第3回 日本にとってフランス革命とは何か――坂本多加雄と「尊王リベラル」の起源

(前回はこちらから)
先回りして提出された批判
手元に『ナショナル・ヒストリーを超えて』(以下『超えて』)という本がある。小森陽一と高橋哲哉の二人の手になる編著書で、執筆者は総勢18名。東京大学出版会から1998年5月刊行。小森陽一と高橋哲哉は当時、東京大学教養学部(通称:駒場)の教員であった。その関係であろう、執筆者のなかにはその時点で東京大学に在職している研究者が散見される。とはいえ、執筆者が東京大学関係者に限られているわけではない。また執筆者の専門とする研究対象やアプローチのばらつきも大きい。そもそも、編者の二人にしても、小森の専門は近代日本文学、高橋の専門は西洋哲学と、一見したところ接点はそう大きくなさそうなのである。
それでは、この本の共通テーマは何なのか。それは「新たな日本ナショナリズムの攻勢に対する批判」である。編者を代表して高橋はそう言う(「まえがき」、ⅱ頁)。そして「新たな日本ナショナリズム」の鼓吹者としてここで具体的に想定されているのは、「新しい歴史教科書をつくる会」に他ならない(同)。従来の歴史教育を「自虐史観」に囚われているとして全面的に指弾し、「健全なナショナリズム」の涵養を謳う「つくる会」に対する反撃の意図、それこそが18名の執筆者を結びつけているのであった。表題の「ナショナル・ヒストリー」とは、したがって、「新しい歴史教科書をつくる会」が目指している(と小森や高橋らが見なす)偏狭な一国中心史観のことをもっぱら意味しているのだろう。なお、余談であるが、筆者が大学に入学したのは1998年4月で、当時生協の書籍部でこの本を買い求めた記憶がある。大学生活の記憶と分かちがたく結びついた懐かしい 本である。
だが実は、この本は「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)の歴史叙述を批判的に検討するうえでは、あまり役に立たない。個々の論説の質が低いのではない。問題はそれ以前にある。というのも、同書の刊行時点では「つくる会」からは検討の素材となるような具体的な材料がほとんど出てきていなかったからである。ベストセラーになった西尾幹二『国民の歴史』(産経新聞ニュースサービス)の刊行は1999年の11月、「つくる会」本来の目的であった検定版の日本史教科書の刊行は2001年4月である1。したがって『超えて』で実際に検討されているのは、ナショナリズムやそれに基づく歴史叙述を扱う論考を除けば、もっぱら「つくる会」関係者の声明や発言にすぎない。「いかにも『つくる会』が書きそうな日本史」を予想し、いわば当てずっぽうで批判する格好になってしまっているのである。例外は寄稿者の一人、歴史学者・義江彰夫による「『自由主義史観』と歴史教育」で、これは『新しい日本の歴史が始まる』(幻冬舎、1997年7月刊行)所収の討論会記録「『教科書をつくる会』はどういう教科書をつくりたいか」を明示的に参照しながら書かれている。しかし、これもあくまで討論記録で、これから書こうとする教科書のマニフェストにすぎないので、苦肉の策であるとの感はぬぐえない。
作家・司馬遼太郎のいわゆる司馬史観への批判に比較的多くの紙幅が割かれているのも同様の事情によるだろう。「つくる会」の中心人物である藤岡信勝が『汚辱の近現代史』(徳間書店、1996年)で、自身が「自虐史観」から脱却するきっかけとして司馬遼太郎の小説との出会いをあげていたのは事実である(同「『司馬史観』の説得力」)。あわせて96年の司馬の死去に伴い当時一種の回顧的ブームが起きていた事情も考えに入れる必要があるだろう。それでも、「司馬史観」を、「つくる会」教科書の根幹をなす物語として批判するという戦略は、結果としては、あまり的を射たものとは言えなかった。後述するように、「つくる会」の中心人物の一人であった西尾幹二は『国民の歴史』において激しく「司馬史観」を批判しているのである。
それにしてもなぜ、具体的なアウトプットを待たずに「批判本」の出版が急がれたのか。ひとつには、緊急措置的な意味合いがあったのであろう。「つくる会」結成(1997年1月)の反響は大きく、当初は入会者が相次いだ。二ヶ月で1700名、四ヶ月で3500名の会員を集めたという(1997年5月時点、『新しい日本の歴史が始まる』、幻冬舎、1997年7月参照)。結成時の呼びかけ人にも、また結成以後の賛同人(200名)にも広く著名人が参加していたこともあり、賛否はともかくその反響は巨大なものだった。これに対し、急ぎ反撃の必要に迫られたという側面があろう。また、「つくる会」側の具体的な日本通史を待たずとも、論点の多くはすでにはっきりしていたという事情もあった。「つくる会」の結成自体が、中学校の歴史教科書の検定結果公表(1996年6月)に対するリアクションというかたちをとっていた。検定教科書が全体として「自虐史観」に基づいていること、とりわけ「従軍慰安婦」を取り上げていることが、「つくる会」が問題視していた点である。この二つが主要な論点であることについては双方のあいだに特に誤解の余地はなかった。
後知恵で考えるなら、同書 はある種の「過剰反応」の産物にも見える。「つくる会」が日本社会で大きな存在感を発揮するのではないかとの心配は杞憂であった。2001年に検定に合格した「つくる会」作成の歴史教科書の各自治体における採択率は極めて低く、その後も低調のまま推移していまに至る。その後、「つくる会」では内紛が頻発し、組織としてはほぼ壊滅状態にある。
「つくる会」の議論はなぜ「古さ」を帯びたのか
それでも、具体的な刊行物を念頭においてない状態で書かれたことでかえって、『超えて』は「つくる会」を取り巻く文脈についての多角的な分析が可能になっているようにも思われる。
たとえば、「つくる会」は従来の保守論壇と比べて「古い」のかそれとも「新しい」のか。『超えて』では議論が分かれた。
まず、「古さ」を強調する指摘から紹介しよう。

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