拘束された元知事の軌跡――「ウクライナ軍はお前を殺すだろう」

執筆者:国末憲人 2024年6月29日
タグ: ウクライナ
エリア: ヨーロッパ
ミコライウ・南ブーフ河畔の夕暮れ(以下、特記のないものはすべて筆者撮影)
元ヘルソン州知事アンドリー・プティロウは避難する予定の4月9日、やってきたロシア軍に拘束された。重要人物向けの拷問施設では対ロ協力を要求された。ウクライナとロシアの捕虜交換の対象に指名された時には、やはり激しい暴行とともに「ロシアにいたい」と手紙を書くよう迫られた。占領下のドネツク州に送られ、ロシア国内とベラルーシ経由でウクライナに入国し、解放されたのは6月18日。ロシアには親戚も多いアンドリーだが、この体験でロシア人に抱く感情は完全に変わったという。【現地レポート】

 人口約50万人のミコライウは、ウクライナ南部だと百万都市オデーサに次ぐ規模の街である。黒海から南ブーフ川を数十キロさかのぼった河岸の高台に位置し、古くから造船の街として知られた。ソ連時代は閉鎖都市として外国人の訪問が禁じられ、空母「キエフ」「ミンスク」はいずれもこの街の「黒海造船工場」で建造された。現在も、欧州有数の造船所や国立造船大学を抱えている。

 筆者がこの街を訪れるのは2度目である。前回の2022年9月はまだ、隣接するヘルソン州のドニプロ川右岸が解放されておらず、そこに陣取るロシア軍から発射されるミサイルやロケット弾に、街は苦しんでいた。通常だと発射から着弾まで何分かの合間があるため、人々は警報を聞いて避難できる。ところが、ミコライウはロシア軍陣地から近すぎるため、発射後すぐに着弾してしまう。着弾した後に警報が鳴り出す始末だったという。開戦から前回訪問時までの197日間で、ミコライウが攻撃を受けなかったのは29日間に過ぎなかった。多くの市民は脱出し、普段の3分の1程度の人口になった街で見かけるのは、軍人とお年寄りばかりだった。

 市内に5校ある大規模大学に被害が集中し、この時に会見した州知事のヴィタリ・キムは「大学への攻撃はわけがわからない」と話していた。

2022年3月29日のミサイル攻撃で大破したミコライウ州政府庁舎。37人が死亡した。2022年9月撮影

飲料水のない街

 もう一つこの街の当時の難点は、飲料水が確保できないことだった。ドニプロ川の水源地施設をロシア軍が占領して破壊したため、水道水が濁って飲めなくなったのである。この時は、ボランティア団体が郊外の井戸から水をくみ上げ、市内で配給する活動に、同行取材した。井戸だけでは足らず、隣のオデーサ州からも車に乗せて水を運んできていた。毎日こうして配られる水は、街に残った人々の生命線となっていた。

2022年9月、ミコライウ市内で、ボランティア団体が配る飲料水をペットボトルに詰め込む人々

 今回訪れたミコライウは、避難していた人々が戻って、ごく普通の地方都市の活況を示していた。商店は概ね開き、バスも市電も走り、人々は朝普通に職場に出勤していた。日中の風景は、キーウとさほど変わらない。

 状況が劇的に改善されたのは、2022年11月にヘルソン州西部が解放され、ロシア軍の陣地が遠のいたからである。今でもミサイルやドローンはたまに飛んでくるが、発射地点から距離があるため、逃げる間も無かった以前ほどの切迫感はない。

ミコライウの市電

 一方で、水道水はやはり濁ったままだという。地元オンラインメディア『ニクヴェスチ』の記者アリサ・メリカダミヤンは「飲み水もシャワーもまだだめですね。水道をつくり直さないと問題は解決しません」と話した。飲料水は相変わらず配給で、ボランティア活動も続いているという。ただ、流通が回復したので、ミネラルウォーターのペットボトルなどは手に入るようになった。

 4月26日にヘルソン市を訪ね、拷問被害者から聞き取りをした筆者らは、約1時間車に揺られて夕方、ミコライウに引き揚げてきた。宿泊先は、南ブーフ川に面したオプティマ・ホテルである。河口に近い川は入り江のように広く、夕日が反射してまぶしい。まだ夕暮れには早く、周囲を30分ほど散歩する。

 近くには市電の終点があり、高台の中心部からゴトゴトと電車が降りてくる。水辺の小さな埠頭で、男たちが釣り糸を垂れる。隣のカフェのテラスは、恋人たちと家族連れが占領する。その光景に、戦争の影はほとんどうかがえない。筆者が泊まるホテルにも欄干付きのテラスがあり、川の眺めがよさそうだったが、改修中なのか小さな足場が組まれていた。

釣り人やカップルが集まるミコライウの南ブーフ河畔

 翌日、今回のヘルソン訪問の案内役を務めてくれた元ヘルソン州知事アンドリー・プティロウ(52)の体験を、ミコライウ市内の事務所で聞いた。彼自身が、ロシア軍占領時の拷問被害者である。

元ヘルソン州知事のアンドリー・プティロウ

水は1杯だけ

 ヘルソン州が占領されて1カ月ほど経った2022年4月5日、アンドリーはヘルソン市の自宅から、妻と2人の子どもを避難させた。自らも避難しようと考え、夜に自宅で荷物をまとめ、食料も用意した。出発する予定の翌朝4月9日、午前7時か8時ごろまで寝ていると、ロシア軍がやって来て拘束された。

カテゴリ: 軍事・防衛 社会
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執筆者プロフィール
国末憲人(くにすえのりと) 東京大学先端科学技術研究センター特任教授、本誌特別編集委員 1963年岡山県生まれ。85年大阪大学卒業。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。パリ支局長、論説委員、GLOBE編集長、朝日新聞ヨーロッパ総局長などを歴任した。2024年1月より現職。著書に『ロシア・ウクライナ戦争 近景と遠景』(岩波書店)、『ポピュリズム化する世界』(プレジデント社)、『自爆テロリストの正体』『サルコジ』『ミシュラン 三つ星と世界戦略』(いずれも新潮社)、『イラク戦争の深淵』『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『巨大「実験国家」EUは生き残れるのか?』(いずれも草思社)、『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)、『テロリストの誕生 イスラム過激派テロの虚像と実像』(草思社)など多数。
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