防衛産業強化のための防衛装備移転(上):武器輸出抑制はいかにして憲法と結びつき「禁忌」となったか

執筆者:小木洋人 2023年8月2日
タグ: 日本
殺傷性を有する武器の本格的移転をめぐる自公の溝は小さくない[防衛装備移転三原則の運用指針見直しに関する与党協議の座長を務める自民党・小野寺五典元防衛相(右)と座長代理の公明党・佐藤茂樹外交安保調査会長(左)=2023年7月25日、首相官邸](C)時事
元来は外為法上の運用基準に過ぎなかった武器輸出三原則は、戦後の政治過程を経る中で、憲法の平和主義を体現する「規範」としての性格が加えられた。防衛産業の輸出を抑制するこの軛(くびき)は、2014年の防衛装備移転三原則でも払拭されたとは言い難い。防衛装備移転を防衛産業強化につなげるためには、まず国際的な武器輸出の位置付けと日本における「禁忌」意識との乖離を認識する必要がある。(本稿後篇の〈米国という巨人の存在と「後発国・日本」の戦略〉はこちらからお読みになれます)

 厳しさを増す安全保障環境の中で、各種のアンケート調査では、回答者の6割以上が日本の防衛力強化に賛成の立場を示している1。そして従来、その基盤となる防衛産業についての議論はあまり注目されてこなかったが、今回の防衛力強化の動きの中では、防衛産業側から示されている衰退への危機感に対応する形で、各種施策が打ち出されている。

 2022年12月に発表された安全保障戦略三文書においては、「いわば防衛力そのものとしての防衛生産・技術基盤の強化」(国家安全保障戦略)が掲げられ、新たな戦い方に必要な先端技術を防衛装備品に取り込むことの重要性や、サプライチェーンの維持強化、防衛産業への新規参入促進、契約制度の見直し、企業支援の取組等が盛り込まれた。さらに、2023年度通常国会においては「防衛省が調達する装備品等の開発及び生産のための基盤の強化に関する法律」(防衛生産基盤強化法)が成立し、サプライチェーンの強化、事業承継策などへの財政支援の仕組みが整備されることとなった。

 一方、国家防衛戦略に掲げられたにもかかわらず、その見直し作業が他の取組と比べて進んでいないのが、防衛装備移転三原則(以下、「三原則」)の改定である。

 2014年、日本は、長年武器輸出を抑制してきた旧武器輸出三原則等(以下、「旧三原則等」)の見直しを行い、武器輸出の安全保障上の意義が見出せるものについての輸出を認める三原則を制定した。しかし、その後、商業輸出の主な成功事例が三菱電機によるフィリピン空軍への地上警戒管制レーダー売却のみにとどまり、防衛産業強化を牽引する材料とはならない状況が続いていた。

 これを踏まえ、三原則の下での運用指針に規定される移転を認め得る対象を拡大する方向で、自民党・公明党の与党実務者協議において議論が行われてきた。しかし、殺傷性を有する武器の本格的移転を認めるか否かを巡って、慎重な姿勢を崩さない公明党との協議がいまだ妥結していない。

 防衛装備移転は、日本の防衛産業強化策の本丸である。防衛装備品を納入する多くの防衛プライム企業においては、防衛関連の売上が全体の1割程度かそれ以下にとどまっている。このため、防衛費の大幅増額によっても今後その割合が劇的に増加しない以上、国内需要はおのずと限られる。効率的な防衛調達と防衛産業の発展のためには国際市場へのアクセスを増やす以外方法はないが、そのための取組は、防衛産業関連政策の中で最も進んでいない。

 本稿では、こうした状況を踏まえ、これまでの武器輸出を巡る国内の議論と国際的なトレンドを対比することを通じ、防衛産業強化の観点から防衛装備移転をいかに進めるべきかについて考察する。

武器輸出三原則はなぜ「規範化」されたのか

 よく指摘されるように、旧三原則等は、旧共産圏を仕向け地とするものなどの輸出を認めない場合2を除き、「慎む」という消極姿勢を見せながらも、全面的に武器輸出を禁じたものではなかった3。武器を含む機微な貨物や技術は外国為替及び外国貿易法(外為法)で規制されるが、旧三原則等は、同法の運用基準として武器及び武器技術の輸出許可を慎重に行うとの原則を示したものだった4

 一方、あまり認識されていないのは、旧三原則等に基づく武器輸出抑制政策が、武器輸出の現実やそのニーズに政府が柔軟に対応しようとしたことにより、逆に追及を呼び、それをきっかけに規範化が進んだ結果生まれたものであるという事実だ。

 戦後、日本の防衛産業が徐々に育ってくるにつれ、銃砲弾の東南アジア等への輸出が行われるようになっていた。一方、東京大学が開発したロケットがユーゴスラビアやインドネシアに輸出された件が、武器に転換し得る可能性を巡って国会で問題視されていた。1967年4月に示された旧三原則は、この東大ロケット輸出事案に関連して、武器輸出をどう規制すべきかについての論戦が行われる中、佐藤栄作首相が答弁したものを指す。ただし、旧三原則に当たる内容を答弁した佐藤首相は、旧三原則対象地域以外への武器輸出については、「防衛のために、また自国の自衛力整備のために使われるものならば差しつかえない」との基準を示していた5。政府はこの時点では、自衛隊が使うような防御的な武器をその生産余力の中で輸出することに理解を示していたのである。

 ところが、このことが野党からさらに批判されると、旧通産省は、旧三原則対象地域であるか否かにかかわらず、武器輸出について慎重に対応するようになった。旧三原則の提示から数カ月しか経過していない同年7月の段階で、旧通産省は、民間機YS-11と同様の仕様の輸送機のフィリピン空軍への輸出について、否定的な方針を立てたとされる6。フィリピンがベトナム戦争の紛争当事国であることや、軍用の用途があり得ることがその理由である。

 フィリピンが紛争当事国か否かは確かに旧三原則上の問題である。一方、民間用途があり、軍の用途も輸送にとどまる中で、当時確立されつつあった三原則上の武器の定義(「軍隊が使用し、直接戦闘の用に供するもの」7)に照らすと、軍用の用途であることをもって輸出承認を与えないのは行き過ぎと受け止められ、産業界から反発を招いた。

 しかしその後、国産航空機の他国軍からの引合いが増えると、通産省は、武器の定義に照らしてこれに当たらないものは輸出を認めることとした。この結果、例えば、1971年に川崎重工業がスウェーデン軍に対潜ヘリコプターV-107(KV-107)を輸出した際は、火器類を搭載していないことをもって武器に該当しないとされた8

 さらに、石油ショック以降の低経済成長とデタントを受けた防衛費削減の中で、産業界は、武器輸出を防衛産業の経営を好転させるための商機として捉え、武器の輸出や国際共同開発を可能とするよう要望する動きを見せた。その背景には、米国防衛産業の圧倒的国際競争力を前に、単独での武器開発が負担となり始めていた英国など欧州各国からの共同開発の引合いもあったとされる9。日本や欧州が現在も認識している自国防衛産業を強化するための武器輸出の必要性は、実に50年近く前から示されていたのである。

 こうした要望に対応するため、政府は、V-107輸出の実例も踏まえ、汎用性の高い航空機であるとの理由から、輸送機C-1や救難飛行艇US-1は武器に当たらず(当時俗に「準武器」と呼ばれた)、輸出を認め得るとの方針を示した10。また、河本敏夫旧通産大臣も、旧三原則対象地域以外への武器輸出は原則として禁止されていないと発言し、外為法の柔軟な運用を示唆していた11

 しかしこのことが国会でまた波紋を呼び、野党から統一見解の発表を求められると、政府は火消しに走ることとなった。1976年2月、三木武夫内閣は「武器輸出に関する政府統一見解」の表明に至るが、その過程で旧通産省は、いわゆる「準武器」の輸出を認める一方で、「武器」については、旧三原則対象地域以外に仕向けられたものも「輸出させない方針である」と強調してバランスをとろうとした12。そのことが旧三原則対象地域以外への輸出を認めない方針の明文化要求を生み、政府は結果的に、武器輸出の緩和ではなく逆に規制強化の方向に舵を切ることになってしまった。当初の産業界からの要望とは真逆の政府統一見解を示したのである。

付け加えられた「憲法」の文言

 さらにその調整過程では、当初「慎重に取り扱う」との原案であった旧三原則対象地域以外への輸出判断に関する文言が、野党の意見も汲む形で「慎む」となり13、また、「外国為替及び外国貿易管理法の精神にのっとり」という部分の前に、「憲法及び」という文言が加えられたとされる14

 政府としては、三原則対象地域以外への輸出を含む武器輸出承認の運用厳格化を強調する代わりに、より直近のニーズである「準武器」の輸出を救うことを意図していたと思われる。これについて、それ以前も政府は武器輸出承認を運用上慎重に対応してきており、外為法の運用基準上、新たな要素が加わったわけではないとの評価もある15。しかし同時に、このような国会における論争を経たことで、外為法の運用基準にとどまっていた武器輸出抑制政策が、憲法の平和主義の精神にのっとったものであるとの主張を追認し、固定する効果を生んだことは否めない16。旧三原則等は、経路依存的に規範化してしまったのである。

 もっとも、国会における政治過程のみが規範化の要因だったわけではない。その背景として、米国やフランスなどが、相手が権威主義体制か否かを問わず武器を売却していたことで、武器輸出に関する一般のイメージが良くなかったことも関係している。しかし、そのようなイメージに支えられた政治過程が、武器輸出抑制の規範化を促す直接の契機となったということは指摘できる。

 そして一旦規範が形成されると、その運用は強化されることとなった。例えば、1983年、米国への武器技術の供与は、米国との相互技術交流・防衛協力の一環で、旧三原則等の例外化措置がとられることとなったが、この際に武器そのものの輸出は禁止に近いトーンで否定された。この措置で例外化されたのは対米武器技術供与までであったが、共同生産や武器そのものの輸出に関し、山中貞則旧通産大臣は次のように国会で答弁し、強く否定している。「日本は人を殺傷するための武器を輸出する国には絶対にしてはいけないし、ならない、それには絶対に例外はない、これは私の政治信念でございます17。」

 このように政府は、問題となる事案の処理に当たる都度、旧三原則等の中核部分、すなわち武器の商業輸出の抑制について、自ら規範性を強化する対応をとってきたのである。三原則策定後も、防衛産業が輸出に積極的にならないとの指摘はしばしばなされる。しかし、その傾向がこうした規範から生まれているならば、それは歴史的に形成されてきたものであると言うことができるだろう。

「規範の転換」を意図した防衛装備移転三原則

 この旧三原則等に付随する規範の見直しを意図したのが、第二次安倍政権下での三原則の策定である。政府は特にここで、旧三原則等における武器輸出の抑制と憲法との結び付きを、再構成しようと企図した。2013年に策定された国家安全保障戦略で、同じく憲法前文に規定される国際協調主義に由来する概念として、国際社会の平和と安定のため、積極的な役割を果たしていくとの「積極的平和主義」が打ち出されたのは、この理由においても必要なことであった。そして、この積極的平和主義の観点から、防衛装備品に関する国際協力や安全保障協力を可能にする旧三原則等の見直しを掲げた。すなわち、1976年統一見解で言及された「憲法の精神」の内実を時代に合わせて再解釈するとのロジックにより、変化する安全保障環境に適合するために、武器輸出の抑制から武器輸出の是認へと、結論を転換したのである。

 また、旧三原則等と憲法との法的結び付きの相対化も図られた。1981年に角田禮次郎内閣法制局長官は、「武器輸出三原則は憲法の平和主義の精神にのっとったもの」であると述べたが、2015年の横畠裕介内閣法制局長官の答弁では、三原則は、「外為法令等の運用基準を定めたものでありまして、それ自体が憲法上の問題ではないというふうに理解しております。そのような国際紛争を助長することを回避するようなことなどは、憲法の定める平和主義にそぐうものであるということは理解しております。」とトーンを弱めた18。しかも、「他国が自衛のために例えば集団的自衛権の行使あるいは集団安全保障措置に参加する(など、)……国際法上、適法、合法な活動にその我が国が提供した武器が使われるというようなことは、我が国の憲法で禁ずるということではなかろうかと思います。」として、憲法における武器輸出・提供の解釈を、国際法上のそれに近付ける姿勢を示した19。1967年の佐藤首相答弁に回帰したとも言える。 (続く)

 

1]「日本の防衛力強化「賛成」、日本68%・米国65%…日米共同世論調査」『読売新聞オンライン』(2022年12月15日)、https://www.yomiuri.co.jp/election/yoron-chosa/20221215-OYT1T50198/;「防衛力の強化「賛成派」6割超で高止まり 朝日東大調査」『朝日新聞デジタル』(2023年5月3日)、https://digital.asahi.com/articles/ASR4T6GSHR4GUTFK00Z.html

2]①共産圏諸国向けの場合、②国連決議により武器等の輸出が禁止されている国向けの場合及び③国際紛争の当事国又はそのおそれのある国向けの場合(武器輸出三原則(1967年4月21日))

3]①三原則対象地域については「武器」の輸出を認めない。②三原則対象地域以外の地域については、憲法及び外国為替及び外国貿易管理法の精神にのっとり、「武器」の輸出を慎むものとする。③武器製造関連設備の輸出については、「武器」に準じて取り扱うものとする。(武器輸出に関する政府統一見解(1976年2月27日))

4]森本正崇『武器輸出三原則 学術選書65』(信山社、2011年)。

5]衆議院決算委員会(1967年4月21日)佐藤栄作総理大臣答弁。

6]「「YS-11」輸出に“待った”」『読売新聞』(1967年7月3日)。なおYS-11は民間機としての輸出実績がある。

7]参議院予算委員会(1967年5月10日)高島節男通商産業省重工業局長答弁;衆議院商工委員会(1976年7月19日)菅野和太郎通商産業大臣答弁。

8]「武器輸出 背景と論点」『朝日新聞』(1976年2月5日)。

9]「武器の国際共同開発 政府に近く提言 経団連防衛生産委 防衛産業」『朝日新聞』(1976年1月6日)。

10]「「US-1」輸出後押し」『読売新聞』(1975年12月7日);「準武器輸出認める方針 通産省」『朝日新聞』(1976年1月24日)。

11]「通産相「三原則」弾力運用示す」『読売新聞』(1976年1月26日)。

12]「武器輸出問題統一見解の要求も」『朝日新聞』(1976年1月28日);「どの地域も認めぬ武器輸出通産次官談」『朝日新聞』(1976年1月30日)。

13]「武器禁輸に新原則 政府が統一見解」『朝日新聞』(1976年2月23日)。

14]衆議院予算委員会(1976年2月27日)安宅常彦委員質問中に言及がある。

15]森本、前掲書、233-245頁。

16]例えば、衆議院予算委員会(1981年2月20日)角田禮次郎内閣法制局長官答弁:「わが国の憲法が平和主義を理念としているということにかんがみますと、当然のことながら、武器輸出三原則は憲法の平和主義の精神にのっとったものであるというふうに考えております。」

17]衆議院予算委員会第六分科会(昭和58年3月5日)山中貞則通産大臣答弁。

18]衆議院予算委員会(1981年2月20日)角田禮次郎内閣法制局長官答弁;参議院外交防衛委員会(2015年6月9日)横畠裕介内閣法制局長官答弁。

19]参議院外交防衛委員会(2017年5月23日)横畠裕介内閣法制局長官答弁。

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執筆者プロフィール
小木洋人(おぎひろひと) アジア・パシフィック・イニシアティブ/地経学研究所国際安全保障秩序グループ 主任研究員。防衛省で総合職事務系職員として16年間勤務し、2022年9月から現職。2007年防衛省入省。2009年から防衛政策局国際政策課で米国以外の国では初となる日豪物品役務相互提供協定(ACSA)の国内担保法を立案。2014年から2016年まで外務省国際法局国際法課課長補佐として、平和安全法制の立案や武力行使に関する国際法の解釈を実施。2016年から2019年まで防衛装備庁装備政策課戦略・制度班長として、防衛装備品の海外移転の促進、ウクライナへの装備支援でも活用された外国軍隊への自衛隊の中古装備品の供与を可能とする自衛隊法規定の立案、防衛産業政策などを主導。2019年から2021年まで整備計画局防衛計画課業務計画第1班長として、陸上自衛隊の防衛戦略・防衛力整備、防衛装備品の調達を統括。2021年から2022年まで防衛政策局調査課戦略情報分析室先任部員(室次席)として、ロシアのウクライナ侵略、中国の軍事動向を含む国際軍事情勢分析を統括。2007年東京大学教養学部卒、2012年米国コロンビア大学国際関係公共政策大学院(SIPA)修士課程修了。
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