改革派勝利で「柔軟性」を示したイラン大統領選挙――ペゼシュキアン次期大統領の政策方針とは

執筆者:青木健太 2024年7月12日
タグ: イラン
エリア: アジア 中東
当選したペゼシュキアン次期大統領が今後、ハメネイ最高指導者とどのような個人的関係を築くのか注目される[決選投票を前に群衆に呼びかけるペゼシュキアン氏=2024年7月3日](C)EPA=時事
ハメネイ最高指導者が意中の候補者を明言せず、保守強硬派候補が一本化されなかった背景には、選挙で意思表示させることでヒジャブ抗議デモのような抗議活動を抑えようとしたのかもしれない。また最高指導者後継問題については、今回の選挙はこれと切り離されたと考えられる。ペゼシュキアン次期大統領は、内政では保守派が多数を占める議会との「ねじれ」や軍部のグリップという課題を抱える。外政では欧米との関係改善を模索しつつも、前政権が進めた中露との接近や「抵抗の枢軸」への支援は続けるとみられる。

 2024年7月5日、イランで第14期大統領選挙の決選投票が行われた。最終結果発表では、改革派のマスード・ペゼシュキアン候補の当選が発表された。故エブラヒム・ライシ大統領の掲げた保守強硬路線からの大きな転換を予期させる一報は、国内外に新鮮な驚きをもたらした。

 ペゼシュキアン次期大統領はイランをどのような方向に向かわせるのだろうか。現状において不確定要素は多いが、イラン体制(アリ・ハメネイ最高指導者を頂点とし主に治安機関・宗教界から成る中央権力)の想定され得る狙いから補助線を引きつつ、今次選挙の持つ意味と同国の内外政への影響を考察したい。

不慮の事故で1年前倒しになった大統領選挙

 今回の大統領選挙は、5月19日にヘリ墜落事故で死亡したライシ大統領の後継を選ぶために行われたものである。イランの大統領は任期4年であることから、仮に同大統領が生きていれば2025年までの任期があったが、突如他界したため1年前倒しで行われることになったのである。憲法131条では、大統領が死亡した場合、第一副大統領が大統領代行を務め、後任については50日以内に選挙を通じて選ばれると規定されている。

 これを受け内務省選挙本部は6月9日、護憲評議会によるスクリーニングの上で立候補者80名から絞り込まれた最終候補者6名を発表した。残ったのは、サイード・ジャリリ元国家安全保障最高評議会書記(保守強硬派)、モハンマド・バゲル・ガリバフ国会議長(保守強硬派)、アミールホセイン・ガジザデハシェミ副大統領(保守強硬派)、アリレザ・ザカニ・テヘラン市長(保守強硬派)、モスタファ・プルモハンマディ闘士聖職協会事務局長(保守強硬派)、ペゼシュキアン国会議員(改革派)の6名だった。

 イランでは、革命路線を継承する政治潮流を保守強硬派(オスールギャラー)と呼び、体制のエスラーフ(改革;改良;修正)を求める政治潮流を改革派(エスラーフタラブ)と呼ぶ。これと別に、保守派の中にも穏健な層(保守穏健派)が存在する。

 さて、この内2名(ガジザデハシェミ候補、ザカニ候補)は第1回投票(6月28日)前に撤退したことから、第1回投票は4名で争われることになった。翌29日の内務省選挙本部の発表によれば、第1回投票の投票総数は2453万5185票(投票率39.9%)で、得票第1位はペゼシュキアン候補(42.5%)、第2位はジャリリ候補(38.6%)、第3位はガリバフ候補(13.8%)、そして第4位はプルモハンマディ候補(0.8%)だった。過半数を制する者がいなかったため、勝敗は1週間後の上位2名による決選投票に持ち越されることになった。

 そして、冒頭で述べた通り7月5日に決選投票が実施され、翌6日に内務省選挙本部が発表した開票結果によれば、得票1位はペゼシュキアン候補(53.7%)、第2位はジャリリ候補(44.3%)だった。予期せぬ形で、ペゼシュキアン候補が当選を果たした。投票総数は3053万157票(投票率49.7%)で、第1回投票に比べ約10ポイント上昇したことから決選投票に対する有権者の関心が高かったことがわかる。

なぜペゼシュキアン大統領は当選できたのか

 では、なぜ必ずしも当初は有力候補でなかったペゼシュキアン候補は当選を果たすことができたのだろうか。

 第1に、ペゼシュキアン候補が、社会変革を期待する無党派層や民族的マイノリティーの取り込みに成功した点が挙げられる。同人は、1954年にイラン西アゼルバイジャン州マハーバードで生を受け、長らく心臓外科医(タブリーズ医科大学医学部卒)だった経歴を有する。1994~2000年にタブリーズ医科大学学長を務めた後、ハタミ政権期の2000~2001年に保健省厚生担当次官に任用され、2001年~2005年まで保健相を務めた。つまり、生来の政治家ではなく、時の実力者に専門性を評価され抜擢された実務家ということができる。

 以後、同人は2008年より5期にわたり国会議員(東アゼルバイジャン州選挙区選出)を務め、2016~2020年には国会第一副議長も務めた。政治思想的には改革派に分類される。ペゼシュキアン候補は人民の声に耳を傾ける姿勢を一貫してとってきた。こうした姿勢から、有権者の目に同候補は「自分たちの側の人間」と映った可能性がある。

 また、近年、イランでは米国の厳しい経済制裁による財政状況の悪化から、人民の不満が着実に蓄積していた。2022年秋来のヒジャブ(頭髪を覆うベール)抗議デモはその象徴的なものであった。こうした背景から、社会変革を期待する無党派層、特に教育を受けた若年層らの支持が集まったと考えられる。加えて、ペゼシュキアン候補は、イラン系アゼルバイジャン人の父親と、クルド人の母親を持つ。イラン系アゼルバイジャン人やクルド人のみならず、南東部に多いバローチ人等の民族的マイノリティーの支持も集めたとみられる。

 第2に、保守強硬派陣営の支持者が分散した点が挙げられる。第1回投票において、最有力とされたジャリリ候補とガリバフ候補の2名は選挙戦に残ったままで、保守強硬派の一本化が図られなかった。両候補は革命防衛隊出身である。

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カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
青木健太(あおきけんた) 公益財団法人中東調査会研究主幹。1979年東京生まれ。上智大学卒業、英ブラッドフォード大学平和学部修士課程修了。アフガニスタン政府地方復興開発省アドバイザー、在アフガニスタン日本国大使館二等書記官、外務省国際情報統括官組織専門分析員、お茶の水女子大学講師などを経て、2019年より中東調査会研究員、2023年4月より現職。専門は、現代アフガニスタン、およびイランの政治・安全保障。著作に『タリバン台頭──混迷のアフガニスタン現代史』(岩波書店、2022年)、『アフガニスタンの素顔──「文明の十字路」の肖像』(光文社、2023年)、「イラン「抵抗の枢軸」の具体的様態──革命防衛隊と「抵抗の枢軸」諸派との関係性を中心に」(『中東研究』550号、2024年5月)他。
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