散されると、誰もが知る有名人のスキャンダルだっただけに大騒ぎとなった。朱氏はすぐさま周さんらを名誉毀損で訴え、周さんも謝罪や5万元の損害賠償を求める訴訟を起こした。周さんは、

「ネット上ではでっち上げではないかという声もあった。実際に被害があり、被害者がいる、ということを訴えたかった」

 と振り返る。なおこのころ、中国の大手メディア2社が周さんを取材したが、1社はネット上で発表した記事がすぐに見られなくなり、もう1社は報道すらできなかった。

 裁判は周さんに不利なかたちで進行した。裁判所は、朱氏の法廷尋問はおろか、CCTVの防犯カメラ映像の調査などを認めなかった。被害翌日に周さんが警察官とともに防犯カメラ映像を確認した際は、CCTVの廊下を歩く周さんが、何度も口をぬぐいながら涙を流す様子が写っていたという。周さんが被害当時に着ていたワンピースは警察が回収したが、行方が分からなくなっている。

 裁判所は周さん側の証拠申請をほとんど認めなかったにもかかわらず、「証拠不十分」を理由として訴えを退けた。周さんは証拠収集に関して、

「被害直後に警察に届け出るということ以上に、被害者ができることはほとんどない」

と話す。刑事事件としての捜査も棚上げにされたままだ。

この事案だけでなく、中国では性暴力を巡る民事訴訟で被害者側に極めて高い立証責任が課され、MeTooの影響で被害を訴えた裁判は原告側敗訴がほとんどだ。周さんは、

「加害者側は被害者の訴えを否定すれば終わりだが、被害者側は『なぜ逃げなかったか』『本当にそこにいたのか』などと繰り返し聞かれ、ずっと苦しむ。そのうえ司法の救済がなければ、声をあげることが難しくなる」

 と嘆く。被害を訴えてもそれが認められる可能性は乏しく、逆に名誉毀損で訴えられかねない。さらに、声をあげた女性や支援者はネット上で激しい中傷や非難を浴び、自宅や職場などのプライバシーも暴露された。米国と激しく対立する中、米国発のMeTooはなおさら攻撃の対象となる。やがて、MeTooの看板を使うことができなくなった。

支援者のSNSアカウントが停止することも

 こうした攻撃には当局も陰に陽に関わっている。周さんを支援するため裁判所の周辺に集まった支援者らは、交流サイト(SNS)のアカウントが停止することもある。裁判所周辺には多数の当局者が動員され、支持者らの顔を片っ端から撮影したり、身分証を調べたりしていた。

 共産党政権にとっては、体制内の有名人による性的暴行の被害を訴えることは、中国社会のエスタブリッシュメントに盾つき、共産党が主導する社会の秩序を傷つける行為に映る。共産党政権は、自らと異なるいかなる意見や主張も許さない。こうした傾向は習近平政権の10年でより強くなった。

圧倒的な男性優位の共産党政権

 MeTooへの敵視は、党指導部が圧倒的な男性優位であることも関係しているだろう。

 昨年100周年を祝った党は、その歴史の中で最高指導部(政治局常務委員会)入りした女性は1人もいない。その下の政治局では現在、25人のうち女性は孫春蘭副首相のみ。さらに下に位置する中央委員会委員204人のうち女性は10人にすぎない。まもなく開かれる党大会では習氏の3期目続投が決まる見通しだが、次期最高指導部も全員が男になると断言できる。なお「世界経済フォーラム」がまとめている男女平等の国別ランキングで、中国は習政権前の10年には61位だったが、今年は102位まで下がった(日本は116位)。

 それでも中国で「性的暴力の被害を訴える」という動きは途絶えていない。MeTooという看板は使えなくなったが、この運動が「被害に黙らない」という面で女性を覚醒させた功績は大きい。「天の半分を支える」女性の声を封じることは、民主や自由を求める声を封じるよりも難しい。性暴力事件はネット上で関心を集めやすく、多くのインフルエンサーが首をつっこむという事情もある。

 いまイランでは女性のスカーフ着用を巡って全土にデモが広がり、イスラム政権が揺れる。盤石に見える中国共産党の統治が揺れるとすれば、女性を巡る問題が起点になってもおかしくない。

 

カテゴリ: 社会 IT・メディア
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執筆者プロフィール
中澤穣(なかざわみのる) 1977年生まれ。東京新聞外報部デスク。早稲田大学政治経済学部卒、一橋大学言語社会研究科修了。東京新聞社会部(司法担当)や中国総局長などを経て現職。
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