少女の美しい歌声は「ウクライナ独自の文化」の存在証明:『キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩』監督インタビュー

執筆者:フォーサイト編集部 2023年7月7日
タグ: ウクライナ
エリア: ヨーロッパ その他
ナチスとソ連の占領下で翻弄されるウクライナ人、ポーランド人、ユダヤ人の三家族を描いた映画『キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩』 (C)MINISTRY OF CULTURE AND INFORMATION POLICY OF UKRAINE, 2020 – STEWOPOL SP.Z.O.O., 2020
7月7日(金)から、ウクライナ・ポーランド合作映画『キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩』の日本公開が始まる。キーウ在住のオレシャ・モルグネツ=イサイェンコ監督(38)が本誌のインタビューに応じた。
【映画のあらすじ】
 1939年1月、ポーランド東部の町スタニスワヴフ(現ウクライナ西部・イヴァーノフランキーウシク)のユダヤ人家族が暮らす母屋に、店子としてポーランド人、ウクライナ人の家族が引っ越してくる。それぞれの文化の違いを感じつつ三家族の共同生活が始まるが、ほどなくしてナチスドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発する。
 瞬く間にポーランドを占領したドイツ軍は、さらにソ連領に攻め込む。そして数年後、敗走するドイツ人を追ってやってきたのは、ソ連軍の兵士たちだった。民族の異なる三つの家族は、町の占領者が入れ替わるたびに残酷な支配に翻弄される。苛酷な運命の中で、ある歌が互いを結び付ける“絆”となっていた――。

空爆の下で暮らす子供たち

――今朝(※インタビュー当日の6月1日)、監督が住むキーウでもロシア軍による爆撃があって、3人が亡くなったと報じられています。監督ご自身やご家族は大丈夫でしたか?

 ええ、実は私の自宅の上空でミサイルが爆発し、自宅にも隣家にも被害がありました。特に隣家は窓ガラスが割れてしまいました。あまりいい気分とは言えませんね。ウクライナ軍の防空部隊は必死にミサイルを迎撃していますが、破片からは逃げられません。

――監督には5歳の娘さんがいると聞いていますが、今の状況で怖がっていませんか?

 もちろん、とても怖がっています。幸い、今日は自宅ではなく郊外に泊まっていたのですが、数日前にはその郊外でも爆発があり、すごく怖がっていました。爆発音が聞こえると、味方のウクライナ軍が撃っているのか、それともロシア軍が撃っているのか、何度も聞いてきます。ウクライナの子供たちはみんな同じです。

――映画の主人公であるヤロスラワという少女が歌うクリスマス・キャロルがとても美しく、胸に響きました。映画の原題でもある『シェドリック』というこの歌は、アメリカの映画などで使われていますね。アメリカの歌だと思っている人も多いと思いますが、ウクライナでは昔からよく知られた歌なのでしょうか。

 はい、昔から広く知られた民謡のひとつで、ウクライナの代表的なクリスマス・キャロルです。マイコラ・レオントーヴィチというウクライナ人作曲家が20世紀初頭につくったのですが、その楽譜が盗まれて後にアメリカに運ばれ、長い間、誰が作曲したのか知られていなかった。その後手稿が見つかり、レオントーヴィチの作曲であることがはっきりしました。

 この歌は、ウクライナに昔から存在する独自の文化の象徴であり、同時に、そのウクライナ文化が世界では十分に知られておらず、ロシアなど他国によって盗まれてきたことの象徴でもあります。

少女の歌うクリスマス・キャロルが物語で重要な鍵となる (C)MINISTRY OF CULTURE AND INFORMATION POLICY OF UKRAINE, 2020 – STEWOPOL SP.Z.O.O., 2020

ロシア語よりポーランド語のほうがウクライナ語に近い

――映画ではポーランド人とウクライナ人の家族が一緒に暮らしていますが、二つの言語は互いによく似ているように聞こえます。隣国であるポーランドに対して、ウクライナの人々は親しみを感じているのでしょうか。

 もちろん、隣の国ですから仲良くしていますが、文化的にはけっこう違いますね。ただ仰るとおり、言語はよく似ています。ポーランド語とウクライナ語は類似点が非常に多く、実はロシア語より、ポーランド語のほうがウクライナ語に近いと思います。

 言語としてウクライナ語にいちばん近いのはベラルーシ語で、その次にポーランド語、スロヴァキア語、チェコ語、そしてロシア語といった順番でしょうか。

民族の違いを超えて実の姉妹のように暮らす子供たちを、苛酷な運命が襲う MINISTRY OF CULTURE AND INFORMATION POLICY OF UKRAINE, 2020 – STEWOPOL SP.Z.O.O., 2020

――映画では、ウクライナ人とポーランド人の家族が、ユダヤ人の家族のもとに合流して一つ屋根の下で生活し始めます。ウォロディミル・ゼレンスキー大統領もユダヤ系だそうですが、今日のウクライナにおいて、ユダヤ系の人々はどういった存在なのでしょうか。

 ウクライナ中部のウマニという街にはユダヤ教の聖地があって、ロシアによる本格的侵攻が行われている現在でも、ユダヤ教の正月を祝うために多くの人が訪れます。ユダヤ系ウクライナ人も、ウクライナという国を「自分の家」として考えていると思います。

「田舎者の言葉」扱いされてきたウクライナ語

――監督は1984年生まれですが、1991年のソビエト連邦の崩壊を憶えていますか? また、プーチン大統領は、ソ連の崩壊を「20世紀最大の地政学的悲劇」だと語ったことがあります。監督は、ソ連崩壊とウクライナの独立をどのように捉えていますか?

オレシャ・モルグネツ=イサイェンコ監督自身はウクライナ語を母語としている

 私自身は、ソ連時代のことはあまり覚えていません。ただ、母から当時の話をよく聞いていました。母が言うには、80年代の終わり頃、キーウの商店にはほとんど品物がなかった。ところが、モスクワに行ってみると食料品などたくさんの商品が並んでいて、しかもそれらの多くはウクライナ製だったのだそうです。モスクワの人々は、ウクライナの資源を利用して生活していたのです。一方でウクライナ人の生活はより厳しかった。

 90年代以降、ウクライナ人は自分たちのために製品を生産するようになり、海外輸出も始めて、次第に豊かになっていきました。

 また、私が生まれた80年代には、すでにウクライナ語の使用を禁じるような政策は撤廃されていました。それでも、長年にわたるロシア語優遇政策の結果、ウクライナ語は「田舎の言葉」「無教養な人の言語」とみなされていました。

 ウクライナの西部では昔からずっとウクライナ語が話されていましたが、私が首都キーウに上京した当時も、ウクライナ語を話す人は「行儀の悪い」「田舎者」という印象を持たれていました。

 私の出身地はチェルニーヒウ州のコゼレーツィという小さな町で、キーウとチェルニーヒウの中間地点にあります。私の母語はウクライナ語ですが、「スルジク」がかなり混ざっています。スルジクとは、ウクライナ語にロシア語の単語などが多く混ざった話し言葉です。また、チェルニーヒウ州はベラルーシ国境が近いこともあり、ベラルーシ語由来の単語も多く使われています。

ドイツ人は迫害をやめたが、ロシア人はやめていない

――モスクワの映画業界ではウクライナ人の俳優や監督が多いと言われますが、事実でしょうか。

 はい、それは事実ですね。ソ連は連邦を構成する多くの共和国から、優れた才能をモスクワに集めようとしました。ですからモスクワの映画産業では、ウクライナ人の俳優や監督のみならず、他の旧ソ連圏出身者もとても多いです。

 そして独立後も、ウクライナ出身のプロデューサーたちは欧州諸国ではなく、ロシアと一緒に仕事をすることが多かったのです。この点では映画業界だけでなく、ウクライナの政治家たちも同じでした。それは大きな間違いだったと思います。

――映画では、主人公たちが暮らす部屋の上階にドイツ軍将校の家族が引っ越してきて、非常に緊迫した展開となります。現在のドイツについてはどのように見ていますか。

 現在のドイツ人は、自分たちの祖父母の代の過ちを反省し、同じことを繰り返さないようにしています。ですからドイツ人とウクライナ人は仲良くできます。

 一方でロシア人は、ナチスドイツがユダヤ人に対して行ったような迫害を、ウクライナ人に対して昔から続けてきました。ドイツ人は迫害をやめたけど、ロシア人は今もやめていない。もう何世紀も同じことが起きているのです。

ソ連兵の尋問を受ける主人公たち (C)MINISTRY OF CULTURE AND INFORMATION POLICY OF UKRAINE, 2020 – STEWOPOL SP.Z.O.O., 2020

日本とウクライナの共通点

――この映画の製作が決まったのは2018年で、ロシアによる本格的侵攻が始まる4年も前です。現在は世界中で注目されていますが、当時はこの映画を、ウクライナ人に向けて作ろうと考えたのでしょうか。それとも当初から全世界に向けて企画したのですか?

 当時から、少しでも海外の人にウクライナの歴史や文化を知ってもらえれば、という気持ちがありました。むしろロシアによる侵攻前は、「ヨーロッパの人たちはこの映画を観るかもしれない」と思っていたのですが、実際に侵攻が始まった後で映画が公開されると、なによりも当のウクライナ国民自身が反応し、結果的に国内で大ヒットしました。

――最後に、日本の観客に向けてメッセージはありますか。

 まずはもちろん、感謝を申し上げたいと思います。この映画が日本で公開されることは、とても嬉しいです。

 ウクライナと日本には似ているところがあります。いちばん似ているのは、両国とも隣にとても大きくて強い敵がいるという点です。

 私たちはみんな、地球という同じ星に暮らしていて、お互いに影響を与え合って生きています。ウクライナで起きていることを忘れないでください。可能な限り助けてほしい。日本からの援助を、すべてのウクライナ人が喜ぶでしょう。

オレシャ・モルグネツ=イサイェンコ (Olesya Morgunets-Isaenko)  1984年、ウクライナに生まれる。キーウ国立演劇映画テレビ大学を卒業し、卒業制作映画“MOLFAR(08)”がモスクワで開催された「21世紀の新しい映画祭」にて審査員賞を受賞。以降はテレビドキュメンタリーを中心に活動。本作が長編劇映画監督作品2作目となる。
公開日:7月7日(金)~
公開館:新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座、池袋シネマロサ、アップリンク吉祥寺ほか、全国ロードショー
配給:彩プロ

 

カテゴリ: カルチャー
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