原発処理水をめぐる中国の「水産物禁輸」と、豊洲市場で見た「矛盾」

執筆者:岡畠俊典 2023年8月16日
タグ: 中国 香港
エリア: アジア
2022年の日本の水産物輸出額(国・地域別)は、中国と香港で合わせて1626億円に上り、全体の4割以上を占めていた (C)Shutterstock/FOTOGRIN
福島第一原発からの処理水の海洋放出をめぐり、中国が日本の水産物に「事実上の禁輸」措置を発動した。放出前の現時点でもすでに中国業者からの買い付けは激減しており、深刻な被害が生じている。日本政府は被災地の漁業関係者を風評被害から守る必要がある。

 

 世界的な和食ブームで人気を誇ってきた日本の水産物が、主要な輸出先の中国や香港から締め出されつつある。東京電力福島第一原発から生じる処理水の海洋放出は、早ければ8月下旬にも始まる見通しだが、反対する中国と香港は、既に日本の水産物の輸入規制を強化するなど圧力を強める。日本の水産業者への打撃は大きく、関係者は憤りを隠せない。

中国・香港向けが4割以上

「安全でおいしい日本の魚が、なぜひどい目に遭うのか」――。海外で日本食が広がる中、輸出に力を入れてきた東京・豊洲市場(江東区)の水産業者は、中国や香港の規制強化に怒りをあらわにする。

 日本人の「魚離れ」とは対照的に、世界で需要が伸びている水産物。健康志向の高まりもあり、ヘルシーな魚介類を使った日本の食文化であるすしは、アジアや欧米などで空前のブームが続いてきた。中国や香港も例外ではなく、海外では日本食レストランが急速に増加。すしの海外普及を図る団体の関係者が「すしバブルが起きている」というほどだ。

 海外では、かつてカリフォルニアロールといった「フュージョンずし」が流行したこともあったが、近年では、鍛錬を重ねた職人がカウンター越しにすしを握ってくれる日本の高級店さながらの本格スタイルも浸透。アジアでは、「泳ぐ宝石」といわれるニシキゴイを鑑賞できる店もあるという。

「SUSHI」が親しまれるようになった海外で、人気が高まっているのが日本産の水産物だ。はるか昔から魚の生食が定着していた日本は、全国各地で多種多様な魚介類が水揚げされるだけでなく、産地から消費者に届くまで新鮮な状態を保持する技術も高い。

 海外でも評価が高い日本産の魚。輸出は増加傾向で推移してきた。

 農林水産省の統計によると、2022年の日本の水産物輸出額(国・地域別)は、中国が871億円と最大で、全体の22.5%。2位が香港で755億円となり、全体の19.5%となっている。中国と香港で合わせて1626億円に上り、全体の4割以上を占める。日本にとって重要な「上得意」だ。

 ところが、中国の税関当局は7月に入り、既に対象としていた10都県(福島、宮城、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、長野、新潟)の水産物など食品の禁輸を続けた上で、水産物や一部食品の輸入を認めている37道府県産も「特に水産品については、100%検査する」と表明した。これまで輸入時に抜き取りで実施してきた放射性物質の検査を、全量検査に切り替えたようだ。通関に鮮魚など冷蔵品は約2週間、冷凍品は1カ月程度かかるとされ、「事実上の禁輸」ともいえる措置だ。

中国に追随する香港政府

 中国と歩調を合わせるように、香港政府は、福島第一原発の処理水が海洋放出された場合、中国と同様の10都県からの水産物の輸入を禁止する方針を示した。これに先立ち、日本産の水産物に対する放射性物質検査が厳しくなり、通関に従来よりも時間がかかるケースが出てきたという。

 今回の中国や香港の措置は、輸入規制の撤廃が進んでいる国際的な動きに逆行しているのは明白だ。

 国際原子力機関(IAEA)は、日本政府の処理水の海洋放出計画について「国際的な安全基準に合致している」と結論付けた包括報告書を公表。人体や環境への影響は無視できるほどとし、安全性に「お墨付き」を与えた。日本政府は海外にも安全性をアピール。既に輸入規制を解除している米国や英国に続き、8月に入って欧州連合(EU)なども撤廃に動いた。

 一方で中国は、処理水を「核汚染水」と呼び、「信頼性と合法性を証明していない」と批判する香港とともに放出計画に強く反発。規制強化に正当性を主張している。だが、科学的根拠に基づいたものではなく、筋違いと言わざるを得ない。日本政府は処理水の海洋放出を8月下旬にも開始する方向で検討しているが、そもそも現段階ではまだ放出されてもいない。

 こうした中国と香港の強硬な姿勢に対し、「理不尽で、政治的に利用されている。放出前から風評被害が起こっている」と日本の水産関係者は憤る。

 中国や香港で通関が滞ることにより、多大な影響が及ぶのは、日持ちしない鮮魚だ。検査結果が出るまで税関で長い間留め置きされれば、品質の悪化は避けられない。冷凍品でも、輸出が止まると国内で過剰在庫を抱えることになり、損失が大きく膨らむおそれも指摘されている。

アワビ、ホタテなど高級食材が被害――農水省は「確認中」

 日本の水産業界を大きく揺るがしている中国と香港の輸入規制。22年末から予兆はあったようだ。

 アワビやナマコなどを取り扱う都市部の水産業者は、22年の終わりごろに中国の輸出関連業者から「処理水の問題でもう買えなくなるかもしれない」との連絡があったという。中国では、乾燥させた「干しアワビ」や「干しナマコ」は高級食材として重宝される。特に日本の天然物は、品質の良さから引き合いも強かった。

 この水産業者は、先の中国業者と昨年1年間で約2億円の取引をしていたという。ところが、今年に入り、中国業者からの買い付けが急に途絶え、取引がゼロになった。「売り上げが吹っ飛んでしまった状態で、実質2億円の損失。国内向け販売にシフトしたが、どこまで戻せるか」と深刻な表情を浮かべる。

 中国への輸出が最も多い水産物のホタテも、全量検査が始まったことで冷凍物などの輸出が停滞。別の水産業者によると、これまで日本国内よりも高い価格で中国業者が北海道などのホタテを買い付けていたというが、行き場を失って在庫が増え、相場も下がっているという。

 香港向けの輸出を伸ばしてきた豊洲市場も、影響を受けている。

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カテゴリ: 政治 経済・ビジネス
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執筆者プロフィール
岡畠俊典(おかはたとしのり) 時事通信水産部記者。1981年、広島生まれ。2005年、北九州市立大学卒。地方紙での勤務などを経て、2016年に時事通信社に入社。水産部で豊洲市場の取引を中心に取材を続けている。
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