西アフリカは、「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」の観点からは、縁遠い地域だろう。海洋国家である日本は、海洋国家らしい国家政策を持っていてよい。地域を超えて一続きにつながる大洋沿岸部の自由と開放を戦略的目標とみなすのは、当然の態度である。裏を返せば、アフリカ東部のインド洋沿岸部と、西アフリカの大西洋沿岸部を、異なる大洋に面した地域として、異なる視点で見るのは仕方がないことだ。
ただし、実際には、本当にアフリカ大陸の東部沿岸部だけを切り取って見ていくことはできない。現代世界で最も武力紛争が頻発している地域の一つである「サヘル」は、アフリカ東部から西部にかけて大陸を貫くように帯状につながっている。東と西のつながりはもちろん、他の甚大紛争地域である中東とも、歴史的・文化的なつながりを深く持っている。たとえばアル・カイダや「イスラム国」に忠誠を誓うイスラム過激派勢力は、サヘルの帯をたどって、中東からアフリカ東部、そして西部へと流れていった。サヘル情勢を把握しておくことは、東部を含むアフリカ大陸全体の動向を把握するために必須である。
本稿では、その観点から、『「アフリカ不在のFOIP」脱却論』シリーズの最終回として、サヘルの西アフリカ情勢について、情況分析を試みたい。
マリにおける国際平和ミッション消滅の衝撃
マリに展開していた要員1万人以上の巨大国連PKO・MINUSMA(国連マリ多元統合安定化ミッション)が、2023年12月末日で消滅した。マリのクーデター軍事政権に、撤退を要求され、やむなく活動を終了させざるをえなくなった。失意の中の活動終了である。
MINUSMAは、その活動規模だけではなく、「多元的」な活動内容においても、極めて重要な国連PKOであった。2013年以来、累計311人(2023年11月末の数字)の殉職者を出し、特に、敵性勢力による武力攻撃による殉職者数が著しく多い国連PKOとしても知られていた。このミッションの挫折は、非常に大きな事件である。
MINUSMAの撤退によって、21世紀になって初めて、西アフリカからPKO活動が存在しなくなる。地域が平和になって安定してPKOがなくなるわけではない。マリを中心とする西アフリカの地域情勢があまりにも混乱しているがゆえに、PKOが持ちこたえられなくなった、と言って過言ではない。
国連PKOだけではない。西アフリカでは、準地域機構のECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)の枠組みを通じて、地域大国であるナイジェリアが主導する平和活動ミッションが、1990年代からたびたび設立されてきた。シエラレオネ、リベリア、コートジボワール、そしてマリで、ECOWASは、迅速に国際平和活動ミッションを派遣し、その後により大きな国連PKOに引継ぎをしてもらうパターンを確立していた。そのECOWASのミッションもまた、今はもう存在していない。
2023年7月、ニジェールで軍事クーデターが発生した後、ナイジェリアのボラ・ティヌブ大統領は、軍事介入の可能性をほのめかした。もし介入が行われていたら、ECOWASの介入部隊という枠組みが用いられただろう。しかし、ナイジェリア議会においてすら、軍事介入への反対論が相次いだ。ECOWASの他の諸国の間にも、準備がなかった。実現可能性は最初から乏しかった。
ニジェールには、フランスだけではなく、アメリカの軍事基地がある。規模は小さいが、ドローン基地として知られており、西アフリカの諸国の実情(当然テロリスト集団の動向を含む)に関する情報を収集する重要な役割を担っていた。アメリカにとっては、軍事クーデターは青天の霹靂であったようだ。慌ててナイジェリアに介入を促す態度を取ったようである。しかしアブドゥラハマネ・チアニを国家元首とするクーデター政権は、フランス軍の撤退を求めたものの、アメリカ軍の撤退までは要求しなかった。そこでアメリカの態度も軟化し、ナイジェリアの軍事介入を促進する国際的な流れも自然消滅した。しかしフランス軍は、12月までの完全撤退を余儀なくされた。
ナイジェリアは、自国の領域内で、ボコ・ハラムやISWAP(「イスラム国」西アフリカ州)のイスラム過激派勢力の活動に悩まされている。MNJTF(多国籍共同タスクフォース)という地域諸国が構成するボコ・ハラム掃討作戦の組織体を主導しているが、軍事的手段による過激派勢力の抑え込みは、成果が上がっていない。その他、ギャング集団、分離独立運動、民族的対立に起因する騒乱も、焦眉の課題だ。国会議員ならずとも、ほとんどのナイジェリア人にとって、ニジェールに軍事介入などしている余裕などなく、まずは内政に専心しなければならない、というのが現状評価である。
ナイジェリアのようにアフリカ諸国の中で最大のGDP(国内総生産)を誇る地域大国であっても、もはや内政面での治安状況の悪化により、他国への関与を断念せざるを得ない。結果として、国際平和活動も停滞し、治安情勢は悪化し、政治情勢も混乱を極めている。
「フランサフリック」支配への反発
西アフリカのサヘル地域は、過去10年以上にわたり、連鎖する複数の武力紛争に喘いできた。1990年代にもリベリアやシエラレオネのような英語圏諸国で悲惨な武力紛争が起こったが、21世紀に入ってからパターンが大きく変わり、武力紛争は主に仏語圏諸国で起こるようになった。
大きな転機となったのは「グローバルな対テロ戦争」の余波によって、イスラム過激派勢力が、アフリカ大陸にも深く入り込むようになったこと、あるいは過激派思想に染まったアフリカ人が中東を起点とする国際的なテロ組織ネットワークへの加入に大きな魅力を感じるようになったことである。「アラブの春」以降の各地の政治変動は、この流れを促進した。
マリの紛争は、この傾向を象徴するものだ。2011年に北部で始まった反政府武装闘争は、当初はトゥアレグという少数民族による独立運動に端を発したものであるように見えた。しかしやがてアル・カイダ系と「イスラム国」系のネットワークに属するイスラム過激派の武装集団が台頭し、勢力争いを続けながら、住民に危害を加え、中央政府の権威も失墜させていくようになった。ブルキナファソやニジェールは、国境を越えて、同じ現象が見られるようになった典型的な諸国である。
ナイジェリア、カメルーン、チャド、ニジェールが国境を接するチャド湖周辺地域でも、ボコ・ハラムなどが暗躍し、住民層にも甚大な被害が出るようになった。そして中央政府の権威に挑戦するようになった。なおこの流れは、サヘルを超えて、他のアフリカ地域にも及ぶようになっている。大湖地域や、モザンビーク北部などでも、同じようなパターンで武力紛争が見られるようになった。
イスラム過激派勢力の勢力伸長が、中央政府の権威を失墜させる大きな流れの中で、近年、西アフリカでは、軍事クーデターが連鎖的に発生している。全て仏語圏諸国における現象である。特に最近に発生したマリ(2020年・21年)、ブルキナファソ(22年)、ニジェール(23年)の軍事クーデターは、フランスのプレゼンスに対抗し、ロシアと近づくことも躊躇しない、という点で、非常に似通った性格を持っている。実際に、この三国は、そろって周辺諸国が作っている「G5サヘル」の協力枠組みから脱し、相互に援助しあう同盟関係に入ろうとしている。
軍事クーデターは、当該国における特定勢力の特殊な事情により発生することが多いので、あまり国際的な広がりまでは持たないことが多い。しかし現在の西アフリカのサヘルでは、大きな地域的な現象の中で、各国における軍事クーデターが起こっており、しかもクーデター首謀者たちがそれを意識して相互協力を進める特異な状況にある。
クーデター首謀者は、悪化する治安情勢に対してなすすべを持たない旧来の政治指導者に大きく失望している民衆感情に乗っかる形で、政権転覆を行った。クーデターによって駆逐されたのは、仏語圏に特有の形で存在していた現地エリート層だ。フランス(そうでなければセネガルなど)に留学して、学位取得のみならず、フランス流の統治形態や、フランス国内のエリート層との人的ネットワークも培ってから、帰国して権力機構を牛耳るのが、典型的な仏語圏諸国のエリート層だ。
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